「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!
『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。
一八九九年の晩秋のある午後、まだ「ロケットの父」になる前の十七歳のゴダードは庭の桜の木に登って空を見上げていた。SFに夢中だった彼の網膜に映っていたのは、現実世界の空ではなく、空想世界の宇宙だった。
「私はノコギリで桜の木の枯れた枝を切り落としていた……そして私は想像した。火星へと昇っていくことのできる機械を作ることができたらどんなに素晴らしいだろうかと……私は木から降りた時、登った時とは違う少年になっていた。なぜなら自分の存在に目的を見出したからだ。」
火星へと昇っていくことのできる機械を作る。人生の目的を決意したこの日をゴダードは「アニバーサリー・デイ」と呼んで毎年祝った。この桜の木を何度も写真に撮ってアルバムに貼った。
過保護な母と祖母のせいで高校は二年遅れだったが、成績は優秀だったようで卒業式で総代としてスピーチをした。その原稿が残っている。それは宇宙時代を予言するような言葉だった。
「何かを不可能と決めつけるのは無知のせいにすぎないと、科学は教えてくれた。個人においても、何が限界か、何が手が届く範囲にあるのかは分からない。どれだけ成功できるかは真摯に挑戦するまでわからない。勇気が持てぬなら思い出してほしい。全ての科学もかつては幼かったことを。科学は繰り返し証明してきたのだ。昨日の夢は今日の希望となり、明日の現実となることを。」
では、「ロケットの父」は具体的に何をしたのか? ロケットを発明したのは彼らではない。火星に行くロケットも作ることができなかったばかりか、彼らのロケットは宇宙に届きすらしなかった。それなのになぜ、彼らは「ロケットの父」と呼ばれるのか?
「ロケットの父」の功績は大きく二つある。一つは、そもそも宇宙に行くことを可能にする技術がロケットであると気付いたことである。
読者の皆さんは戸惑うかもしれない。気付くも何も、現代ではロケットで宇宙へ行くことが常識になっているからだ。
どんな常識も昔は常識ではなかった。ロケットの父が少年時代に夢中になった、ジュール・ベルヌの『地球から月へ』のストーリーを振り返ってみよう。
このSFは一言で言えば「大砲に人が乗って月を冒険する話」である。アメリカのフロリダ州に長さ270メートルもの巨大な大砲を建設し、三人の男と二匹の犬を乗せた砲弾を月に向けてぶっ放す。砲弾は月を周回した後、幾多の危機を乗り越えて地球に帰還し、無事太平洋に着水する。
なぜロケットではなく大砲だったのだろうか?
実は、ロケットはベルヌの時代に既に存在していた。それどころか、遅くとも十三世紀には中国で発明され、兵器として用いられていた。その技術はモンゴル帝国のヨーロッパ侵攻を通してヨーロッパにも伝わっていた。それなのになぜ、ベルヌは作中でわざわざ主人公をロケットではなく大砲に乗せたのだろうか?
答えは単純だ。十九世紀、ロケットは時代遅れの技術だったのだ。当時のロケットはロケット花火に毛が生えたようなもので、飛距離は短く、目標に命中させることも困難だった。敵を殺傷する能力はなく、音と光で敵を驚かすのがせいぜいだった。それに比べ、大砲はすでに2㎞近い射程距離があり、目標に正確に命中させる軌道の計算法も確立していた。ロケットは六百年前の廃れた技術であり、大砲こそが当時の最先端だった。ロケットのような前時代的な技術で宇宙へ行けるとは、当時の誰にも想像がつかなかったのである。
だが、現実には大砲で宇宙へ行くことは不可能だ。秒速11㎞で打ち出しても猛烈な空気抵抗ですぐに墜落してしまう。仮に宇宙空間に出ることができても、加減速したり方向を変えたりすることはできない。
ならば、何を使えば宇宙飛行を実現できるのか?
「ロケットだ。」
そう気づいたのが、ロケットの父たちだった。この気付きこそが宇宙工学史上最大のブレイクスルーと言えるだろう。六百年も前の技術に宇宙への扉の鍵が隠されていたとは。
もちろん、ロケット花火に毛が生えたような十九世紀のロケットをそのまま使って宇宙へ行くことが不可能なのは明らかだった。
宇宙飛行を実現するには、ロケットを秒速7.9㎞まで加速する必要がある。時速に換算すれば28,000㎞。東京から大阪まで一分で行けてしまう猛速度だ。「第一宇宙速度」と呼ばれるこの速度にまで物体を加速すれば、地球に再び落ちて来ることなく人工衛星となる。
いかにすれば、六百年前の枯れた技術を、秒速7.9㎞で宇宙を飛ぶ乗り物に生まれ変わらせることができるのだろうか?
それに答えを出したことが、「ロケットの父」の第二の功績だった。
答えは、液体燃料ロケットだった。現代でも宇宙ロケットの大部分は液体燃料ロケットである。それがいかなるものか、それまでのロケットとどう違うかは、後ほど説明しよう。
しかし、ロケットの父は実際に宇宙へ行くロケットを作ることはできなかった。もちろんそれは技術的に簡単なことではなかった。だが、最大の壁は「世の不理解」だったかもしれない。彼らは、時代の先を行き過ぎていた。
一九二六年三月十六日、まだ雪の残るマサチューセッツ州オーバーンで、歴史的な実験は行われた。ゴダードが開発した世界初の液体燃料ロケットは火を吹いて離陸した後、2.5秒間飛行し、隣のキャベツ畑に墜落した。到達高度はたったの12メートル。だがこの12メートルこそは、人類の宇宙への旅の記念すべき第一歩に違いなかった。
その後もゴダードはロケットの実験を繰り返した。それを人々はどう見ていたか? ワクワクしながら見ていたのか? 未来の予感に興奮していたか?
人々の目は、冷たかった。ニューヨーク・タイムズ紙はこんな社説を掲載した。
クラーク大学に勤めスミソニアン協会の支援を受けるゴダード教授が、作用・反作用の法則を知らず、したがって真空では力の作用が働かないことを理解していないのは馬鹿馬鹿しい。高校で日常的に教えられている知識すら彼に欠けていることは明白である。
社説は宇宙ロケットを非現実的と断じ、研究費を出すことを批判した。世はゴダードを阿呆、変人、狂人と決めつけた。この社説が訂正されたのは、一九六九年、アポロ11号が月へ向けて飛び立った翌日のことだった。
ゴダードは生涯にわたってロケットの改良を続けたが、遂に宇宙への夢を果たせなかった。高度2.7㎞、秒速0.25㎞。それがゴダードの最高到達地点だった。秒速7.9㎞の壁を越えるには巨大なロケットが要る。巨大なロケットを作るには莫大な金がいる。だが、 誰が狂人の夢物語などに莫大な金を出すだろうか……?
ドイツのロケットの父、ヘルマン・オーベルトにも、不理解の壁が立ちはだかった。少年時代に『地球から月へ』を暗記するまで繰り返し読んだオーベルトが大学で選んだ研究テーマは、もちろん宇宙飛行だった。しかし、彼の博士論文はあまりにも時代を先取りしていたため教授たちに理解されず、不合格にされてしまう。教授たちは論文の再提出の機会を与えたが、頑固でプライドの高いオーベルトはそれを蹴って大学を去った。彼は心の中でこうつぶやいた。
「気にするもんか、博士号なんてなくたってお前らよりも偉大な科学者になれることを俺は証明してみせる。」
彼は却下された博士論文を”Die Rakete zu den Planetenräumen”(惑星間宇宙へのロケット)という題で本として出版した。そこにはロケットの原理はもちろん、月着陸の方法、小惑星探査、電気推進、そして火星植民のアイデアまで書かれていた。そしてこの本にも潜んでいた。あの何かが。それは行間に隠れながら、次の宿主を探していた。
<以前の特別連載はこちら>
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【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク
〈著者プロフィール〉
小野雅裕(おの まさひろ)
NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。