「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!
『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。
おそらくアポロ誘導コンピューターに搭載された最も斬新な技術は「ソフトウェア」だろう。当時は「ソフトウェア」という言葉すらほとんど誰も聞いたことがなかった。
現代の人はあまりにも「ソフトウェア」という概念に慣れすぎて、それがどれほど革新的なものだったか想像しづらいかもしれない。たとえば腕時計を例に取ってみよう。2本の針と文字盤から成る昔ながらの腕時計である。それは時刻を表示する機能だけを持つ機械だ。では、年月日も表示する機能が欲しくなったらどうするか? 時計を分解して設計し直すか、別の時計を買うしかない。ひとつの機械はひとつの機能しか持たないのが常識だった。電話、時計、カメラ、ディスプレイ……必要な機能の数だけ機械が必要だった。
現代ではそれが全てスマートフォン一台で済む。新しい機能が欲しい時はアプリ(アプリケーション・ソフトウェア)をインストールするだけだ。そのたびに新たな機械を買ったり、分解して再設計したりしなくてもいい。ソフトウェアを変えるだけで機械が進化する。これは破壊的イノベーションだった。
ソフトウェアを搭載する。この斬新な設計思想の正しさはすぐに証明された。当初NASAがMITに求めた機能は、ナビゲーション、つまり宇宙船の現在位置と速度を計算することだけだった。ところが開発が始まって3年後の1964年に、オートパイロットの機能も追加するようにNASAが求めてきた。従来の機械ならば回路を再設計する必要があった。だが、アポロ誘導コンピューターならばソフトウェアを書き換えるだけで済んだ。このエレガントさこそが、ソフトウェアの力である。
この頃に転職したマーガレット・ハミルトンに与えられた仕事はもちろん、オートパイロット・ソフトウェアの開発だった。彼女の担当は、万が一ミッションが失敗し緊急退避することになった場合のプログラムだった。新米にこの仕事が回されたのは、この機能が使われることはまずないだろうと思われていたためだった。彼女はそのソフトウェアに「忘れてね(forget it)」という茶目っ気のある名前をつけた。
開発は夜を徹して行われた。当時は現代よりもなおさら仕事と育児の両立が難しかったに違いない。夜や休日は四歳の娘のローレンを職場に連れてきた。そしてローレンが職場の床で寝ている間にハミルトンはプログラムを書いた。「よく娘をそんな風に放っておけるね」と同僚から皮肉を言われる事もあった。
だが、ハミルトンたちが苦労の末に開発したオートパイロットを毛嫌いする人たちがいた。宇宙飛行士だった。たとえば、ある宇宙飛行士はMITの技術者に言い放った。
「もちろん打ち上がった瞬間にコンピューターの電源なんて切ってやるさ。」
この頃の宇宙飛行士のほとんどは軍隊パイロット出身だった。コンピューターなどに頼らず自分の手で操縦することが男の誇りだという飛行冒険家時代の古いヒロイズムが、彼らの血の中に残っていた。とりわけ古参の宇宙飛行士がそうだった。ある者は容赦なく技術者を罵倒した。ヒューストンにミーティングに来たMITの技術者に、こんな言葉が投げつけられた。
「時間の無駄はやめて、MITに帰って考え直せ。」
だが、手動操縦にこだわった宇宙飛行士はことごとくシミュレーションで月面に墜落した。アポロ宇宙船は非常に複雑で、もはや人間の手だけで操れるものではなかったのだ。
技術の進歩は、男の古臭いエゴに付き合うことはなかった。宇宙飛行士に選択肢はなかった。月に行きたければ、操縦桿を握るのではなく、コンピューターを操って宇宙を飛ばなければならなかった。
<以前の特別連載はこちら>
- 01 宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─
- 02 幼年期の終わり
- 03 ロケットの父の挫折
- 04 フォン・ブラウン〜宇宙時代のファウスト
- 05 ナチスの欲したロケット
- 06 ヒトラーの目に灯った火
- 07 悲しきロケット
- 08 宇宙を目指して海を渡る
- 09 鎖に繋がれたアメリカン・ドリーム
- 10 セルゲイ・コロリョフ〜ソ連のファウスト博士
- 11 スプートニクは歌う
- 12 60日さえあれば
- 13 NASAの誕生、そして月へ
- 14 最初のフロンティア
- 15 小さな一歩
- 16 嘘だらけの数字
- 17 無名の技術者の反抗
- 18 究極のエゴ
- 19 プログラム・アラーム1202
- 20 アポロ誘導コンピューター
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『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』の元となった人気連載、『一千億分の八』をイッキ読みしたい方はこちらから
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?
【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
【第8回】〈一千億分の八〉ロケットはなぜまっすぐ飛ぶのか?V-2のブレイクスルー、誘導制御システムの仕組み
【第9回】〈一千億分の八〉スプートニクは歌う 〜フォン・ブラウンが戦ったもうひとつの「冷戦」
【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク
〈著者プロフィール〉
小野雅裕(おの まさひろ)
NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。