メーカーにとっての箱根駅伝? CESがなければ1年は始まらない!
私たちが出展した展示会「CES(日本ではセスと呼ばれる)」が開かれるのは、ショービジネスの本場ラスベガス。エンターテイメントの箱庭で、新年に繰り広げられるテクノロジーの祭典である。年明けすぐに開催されるため、その年のテクノロジーのトレンドを占う展示会と言っても過言ではない。
CESの正式名称は“Consumer Electronics Show“。長らく”家電の見本市“、と訳されてきたが、話題の中心はいわゆる「家電」から、ドローンやIoTなど最先端プロダクトへ移りつつあり、最近ではそのまま、「コンシューマ・エレクトロニクスの見本市」とされる場合も多い。
現地でも感じたが、技術の役割は家事の負担を減らし、可処分時間を増やすことから、より「便利」「快適」という付加価値的なニーズを満たす方向へシフトしているようだ。
ラスベガスの夜景
‐「CESに出るのはやめよう」と誰かが言うのを待っていた
会社のスケジュールに正式にCES2016の出展日程が組み込まれた時、
「本当に出るんですね」
という反応が複数から返ってきた。
今だから言えることだが、半分勢いで2015年早々に出展を決め、ブースは押さえていたものの、日々の業務に追われるうち月日は流れて、気がつけば開催まで2ヶ月を切っていた。もういい加減本腰を入れなくてはならない。だが、準備が進むに連れ、分不相応なほど大きなコストが掛かることが明らかになり、何より展示できるPatinは、想定したレベルまで達していなかった。出展したい気持ちと同じくらい、Patinは出展するレベルに達しているのか、分不相応なのではないかという迷いが消えなかった。
11月半ば、CESに出展するか、キャンセル料を払って中止するか、最終判断を下す会議は紛糾した。同じ議論を100回したら、99回は中止という判断になったのではないかと思う。誰が「今年は見送りましょう」という決定的な言葉を発するか、ババ抜きのような探り合いが続いていた。
もはや「来年出展できるように頑張りましょう」と、会議を切り上げるだけの状態だったと思う。
しかし、「出展するとして、最小限のリソースで得られる最大の成果は何か」を改めて考えた時、スイッチが切り替わるようにその場は出展へ向けての調整に移っていった。思い返しても何が引き金だったのかわからない。ただ、会社とPatinにとって価値のある費用と時間にしなくてはならないと腹をくくった。
‐やるしかないから、できる方法だけ考える
後ろ向きな発言をする人を、
「できる方法を考えようよ!」
と励ますことがあるが、当時の私たちは前向きというより、立ち止まったら間に合わなくなるから、今すべきことを考えながら、全力で走るしかなかった。マニュアルなど存在せず、TO DOリストをつくる余裕もなく、時間が掛かること、展示の質へのインパクトが大きい順に作業を進める。
最優先はブースをつくることだった。製作とアメリカへの輸送を考えると1日も惜しい。代表の松井がデザインを考え、設計事務所と打ち合わせをしながら図面を引いてもらい、その場で仕様をどんどん決めていく。あっという間に、シンプルだがキリっとしたフラワー・ロボティクスらしいブース図面が出来上がった。
翌日、想定の4倍ぐらいの額の見積もりが上がってきた。予算に収めるため要素を削ぎ落とす。床材を妥協し、モニターを減らし、什器の設計も簡素に。壁がない、梁と柱だけの構造をアメリカ人の業者に組み立てられるのか、壁紙を綺麗に貼れるのか、誰にも聞けない失礼な不安は消えないが、ひとまず予算内で設計と部材の手配が完了し、なんとか最初の関門は突破した。
図面が読めない私は、「アメリカ人にもわかりやすい組立図を作れ」と言われて途方に暮れる
シンプルさに磨きが掛かったブースCGを見た人からの、
「アメリカ人はゴージャス感が好き」
という余計なアドバイスに神経を逆撫でされたり、大企業がCESに掛ける予算はうちの60倍だと知って、
「お金がある会社は余裕があっていいですね」
とやさぐれたり、一刻の猶予もないのにサンクスギビングに入ったアメリカからの連絡が途絶えたりと精神をさいなまれながらも、平行してブースの部材をアメリカに輸送する手続きをおこなう。INVOICEを書けとファイルが送られてきた。さんざんやり取りを繰り返したあと、ブースに使う木材の学術名と原産国を調べろと言われた時はぷつりと何かが切れそうになったが、来た球を打ち返すしかできることはない。
クリスマス休暇の直前、無事ブースがアメリカに入国したという知らせを受けてようやく、初めてCESに出られるかも、と思った。
ブースの手配が整い、実施への見込がようやく立ったが、それで終わりではない。ブローシャーやノベルティも製作しなくてはいけないし、リリースを出したりwebを更新したり、想定質疑をつくったりと細々仕事が積み上がる。
ブースを組み立てる業者を手配するために工数を計算し、電気の発注が必要と言われればアンペアを計算する。モニターのサイズも音響も、電源の位置も、カーペットの色も決めなくてはいけない。
仕事には反射神経が必要になる瞬間がある。どれも一長一短ある選択肢を前に、正解らしいものを選び、間違えたら急いでやり直すか、軌道修正して正解にするしかない。
2016年1月5日、開催前日。六本木のオフィスを出て24時間以上経っていた。私は誰よりも全容を把握していたはずなのに、夜8時を過ぎたラスベガスの展示会場、グラフィック通り組み上がったブースを前に、ようやくCESに出るんだと現実感が出てくる有様だった。
‐最後の難題は、繊細で壊れやすい私たちのロボットを危険物扱いされずに飛行機で運ぶこと
出展する上で無数の課題があったが、最も議論を費やしたのは展示するロボット、Patinについてである。
問題のネックは、
1)9時間連続で4日間動かす
2)アメリカに持っていく
の2点。
4つの車輪を持ち、滑るように動くPatinの動作を見て欲しいが、まだ開発中のため長時間動かし続けるには課題が多すぎた。ロボット本体の問題以外にも、会場の電源確保やネットワークの状況がはっきりせず、さらにPatinに積んだバッテリーやセンサー類が税関でひっかかる危険性を排除できなかった。
結局、「安定的に4日間動かす」ことを優先し、プロトタイプの1つをCES用にカスタマイズすることに決めた。更に、Patinは本来バッテリーで動き、wifi接続するからワイヤレスロボットなのだが、電源とネットワークを有線で確保することにした。
展示の内容とアメリカへの輸出の段取りはついたが、展示内容については意見のスレ違いが消えなかった。
Patinはセンサーやカメラを使って周囲の情報を収集し、自分で考えて動く自律ロボットだ。今回の展示はいわばプログラム通り動くだけのロボットであり、Patinの本質的な機能をデモンストレーションできていない。
このPatinは胸を張って展示できるものなのか。意見は異なっても、それぞれの立場でPatinを深く考えていることは同じである。だが、両立できないならどこかで妥協しなくてはいけない。
議論を重ねた末、「不格好でも来た人全員に、動くPatinを見てもらえるようにしよう」という方針で決着した。
私たちが伝えたかったのは、「家電や家具を動かすロボットの可能性」である。
Patinが発売され、使用される環境はそれこそ千差万別だ。決められたコンディションでしか使えないようなロボットは家電のような日常の道具にはなれない。現在のPatinはその点で落第なのである。その事実は真摯に受け止めなくてはいけない。どこでも安定的に動くこと。不具合が起きたらすぐに修理ができること。今回の出展は、一般に普及するプロダクトをつくる会社にとって大切なことを思い出させてくれた。
ロサンゼルス空港にて 飛行機とPatinの記念撮影。Patinも本体の上部に家電や家具を乗せて動く「乗り物」である
‐かんたんに世界中と繋がることができる今、国を超えて1つの場所に集う意味と価値
展示がはじまってみると、それまでの苦労はなんだったのかと思うほどにスムーズに進んだ。現地で採用したガイドの2人は、Patinについての簡単な説明で魅力的なプレゼンテーションをおこなってくれた。現地に渡航したエンジニアはPatinの不具合を細かく修正し、4日間動かし続けるという基本的だがやり遂げようと決めたミッションを達成した。
あの舞台が今のPatinと私たちにとってふさわしい場だったか、終わってみても断言はできない。だが、4日間で3,000人もの来場者にPatinを紹介し、私たちが家庭用ロボットに描く未来を伝えることができた。投げかけられた質問、感想、期待。あの瞬間でしか感じられなかった熱量や空気はきっとPatinに吹きこまれて大きな力になるだろう。
最先端テクノロジーを披露する場なのに、新年早々、はるばるラスベガスまでたくさんの人が世界各地から集まる。前時代的な「同じ場所で時間を共有する」ことで伝わる気持ちや感覚は確かにあるのだと実感した。
‐「世界はここから変わっていく」予感
本当はこのコラムで、CESで見た面白いプロダクトや世界のトレンドを紹介したいと思っていたが、出展までの紆余曲折を書いているうちにスペースが尽きてしまった。CESについては多くのニュース記事や動画等がアップされているので、ぜひご覧いただきたい。世界に名だたる大企業から、友人同士でやって来たような生まれたてのベンチャーまで、未来を感じるプロダクトを知ることができる。
特に、ドローンやVRへの期待感はニュースで耳にするよりも大きいと肌で感じた。会場ではドローンが飛び、スーツ姿のサラリーマンから70代ぐらいのおじいさんまでドローンに夢中だった。VRはドローンよりも産業的には更に進んでいるようで、ゲームだけでなく自動運転のシミュレーション等、異業種の展示にも活用されていた。
CESは最先端のテクノロジーの祭典であるはずなのに、そこにひとりひとりの生き様を感じた。人生で何を大切にするか、成し遂げたいのか、解決したい悩みは、実現したい夢は。それぞれのプロダクトに思想を感じる。
ワクワクした目でPatinを見つめる人たちを眺め、テクノロジーは人を幸せにしてこそ価値があるはずだと改めて思った。明日が少し楽しく、便利になるように。その一歩は誰にでも踏み出すことができるのだと、あの場に集った無数の人々やプロダクトを眺めながら思った。
今年CESには17万人もの人が訪れたそうだ。未来への期待感が、あれほど多くの人を引き付けるのかもしれない。
私は高校時代、演劇部で舞台監督をやっていた。幕が上がってしまったら、私にできることは見守ることしかない。
CESでの展示は、袖から舞台上を眺めるあの時の気持に少し似ていた。もちろん私もつたない英語で来場者とコミュニケーションを取ったのだが、主役はPatinだ。みんなPatinを真剣に見つめる。
私はスポットライトの下で輝く役者を見るのが好きだった。Patinも異国の地で懸命に動いていた。この荒削りなプロダクトの魅力を感じてもらった手応えは何よりも私たちを励ましてくれる。自分に向かって拍手されることはなくても、観客の熱気は舞台袖にも届くものだ。
新しいことにチャレンジする時、一番大きな敵は「やってもやらなくても同じじゃないか」という自分自身の迷いだと思う。資産も歴史もないベンチャーは、裏を返せば身軽で、失うものは少ない。リスクに怯えて立ち止まるより、未来に近づく一歩を踏み出す方が何倍も価値がある。それに大きなチャレンジをするたびに、自分たちの可能性に気づくことができる。
やったことがないことというのは、自分にできないことではない。
今回、現地で展示をやりきったメンバーはもちろん、フラワー・ロボティクスのスタッフ、エンジニア、協力会社の方も、非常にタイトなスケジュールの中で奔走してくれた。それぞれが果たすべき役割に全力を尽くして成し遂げたのだ。
これからもチャレンジは続く。うまくいかないこと、恥をかくこと、傷つくこともたくさんあるだろう。だが、尻込みしそうになる自分たちを励まし、今より一歩でも前に進もうとするのがベンチャーらしい選択ではないだろうか。
====次回の予告====
2015年、ひと回り大きくなった組織で、フラワー・ロボティクスは様々なチャレンジをしてきた。いよいよ勝負の2016年のはじまりである。
次回は「人工知能」というキーワードでPatinやロボットを考えてみたい。フラワー・ロボティクスが今も毎日悩み、考えている人工知能というものは、宇宙人のような存在ではないかと思っている。
〈著者プロフィール〉
村上美里
熊本県出身。2009年慶應義塾大学文学部心理学専攻卒業。市場調査会社(リサーチャー)、広告代理店(マーケティング/プロモーション)、ベンチャーキャピタル(アクセラレーター)を経て2015年1月よりフラワー・ロボティクス株式会社に入社。