NASA日本人技術者逆境との戦い-宇宙兄弟

《第6回》宇宙人生ーーNASAで働く日本人技術者の挑戦

2015.01.25
text by:編集部コルク
アイコン:X アイコン:Facebook
《第6回》
狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
僕の夢を心から応援してくれた祖母が亡くなり、僕は叶えるべき夢のため再び異国の地の日常を歩き出す。求められることはただ、成果を出すこと。日本と異なった決まりがない職場とは?夢みた職場さえも日常に埋没されるとき、僕はあることを想像するーー。

祖母の葬式が済んでロサンゼルスに戻ると、僕の沈んだ気持ちなど何も気にしていないような青空が、いつも通り広がっていた。道行く人や車も無関心だった。一人暮らしのワンルームのドアを開けた。床に散らかった衣類。流しに積まれた皿。危篤の知らせを受ける前にあった日常が、何食わぬ顔で部屋に居座り続けているのが、逆に非現実的に感じられた。

仕事も翌日から平常業務だった。平常、といっても出勤時間は決まっていない。コアタイムすらない。在宅勤務も問題ない。上司よりも遅く来たり早く帰ったりしたら気まずいなどということもない。夕方に家族との時間が欲しい、渋滞を避けたい、そういう理由で、朝6時に来て夕方4時に帰るというような働き方をする職員も多くいる。もちろん全くオフィスに来ないのでは問題だし、ミーティングもあるから、完全に自由と言うわけではない。だが、研究開発職に究極的に求められるのは、職場にいることではなく、成果を出すことである。そういう考えなのだと思う。

この日は時差ぼけもあって、起きたら9時前だった。窓のシェードを開ければ鬱陶しいほどに真っ青な空で、9月下旬だというのにアパートのプールには青い水面が揺れていた。朝食は納豆ご飯と味噌汁と漬物とカフェラテ。考えるのが面倒なので、メニューは毎日変わらない。寝癖を直して服を着る。ジーンズにシャツにスニーカー。ラフなようだが、カジュアルな文化のカリフォルニアでは、襟付きのシャツを着ているだけでフォーマルな方だ。

車に乗り、エンジンをかける。アパートから100メートルのところに高速道路210号線の入り口がある。時速70マイル(時速110キロ)で飛ばしてもびゅんびゅんと抜かれる。

片側4車線ある高速を5分走り、下道を5分走ると、JPLの守衛所に着く。その屋根には、通称「ミートボール」と呼ばれている、丸くて青いNASAのロゴが大きく掲げられている。寝坊出勤の欠点は駐車スペースを見つけるのが大変なことだ。約5000人の職員の大多数が自動車通勤なのだから無理もない。偉い人はオフィスのすぐ横の駐車場に停められるが、僕みたいな下っ端は、構外の駐車場か、最近新しく出来た5階建てのガレージに停めなければならない。バスもあるのだが、30分に一本しか来ない上に最終バスが夜8時なので、極めて使い勝手が悪い。

職場に着く。廊下で知っている顔のいくつかとすれ違ったが、hello, how are you、と決まりきった挨拶だけで、歩く速度を緩めずにすれ違う。祖母のことは上司と身近な同僚にしか伝えていないし、わざわざ言って同情を買いたいわけでもない。

日本の職場のように、大部屋に一つの課の全員が机を並べるということはしない。年が上の人は自分の個室を持っている。そうでなくても、3年目から5年目くらいで二人一部屋のオフィスをもらえる。僕のような新入りは大部屋だが、それぞれのオフィスがパーティションで区切られている。だから僕は自分のオフィスを散らかし放題散らかしている。椅子が二脚に、バランスボールがひとつ転がっている。窓がない息苦しさを晴らすために、壁には東京やボストンの風景の写真を何枚か貼ってある。パソコンが二台あって、その横には妻と両親と妹、そして祖母の写真が小さな額に入れて置かれている。

20150122_083737
(パーティションで区切られているオフィス。写真左側にはHiro Onoと印されたネームプレートがある。)

「宇宙開発の仕事をしている」というと、毎日クリーンルームで両手にドライバーやドリルを持ってトンカチと人工衛星を作っているように思われるかもしれないが、僕の仕事で使うのは、ほぼパソコンのみだ。僕の専門は、人工衛星や火星ローバーなどが賢く自律的に行動するための「アルゴリズム」を開発することである。例えば、障害物を避けながら火星ローバーを自動的にA地点からB地点まで走らせる、という問題がある。その問題を解く手順をコンピューターに教える必要がある。その手順書が「アルゴリズム」である。英語や日本語ではなく、コンピューター言語で書かれた手順書である。

同じ問題を解く方法は様々にある。たとえば「ミカンの皮を剥く」という問題を解くときに、ヘタのほうから剥くと白いスジが簡単に取れる、といった「コツ」がある。コンピューターのアルゴリズムも同じである。ちょっとした「コツ」を思いつけば、同じ問題が驚くほど効率よく解けることがある。そんな「コツ」の積み重ねが、この世界における研究の進歩となるのである。

uchubro06_sepr_mikan
(イラスト・ちく和ぶこんぶ)

だから、「アイデアを思いつくこと」が仕事の一部になる。所内をぷらぷらと散歩しながら考えることもあるし、オフィスで紙と鉛筆を使って考えることもある。また、ホワイトボードに図や式を書きながら、同僚とディスカッションをしてアイデアを出すこともある。

アイデアが固まると、アルゴリズムをコンピューター言語で書く作業に移る。そしてコンピューターに解かせる。うまく動いたら万々歳。でも一発で動くことなんて殆どない。アルゴリズムが間違っていることもある。ほんの小さなコンピュータ言語の文法ミスのせいで、予期せぬ動作をすることもある。それを直すために夜通しコンピューターに向かう。

アルゴリズムが完成したら、本当にうまく動くのかをテストする。しかし、出来たてホヤホヤのアルゴリズムを、いきなり実際の火星ローバーや人工衛星に乗せることはない。万が一誤動作して壊してしまったら、何百億円が吹き飛んでしまうからだ。まずはコンピューター・シミュレーションでテストをする。その後に地上の試験設備などで繰り返しテストする。僕の今のところの仕事は、全てコンピューター・シミュレーションの段階である。

uchubro06_sepr_onie
(イラスト・ちく和ぶこんぶ)

祖母の葬式から戻った翌日のこの日も、僕は夜遅くまで、いつも通りコンピューターに向かっていた。翌週に重要な締め切りがあったからだった。多くの人は夕方5時頃には帰ってしまうから、夕食を取ってオフィスに戻ると、たいてい誰もいない。

僕も5時に帰っても何も問題はないだろう。長く働くことが偉いなんて思っているわけではない。年俸制だから残業代も出ない。ただ、優秀な同僚たちより良い成果を出し、差を広げるには、彼らより多く働くことが一番手っ取り早い方法だと思って、そうしている。ウサイン・ボルトは9秒ちょっとで100メートルを走るが、僕だって二倍の時間をかければそれ以上の距離を走れるのだ。

それに、5時に家に帰ったって、単身赴任だから家族もいないし、テレビもゲーム機も持っていない。週末に妻とSkypeで話して、時々ギターやピアノを弾いて、寝る前に小説を読む以外に、家ですることなど何もない。僕の一番の趣味は宇宙開発なのだ。

人気のない大部屋で、まぶしいパソコンの画面と睨めっこをしながら、カタカタとキーボードを打つ。正直、しんどいことも多い。宇宙開発だなんて言ったって、日々の仕事はそんな地味な作業の連続である。子どもの頃に夢見た職場も、実際にそこに入ってしまえば、それは日常となる。

20150122_083647
(こちらが二台のパソコンが置かれたデスク。パソコンの横には妻と両親と妹、そして祖母の写真が小さな額に入れて置かれている。壁には東京やボストンの風景の写真が何枚か貼られている。)

そんな日常に埋没しそうになったとき、僕は手を休め、目を閉じて、想像をする。いつか、この狭く散らかったオフィスで作られたアルゴリズムが、小さな宇宙船に乗って広大な宇宙を飛び、やがて遠く離れた星へたどり着く。そして驚くようなデータを地球に送って返す。そのデータを科学者が分析すると、人類の世界観を根底から覆すような発見が得られる。その発見は、JPLのプレスルームでの記者会見で、まばゆいフラッシュを浴びせる報道陣に向かって、誇らしげに発表される。その記者会見の席のひとつに僕が座っている…。

空想から覚めて、目を開ける。散らかったオフィスに、まぶしいパソコンの画面がある。僕はまた、カタカタとキーボードを叩く日常に戻っていく。

(つづく)

***

小野さんが「彗星ヒッチハイカー」についての講演を、日本時間1月28日午前5時半より、NASA Innovative Advanced Concepts (NIAC)のシンポジウムにて行いました。そのビデオが下記URLからご覧になれます。
http://new.livestream.com/viewnow/NIAC2015

***


コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!

書籍の特設ページはこちら!


〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。

本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。

■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
《号外》史上初!ついに冥王星に到着!!NASA技術者が語る探査機ニューホライズンズへの期待
第11回<前編>:宇宙でエッチ
第11回<後編>:宇宙でエッチ
《号外》火星に生命は存在したのか?世界が議論する!探査ローバーの着陸地は?
第12回<前編>:宇宙人はいるのか? 「いないほうがおかしい!」と思う観測的根拠
第12回<中編>:宇宙人はいるのか? ヒマワリ型衛星で地球外生命の証拠を探せ!
第12回<後編>:宇宙人はいるのか? NASAが本気で地球外生命を探すわけ
第13回:堀北真希は本当に実在するのか?アポロ捏造説の形而上学
《号外》火星の水を地球の菌で汚してしまうリスク
第14回:NASA技術者が読む『宇宙兄弟』
第15回:NASA技術者が読む『下町ロケット』~技術へのこだわりは賢か愚か?