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《第5回》宇宙人生ーーNASAで働く日本人技術者の挑戦

2014.12.17
text by:編集部コルク
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第5回 祖父と祖母と僕

8月の初め、「彗星ヒッチハイカー」に研究費をつけてくれたNIAC (NASA Innovative Advanced Concept)プログラムのミーティングが、NASA本部のあるワシントンDCであった。それを無事に終えた翌朝、目覚めてベッドの中で携帯をチェックすると、母からの急を知らせるメールが届いていた。祖母の容態が悪く、会いたい人にいまのうちに会っておけと医師から告げられた、との事だった。すぐに僕は、2週間後に東京に向かう飛行機のチケットを予約した。uchubroIV_photo01-2
(左:小野雅裕さんの妹 真ん中:小野雅裕さん 右:小野さんのおばあさん)

飛行機がロサンゼルスの空港を飛び立つと、すぐに太平洋に出た。快晴のカリフォルニアの空の色を映した、どこまでも青い海だった。その海を見下ろしながら、僕が考えていたのは優しい祖母のこと、そして6年前に亡くなった祖父のことだった。この海こそが、若い頃の祖父が夢を抱き、そして若い頃の祖母が愛する人の帰りを待った海だったのだ…。

僕が宇宙に憧れたように、祖父は若い頃、海に憧れた。学校の帰りにしょっちゅう制服のまま神戸港へ行き、そこに出入りする船を眺めていたそうだ。大洋を渡る大きな船を見て、見たこともない遠い異国の風景を色々と思い浮かべていたのだろうか。そして将来は白いセイラー服を着た船乗りになりたいと夢見たのだろうか。

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(イラスト・ちく和ぶこんぶ)

祖父が大学に入るやいなや、戦争が始まった。彼はいわゆる「学徒出陣」で徴兵され、陸軍の船舶連絡将校となり、中国の長江を上下する船に乗り込んだ。一応、船乗りになるという夢が叶いはしたのだが、出征した当時は既に戦況が悪く、毎日、米軍機の機銃掃射から逃げ廻る状況だったそうだ。(祖父の戦争体験記をブログに転載してあるのでご覧になられたい。「『我が二等兵物語』〜祖父の戦争体験」)

出征中に偶然があった。戦地で大学の親友とばったりと出会ったのだ。その親友には妹がいて、祖父は彼女に密かに思いを寄せていた。そこで、この機会を逃すまいと、大胆にもこう言ったそうだ。

「もし生きて帰ったら、お前の妹をくれや。」

そして祖父はしぶとく生きて日本に帰り、その女性に猛アタックをかけ、やがて二人は恋人となった。(この頃に祖父が祖母に送った大量の熱烈なラブレターが、祖母の死後に棚の奥から出てきたスクラップブックに、大事そうに保存されていた。)祖父には親が決めた許婚がいたのだが、親の反対を押し切ってその恋人、つまり僕の祖母と結婚したのだった。

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(若い頃の小野さんのおばあさんとおじいさん)

祖父は大学を卒業後、製菓会社に職を得た。戦後すぐの混乱期だったから、定職にありつけただけでも幸運だったのだろう。しかし彼の夢はやはり海にあった。子供の頃に船に憧れた気持ちを、忘れることが出来なかったのだろう。間もなく彼は製菓会社を辞め、船会社に転職した。そして船に乗って大洋を渡り、インドネシアで3年に及ぶ単身赴任をした。筆まめな祖父はこの時も祖母に頻繁に手紙を送った。当時はもちろんインターネットなどなく、国際電話も庶民には手が届かなかった時代だ。船に託された手紙だけが、海を越えて二人の愛情をつなぐ手段だったのだ。6年前に祖父が死んだとき、祖母は「愛する良人おっとへ」と始まる最後の手紙を書き、葬儀で読み上げ、棺に入れたのだった…。

それから60年余りがたち、海の向こうの家族とも、EメールやSkypeで簡単に連絡が取れる時代になった。広い太平洋もこうして飛行機に乗れば10時間だ。しかし、祖母のことで気を揉む僕にとっては、この10時間が無限のように長かった。やっと成田空港に着き、飛行機を降りてボーディング・ブリッジを歩く間、サウナのような湿度の空気が肺に流れ込んできた。帰ってきた、という感じがした。機内ではあまり寝られず、ぐったりと疲れていたが、そのまま祖母の病院に直行した。途中で両親と妻と合流した。

病院の談話室で祖母を待つ間、僕の心は平穏ではなかった。痩せ衰えた祖母の姿を見るのが怖かった。部屋に漂う薬品の臭いが、余計に心の不安を掻き立てた。

やがて祖母が車椅子を押されて現れた。僕が帰ってくることを事前に知らせてなかったので、よほど嬉しかったらしく、満面の笑みで、パチパチと手を叩いて大喜びだった。昔からよく喋る人で、体は確かに衰えていたが、口は一向に衰えていなかった。長旅疲れたでしょう。お仕事は忙しいの、体に気をつけなさいよ。そう気遣ってくれる優しさも、昔のままだった。そして何度も何度も、奥さんと仲良くするのよ、と僕の手を握って言った。その祖母の手は驚くほど冷たかった。

その手は、この世に生まれた直後の僕を抱いてくれた手だった。また、幼い僕の手を引いて万博記念公園に連れて行ってくれた手だった。やがて僕は宇宙に夢を抱くようになった。祖母は宇宙に詳しいわけでも、また科学技術の教養があるわけでも全くなかっが、僕が夢を追ってMITに留学すると決めたとき、心から応援してくれた。また僕が妻と結婚をしたときには我がことのように喜んでくれた。やがて僕はMITを卒業し、一度は慶應大学に就職して東京に住んだのだが、宇宙への夢を忘れられず、妻を東京に残して、NASA JPLに転職することになった。そのときも祖母は、「寂しくなるわね、でも頑張ってらっしゃい」と、海のように深い愛情で僕を送り出してくれたのだった…。

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(小野雅裕さんと小野さんのおばあさん)

病院の談話室での会話は、話好きの祖母のお陰でちっともしんみりとしなかった。祖母は僕の仕事の内容を聞くことはない。それよりも、僕が元気で頑張っているということだけが、彼女にとって大事なのだ。

「お仕事、忙しいんでしょう」と祖母は聞く。「うん、そうだね」と僕は短く答える。すると彼女は満面の笑みで「そう、ヒロは頑張っているのね」と言って頷く。

また、「ヒロは外人さんたちと一緒にお仕事しても平気なの」と聞く。「うん、もう慣れたよ」と、また手短な返事をする。すると祖母はとても満足そうに「そうなの、立派になったのね」と言う。

いつも通りのやり取りだった。今まで何十回も、祖母と会うたびにした会話だった。しかし、それも今回が最後だろう。そういう思いが脳裏をよぎる度に僕は泣きそうになったが、頑張って笑顔を作った。祖母も、体はやつれていても、表情は明るかった。そして満足そうな笑顔で手を振りながら、車椅子を押されて、病室に戻っていった。

その二日後、僕はアメリカに帰った。日本滞在は48時間だった。ロサンゼルスの空港から職場に直行し、また仕事漬けの日々に戻った。単身赴任は確かに孤独だ。しかし、僕には叶えるべき夢がある。そして応援してくれる家族がいる。だからこそ僕は、遠い異国の地で頑張り続けることが出来るのだ。きっとインドネシアにいた頃の祖父も、同じ気持ちだったに違いない。

その1ヶ月半後、祖母は愛する祖父の元へと旅立っていった。

(つづく)

 

***


コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!

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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。

本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。

■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
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