鎖に繋がれたアメリカン・ドリーム/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載09 | 『宇宙兄弟』公式サイト

鎖に繋がれたアメリカン・ドリーム/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載09

2018.04.02
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

「アメリカで宇宙ロケットを作る。」

そう夢見て海を渡ったフォン・ブラウンだったが、雇い主は陸軍で当初は移動の自由も制限され、十年経ってもミサイル開発しかさせてもらえなかった。

「忍耐だ。」

それはそう、フォン・ブラウンの心を諭したのかもしれない。彼はいつかチャンスは来ると信じてロケット開発に打ち込み、V2のさらに二倍の大きさがあるレッドストーン・ロケットを完成させた。

彼には夢だけではなく、巨大なエゴがあった。ただ人類が宇宙へ行くだけではなく、それを成し遂げるのが自分でなくては気が済まなかった。しかも一番にそれを成し遂げなくては満足がならなかった。金と機会さえ与えられれば、自分が一番になる自信が彼にはあった。

事実、彼のレッドストーン・ロケットと陸軍ジェット推進研究所(JPL)の小型固体ロケットであるサージェントを組み合わせれば、すぐにでも秒速7.9㎞の壁を破り、世界初の人工衛星を打ち上げることができた。こういう算段だ。フォン・ブラウンのレッドストーンを第一段として用い、その上にサージェントを十一本束ねた第二段、その上に三本束ねた第三段、さらにその上に一本のみの第四段を置く。第一段から順に点火していくと、第四段とその上に搭載された重さ数キログラムの小さな人工衛星は秒速7.9㎞に達する。第一段から四段まで全て既存の技術だったから、資金とゴーサインさえ出ればすぐにでも実行できた。この計画をフォン・ブラウンが提案したのが一九五五年。スプートニクの二年前だった。

JPLに展⽰されているエクスプローラー1号と第2段から4段ロケットまでの模型(撮影:筆者)

 

一方、海軍と空軍もそれぞれ独自の人工衛星計画を提案していた。アメリカでは各軍の間に強いライバル意識がある。そして微妙な政治的バランスもある。技術的に優れていたのは明らかにフォン・ブラウンの陸軍チームだった。もしアメリカが世界一番乗りをしたければ、選ぶべきは陸軍だっただろう。しかし、選ばれたのは海軍だった。理由は政治的なものだったといわれている。レッドストーンはナチス・ドイツの技術をもとに作られたが、海軍のロケットはオール・アメリカ製だった。また、軍用ミサイルであるレッドストーンがソ連上空を飛び、ソ連を刺激することを政府は恐れた。
*海軍のロケットは研究用として開発されていた。もっとも、ロケットとミサイルは同じものなので、何の用途であろうと実質的違いはないのだが。

諦められないフォン・ブラウンは一九五六年九月、弾頭の再突入の研究という名目でロケットの実験を行った。ただし第四段は本物のロケットではなく、砂を詰めただけのダミーだった。国防省はフォン・ブラウンがこっそり人工衛星を打ち上げようとしているのではないかと疑った。陸軍が海軍の先を越しては政治的に都合が悪かった。そこで国防省は査察官を送り込み、本当に第四段がダミーかチェックまでした。

実験は完璧に成功した。この時もし第四段に本物のロケットを使っていたら、アメリカは世界初の人工衛星打ち上げの栄誉を勝ち取り、フォン・ブラウンは幼少の頃からの夢を叶えていたはずだった。

フォン・ブラウンは議会に直接訴えた。CIAからはソ連が巨大なロケットを開発しているという情報がもたらされていた。一方、海軍の計画は遅延に遅延を重ねていた。このままではソ連に先を越されてしまうと議員を脅した。
しかし政治家の腰は重かった。理由のひとつには自国の技術力への過信があり、また一方ではソ連の技術力を根拠なく見下していたことがあった。たとえばアレン・エレンダー上院議員はこんな発言をしている。

「俺はソ連訪問から帰ってきたばかりだけど、道にほとんど自動車なんて走っていなかったし、走っていても古臭いオンボロばかりだったよ。そんな国に人工衛星なんて、できるわけないさ。」

奢るアメリカを尻目に、ソ連は密かにしたたかに、ロケット技術に資金と人員を集中投下し、アメリカに追いつき、追い抜いていたのである。

そしていまひとつ、想像力のない政治家はおろか、フォン・ブラウンすら想像できなかったことがあった。ソ連の分厚い秘密のカーテンの向こうに、彼の鏡写しのような天才技術者、もう一人の「ファウスト博士」がいたことである。

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。