嘘だらけの数字/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載16 | 『宇宙兄弟』公式サイト

嘘だらけの数字/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載16

2018.05.21
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

1969年7月20日ヒューストン時間12:18

世界の2億人の目が、テレビを通して、史上初の月着陸を目指すアポロ11号の3人の宇宙飛行士に注がれていた。

「それじゃあ猫ちゃんたち、月面で気楽にな。もしハーハーゼーゼーしてたら馬鹿にしてやるぜ。」

そう言って司令船に残るマイケル・コリンズがボタンを押すと、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンを乗せた月着陸船が司令船から切り離された。3人のうち月を歩くのはアームストロングとオルドリンの2人だけ。その間、コリンズの司令船は月面からわずか100㎞の距離を周回しながら待つ。月を手で触れるほどに間近に見ながら歩かせてもらえない。彼に与えられた役割は「留守番」だった。

その頃、ヒューストンのNASA有人宇宙飛行センターのVIPルームでは、本章の主役の1人であるジョン・ハウボルトが宇宙飛行士の会話を固唾をのんで聴いていた。ハウボルトの前の席にはNASAマーシャル飛行センターの長官に出世していたフォン・ブラウンが座っていた。たる顔ぶれが揃うVIPルームの中で、ハウボルトは明らかに場違いだった。彼にはとてもVIPと言えるような肩書きはなく、部屋の人たちのほとんどは彼を知らなかった。

なぜこんな無名の技術者がVIPルームに招かれたのだろうか?

この男がある常識を覆したからだった。「月への行き方」についての常識だった。

次ページの図を見て欲しい。これは1961年の時点でのアポロ宇宙船の構想図である。実際のものとは大きく異なっていることにお気づきだろう。何といっても巨大だ。高さ27メートルもある。しかも司令船を乗せたまま月に着陸している。

1961 年に描かれたアポロ宇宙船の想像図。
直接上昇モードを前提としているため、巨⼤な宇宙船になっている。(Credit: NASA)

これは当時想定されていた「月への行き方」が異なったからだ。こんな方法が想定されていた。

図1

上に描いたように、3人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船は地球を飛び立ったあと、直接月に着陸する。誰も月軌道で「留守番」はしない。3人仲良く月面を歩く。そして宇宙船は月を離陸し、直接地球に帰還する。

この方法は「直接上昇モード」と呼ばれた。月面から離陸するための燃料だけではなく、地球に帰還するための燃料も月面に一度着陸させなくてはならない。だから宇宙船は巨大になる。それを打ち上げるロケットはさらに巨大になる。そのために「ノバ」という、実際のアポロの打ち上げに使われたサターンVよりさらに2.5倍も大きいモンスター級ロケットが構想された。

アポロ宇宙船の設計の中心的立場にいたのは、NASAラングレー研究所のマックス・フェジットという技術者だった。フェジットは三十代でアメリカ初の有人宇宙船であるマーキュリーの設計を主導し名を上げていた。芸術家肌で、気むずかしく、他人の仕事に満足しないと臆面もなく罵倒した。身長は165㎝とアメリカ人の中ではだいぶ小さかったが、態度と口は誰よりも大きかった。フェジットは自分の正しさに絶対的な自信を持っていた。事実、ほとんどの場合においてフェジットの直感は正しかった。

フェジットも最初は直接上昇モード派だった。芸術家肌の彼はシンプルでエレガントなデザインを愛した。直接着陸し直接帰還するというシンプルさが、彼の直感に響いたのだろう。

一方、ロケット開発を指揮していたフォン・ブラウンは、下に描いたような方法で月に行くことを主張した。

図2

まず、宇宙船をいくつかのパーツに分解し、別々に地球軌道に打ち上げる。そして地球軌道上で宇宙船を組み立てる。そのあとは直接上昇モードと同じだ。直接月に着陸し、3人仲良く月面を歩き、直接帰還する。

フォン・ブラウンの方法では、別々に打ち上げた宇宙船のパーツが地球軌道上で出会い、ドッキングする必要がある。宇宙船同士が宇宙で出会うことを専門用語で「ランデブー」という。(フランス語でデートの意味である。)だからこのアイデアは「地球軌道ランデブー・モード」と呼ばれた。

このモードだとモンスター級のノバ・ロケットは必要ない。だが、代わりにサターンVロケットを複数回打ち上げなくてはいけない。しかも、月面に巨大な宇宙船を着陸させなくてはいけないという問題は未解決だった。

当時はこの2つのモード以外に現実的な解があるとは、誰も思っていなかった。どちらを選ぶにしても技術的ハードルは非常に高かった。

そこへ、ある奇抜な「第3のモード」を主張する男が現れた。ジョン・ハウボルトだった。

ハウボルトが主張したのは、アポロを歴史として知っている現在の我々にとっては当たり前となっている、こんな方法だった。

図3

図3のように、まず司令船と月着陸船の2つの宇宙船をセットで打ち上げる。月軌道到着後に両者を分離し、月着陸船は月に着陸する一方、司令船は月軌道で留守番をする。月探査を終えた後、月着陸船は月軌道で司令船とランデブーし、ドッキングする。宇宙飛行士が司令船に乗り移った後、月着陸船は投棄され、司令船のみが地球に帰還する。月軌道でのランデブーが必要なため、この方法は「月軌道ランデブー・モード」と呼ばれた。

このモードならば、地球に帰還するための燃料は月軌道に残していける。だから月着陸船ははるかに小さくて済む。そのため打ち上げもサターンVロケット1機で済む。直接上昇モードと地球軌道ランデブー・モードの欠点を一度に克服する、画期的なアイデアだった。

しかし、ハウボルトのこのアイデアに、誰一人としてまともに取り合う者はいなかった。フェジットは冷酷に言い放った。

「お前の数字は嘘だらけだ。」

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。