私もアポロ11号の月着陸を5歳の頃にテレビで見て、感動と衝撃を受けた一人です。
ブラウン管の白黒映像の中に浮かぶ、船外活動服を着て月面をジャンプして動き回る宇宙飛行士の姿を、驚きを持って見ていました。「いつも眺めているあの月に今、自分と同じ人間がいるんだ」と思うと幼心にも感慨深かったです。
それから小学一年生の時の担任の先生が、「テストの問題の回答を書き終えたら、テスト用紙の裏に好きな絵を書いていいので静かに終了時間まで待ちなさい」とおっしゃったので、よくテスト用紙の裏にはアポロ宇宙船や月への飛行の経路らしき曲線を描いたりしました。また、図書室などでも宇宙関連の本を読むようになり、月着陸の生中継のインパクトは私にはとても強かったようです。
ただ、その頃、有人宇宙飛行を行っていたのは米国と旧ソ連だけであり、宇宙飛行士たちの交信も私には理解できない英語とロシア語であったので、幼心にも「宇宙に行けるのは外国人だけなんだ」と漠然と思っていたようです。
宇宙に行くことは、雲をつかむような実現不可能な夢のようにとらえていたのが私の幼少期でしたが、航空機にも強い興味を持っていました。小学一年生のクラスの文集の寄せ書きには、同級生が将来なりたいものとして、プロ野球の選手や学校の先生などそれぞれの夢を書いていましたが、私はパイロットになりたいと記していました。
つまり、航空機を作ったり、飛ばしたりする仕事を、当時の日本人の職業として実現可能な目標ととらえ、それをめざしたいと考えていたようです。
振り返ると、私は小さい頃からロマンチストではなかったようです。できそうもないことに憧れるのではなく、小さくても実現可能な目標を定め、それを実現した時のことを思い描いて、課題にチャレンジしていくタイプでした。
私は高校まで生まれた埼玉で過ごしました。その後、九州大学の工学部航空工学科で幼い頃からめざしてきた飛行機について学ぶ機会をいただき、同大学院でも航空機の強度に関する研究に打ち込みました。
そして、卒業後は目標叶って日本航空の整備の仕事に就くことができました。大学3年生の時に、520名の尊い人命が失われたジャンボ機の御巣鷹山墜落事故をテレビで目の当たりにしました。
事故機の構造修理が原因だったこともあり、勉強してきた航空機構造の技術を活かして航空機の安全な運航を支えたいという気持ちから志望した職業であり、大きなやりがいを感じながら充実した仕事に毎日取り組んでいました。
日本航空在職中に、当時のNASDA(現JAXA)が宇宙飛行士の候補者を募集していることを知り、子どもの頃にテレビで見た月着陸の光景がフラッシュバックしました。
「挑戦するだけでもいい経験になる」という気持ちで応募しましたが、まさかそれが私の人生のターニングポイントになるとは思いもせず、そしてその先に宇宙飛行士への道が拓かれるとは予想もしていなかったのが事実です。
子どもの頃に月着陸の光景をテレビで見て、あの興奮と感動を心に刻んでいなかったら、宇宙飛行士という仕事に対する興味は生まれていなかったですし、その意味では私も確実にアポロの月着陸に影響を受けた一人だと思います。
ホーキング博士は人類の月着陸を、「地球をひとつの全体として見るよう促して、私たちの惑星、地球について新たな展望を与えた」と言っています。私も宇宙に飛んで、宇宙船や国際宇宙ステーションから地球を眺めた時、その美しさと存在感に圧倒されました。
そして同時に、全人類にとってこの惑星は、広大な宇宙にたった一つしかない私たちの故郷なのだと肌で実感しました。
国際宇宙ステーションが飛ぶ地上から高度約400キロメートルの軌道からは、直径1万3742キロメートルの地球全体を一望することはできませんが、国際宇宙ステーションは地球を約90分で1周してしまうので、巨大だと思っていた地球が小さな存在であることにも気づきます。
アポロ計画のように、もっと地球から離れて、月に向かう途中や地球から約38万キロメートル離れた月面からであれば丸い地球の全体像を眺めることができ、「地球をひとつの全体として見ている」という感覚をより強烈に持つのかもしれません。
ホーキング博士ほど、地球人類や地球文明が直面している諸問題に警鐘を鳴らし続けた科学者は稀だったように感じます。と同時に、その対策として人類の宇宙への進出を強く促した科学者としても、ホーキング博士が突出しているという印象を持ちます。
ホーキング博士は現在の地球上の状況を踏まえ、この先も人口が増大すれば、限りある資源の奪い合いが起こって人類の生存が脅かされると考えていました。さらに、そういった状況が続けば、「社会的・政治的な緊張も高まり、1962年のキューバ危機のような危機一髪のケースも増えていくだろう」と語っていました。そして、こうも。
「次の千年間のどこかの時点で、核戦争または環境の大変動により、地球が住めない場所になるのはほぼ避けられないと私は見ている。千年は長い時間だと思うかもしれないが、地質学的な時間スケールで言えばほんの一瞬だ」(『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』より)
このメッセージにも残されているように、ホーキング博士は現代から近未来に予測されている数々のリスクに対し、危機感を持っていたことがわかります。
我々もそのリスクに対して、人類の生存を懸けて手を打たなければならないのは明白です。そして地球上にある諸問題の解決に向けた取り組みを行うと同時に、その取り組みの一環として宇宙へ目を向けることが大切だとホーキング博士は言うのです。
「地球の外に目を向け、これから2世紀以内に宇宙へ入植することがただ1つの打開策であり、さもなければ人類は死に絶える」(『3分でわかるホーキング』より)
ホーキング博士は、有人宇宙開発の積極的な支持者でもありました。そのため、「有人宇宙開発の研究予算が縮小され続ければ、人類が行き詰まりの未来を迎える恐れがある」とも主張していました。このようにホーキング博士は預言めいた深刻な警告を残しています。
その一方で、自身を楽観的と評し、人類の宇宙への進出に対して明るい展望も語ってくれていたのは、宇宙開発の現場で働く私にとってはうれしいことです。
人類がその活動の場を宇宙空間に拡げ、その生存圏を他の惑星にまで拡大した時、それでも人類の宇宙を舞台にした物語は終わらないと、ホーキング博士は言っています。終わるどころか、「我々がこれから何十億年も宇宙を舞台にして繁栄を続ける物語の始まりにすぎない」というわけです。なんて壮大なビジョンなのでしょうか。
そんな時代を迎えた時、その時代に生きる宇宙飛行士たちはきっと宇宙空間を縦横無尽に駆け巡っていることを夢想すると、とてもうらやましい限りです。私も一人の宇宙飛行士として、そんな時代を生きて経験したいものです。
人類で初めて宇宙飛行を成し遂げた、当時ソビエト連邦の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、こんな言葉を残していたと伝えられています。
「明日は何が可能になるだろう。月への移住、火星旅行、小惑星上の科学ステーション、異文明との接触……。今は夢でしかないことも、未来の人々には当たり前のことになるだろう。だが、こうした遠い惑星探査に我々が参加できないことを落胆することはない。我々の時代にも、幸運はあったのだ。宇宙への第一歩を記すことができたという幸運だ。我々の後に続く者たちに、この幸運をうらやましがらせようではないか」
今、我々が立っている時代は、これから幕が開ける広大な宇宙を舞台にした「人類繁栄の物語」の序章に過ぎません。でも、そのタイミングに生まれ合わせた幸運に感謝しながら、私も今与えられている仕事を果敢に続けていきたいと思います。
※この連載記事は若田光一著『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』からの抜粋です。完全版は、ぜひこちらからお買い物求めいただけると幸いです。