次第に呼吸をすることすら辛くなり、「もしかしたら死ぬのかもしれない…」と”死”を意識しはじめた時、彼女に待ち受けていたのは、ドクターからのはっきりとした確定診断でした。
娘の一言で、“生への執着”を取り戻すことが出来たものの、心の中ではくすぶっていた。最悪のシナリオであるALSという病気が頭から離れなかった。でも、まだはっきりと、確定診断が出たわけではない。どっちつかずのままだった。この先、一体どうすればいいのかさえ分からなかった。
そんな拠り所がない気持ちを少しでも落ち着かせるために、ガラケーを夜な夜ないじって、症状から当てはまりそうな病名を探していた。その中から怪しいと思った病名をドクターに伝えた。その後すぐ、担当のドクターから連絡が来た。「とりあえずやってみよう」とのことだった。こうして私は二回目の入院を決めた。
二回目の長い入院の後、家族でハワイ旅行に行った。大切な家族と一緒に、これが最後の家族旅行かもしれないという覚悟をもって。
ハワイに行くきっかけをくれたのは友人だった。彼女とは、二回目の入院時に同室だった。彼女は生きるパワーに溢れていた。病気に負けない強さがあった。彼女は“病気だから”と自分に限界を決めず、オシャレも、旅行も、いつもの自分と同じように、好きなように好きなことをしていた。そんな彼女が好きだったし、彼女みたいに自由になりたいと思っていた。いや、私も彼女みたいに、自由になれるのだ、と気付いた。そしてハワイ旅行を決断した。
ハワイに行くきっかけをくれた友人とのツーショット
ハワイでは家族みんなでご飯を食べたり、ビーチに行ったり、ゆっくり過ごした。子供たちのはしゃぐ姿を見て、来てよかったと思いながらも、まだ心の中はもやもやしていた。もう一回家族旅行に行きたいけれど、本当に行けるのだろうか…と、カラっと晴れ渡る空の下で考えていた。
家族でハワイ旅行をした時の一枚
どっちつかずな私の気持ちの一方で、体は病気に対してとても正直だった。ハワイ旅行の後から、呼吸がだんだんと苦しくなっていったのだ。心臓が締め付けられるように痛い。あまりの苦しさに、休日にも関わらず親に頼み込んで、病院に連れて行ってもらったこともあった。たいていは一瞬で痛みが引くのだが、それでも体から発せられるSOSは力強く、辛かった。
この時から、一人でいる時と寝る前は、必ず薬を服用するようになっていた。そして点滴を打つために入院した。もう既に、全身が動かせなくなっていた。動くのは、指先、顔そして首だけ。体が動かないと、頭ではいろんなことを考えてしまう。この頃の私は、自分の死を意識していた。呼吸が上手く出来ないから、もしかしたら死ぬのかもしれない、と思い始めていた。
唯一、寝ている時間だけは苦しさを感じずにすんだ。現実から少しだけ抜け出せる時間だった。だから、目覚めた瞬間、呼吸苦が始まると思うと、朝を迎えることに恐怖を感じずにはいられなかった。たいていなら、寝ている間に死ぬかもしれないから夜が怖い、と思うのだろう。しかし、私は逆だった。朝が来るのが怖かった。
そして確定診断の時が訪れた。
普通であれば、その時だけ個室に通され、病名を告げられる形を想像するだろう。私もそうだった。私とドクターしかいない部屋で、「残念ですが…」と、病名を宣告されると思っていた。もしかしたら、夫が隣にいるかもしれないが、静かなところで、孤独の中でひっそりと事実を受け入れ、涙を流すと思っていた。
だが、確定診断は私の部屋で行われた。部屋には私とドクターだけではなく、たくさんのドクター・研修医・学生がいた。イメージとは真逆だった。まさかそんな状況で確定診断を受けるなんて、少しも思わなかった。
いきなり多くの人に囲まれて、ただでさえ不安を感じている中で、ドクターはただ、私にこう告げた。
「呼吸筋が機能していないから、酒井さんはALSだね。」
教授の言葉を聞いた瞬間、何も考えられなくなった。気付けば、悲しみや絶望感からくる涙がただただ大きな粒となり、次々と顔を伝っていた。その頃には手も動かせず、自分で拭うことすら出来なかった。たくさんの人の前で、ただ涙を流し続けるしかなかった。泣き顔なんて人に見せたくないのに、見せるしかなかった。
なんてひどい告知の仕方なんだろう。まるで、生きることから突き放された気分だった。たくさんの人に囲まれているのに、私だけひとりぼっちでいるようだった。愛する家族という、私を支えてくれる存在すら、一人も隣にいなかった。私の目からあふれる涙を、代わりに拭いてくれる人すらいなかった。
たった一人でこの結果を受け入れなければともがいている私に、ドクターが声をかけた。
「酒井さんには小さなお子さんが二人もいらっしゃる。そのお子さんの成長を見届ける義務がある!」
彼の言葉を聞いた私は、我に返った。そして周りを見渡した。そこには確かに、家族ではないけれど、これからの私を支えてくれる人々の顔が見えた。
たった一人で、静かな個室で確定診断を受けていたら、病気であるという事実を受け止めきれず、押しつぶされていたかもしれない。“多くの人に囲まれた中での確定診断”は、そうなると分かっていたドクターの優しさからだったのだろう。
それに、私には家族がいる。今隣に彼らはいないけれど、いつも私を支えてくれている大切な存在だ。彼らの成長を見届けるために、彼らと一日も長く過ごしたい。
まるで、ドクターに「生きていいんだよ」と背中を押された気分だった。 “ALSに負けずに生きたい”と、強く思える、そんな確定診断だった。
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<著者プロフィール>
酒井ひとみ
東京都出身。2007年6月頃にALSを発症。”ALSはきっといつか治る病気だ”という強い意志をもちながら、ALSの理解を深める為の啓蒙活動に取り組んでいる。仕事や子育てをしながら、夫と2人の子供と楽しく生活している。
これまでの回を読む
第一回▶ 私の名前は酒井ひとみです ーALSと生きるー
第二回▶ ALS発症と、最初の受診
第三回▶ せめて病名さえはっきりすれば…
第四回▶ 思うように動かない体…私は何の病気なの?
第五回▶ 突然の宣告と初めての涙
第六回▶ 私がママだ!!