「これはいけるかもしれない!」
そのアイデアが脳に閃いたとき、僕は、体も拭かずにシャワーから飛び出した。そしてフルチンにメガネだけかけてパソコンを開き、計算を始めた。
なぜ僕はそんなに興奮していたのか。いままで人類が到達したことのない星に探査機を送り込むことを可能にするかもしれないアイデアを、たった今、思いついたからだった。パンツなんてはいている場合ではなかった。
言うまでもなく、宇宙に行くにはロケットを使う。地球から宇宙に飛び立つ時だけでなく、宇宙に出たあとも、宇宙船を加速したり減速したりするためには、現在のところ実用的な手段はロケットしかない。だが、ロケットとは非常に効率の悪い乗り物である。たとえば、アポロ計画に使われた巨大な月ロケットは、3000トンもの重さうちの91%が燃料だ。月面に降りる宇宙船の重さはわずか0.5%でしかない。
しかも、宇宙ではブレーキをかけるにも燃料を使う必要がある。地球ならば地面や空気との摩擦を使えば簡単に減速できるが、宇宙にはそれがないからだ。だから、ヒビトが乗った宇宙船は、月に着いたら、宇宙船を後ろ向きの姿勢にし、ロケットを進行方向と逆向きに噴射して減速しなくてはならない。さもなければ月を通り過ぎてしまう。
このロケットの効率の悪さが、宇宙探査の最大の足かせのひとつである。たとえば、昨年に無人探査機のボイジャーが太陽系の外側に到達したというニュースがあったが、打ち上げてから実に35年もの時間を要した。これがロケットの限界なのだ。
また、ボイジャーは太陽系の果ての天王星や海王星にまで到達したが、ただ近くを通り過ぎただけであった。来夏にはニューホライズンズという探査機が冥王星に到着するが、これも超高速でその近くを通り過ぎるだけである。なぜかといえば、ブレーキをかけて止まるには莫大な量の燃料がいるからだ。そしてそんな量の燃料を積んだ宇宙船を太陽系の果てまで送るには、途方もなく大きなロケットが必要になるからだ。
そこで僕は考えた。頑張って燃料を使い自力で飛ばなくても、道端で車をヒッチハイクするように、何かに乗っかって、他力本願に宇宙を飛べないものかと。しかし、もちろん宇宙に車なんて走っていない。では何に乗ればよいのか?
答えは空にあった。その頃ちょうど、ISON彗星の接近が、天文マニアの間でニュースになっていた。その日も僕は早起きして夜明け前の空にISON彗星を見つけようとして、見つけられなかった。仕事から帰ってシャワーを浴びている時もなんとなくそのことが頭にあった。
そして閃いたのだった。彗星をヒッチハイクすればいいのだ、と。
彗星はまさに、太陽系を縦断する車みたいなものだ。殆どの彗星は太陽系のはるか彼方からやってきて、超高速で地球や太陽のそばを通り過ぎ、また太陽系のはるか彼方に去っていく。それに飛び乗れば、燃料を使わずとも太陽系の果てまで短い時間で到達できるだろう。そう、僕は考えた。
問題は、どうやって超高速の彗星に飛び乗るかである。車と違って彗星は止まってくれない。全裸でパソコンを叩いて簡単な計算をしたところ、最低でも秒速約10キロ、つまり東京から大阪までわずか50秒で行くようなスピードで飛び乗らなくてはならないことが分かった。
そこでこんな仕組みを考えた。まず、宇宙船に長い紐と銛を積んでおく。そして彗星の近くまで行き、魚に釣り針を引っ掛けるように、彗星に銛を打ち込んで紐の一端を固定する。そして彗星に引っ張ってもらうのである。もちろん、急に引っ張られては紐が切れてしまうだろうし、そうでなくても急な加速で宇宙船が壊れてしまう。そこで、魚釣りと同じ要領で、張力を保ちつつ紐を繰り出していくのだ。十分な長さの紐があれば、いずれ宇宙船は彗星に追いつくことができる。
もう少し考えると、同じ仕組みをブレーキにも使えることに気付いた。つまり、たとえば冥王星を通り過ぎるときに銛を打ち込み、紐を繰り出しながら減速して止まるのである。
冥王星だけではない。1990年代以降、海王星よりも遠い太陽系の果てに、カイパーベルト天体(KBO)と呼ばれる小惑星が大量に存在することが分かった。中には冥王星よりも大きなものもあった。(この発見が、冥王星が準惑星に「降格」させられた直接的な原因である。)未発見のものも含めると、直径100km以上のKBOが10万個も存在すると見積もられている。既存の技術では、KBOに行くことはできても止まることはできず、ただ通り過ぎるしかなかった。このヒッチハイクのアイデアは、KBOの周りを回ったり着陸したりして腰をすえた探査をすることを可能にするかもしれないのだ。
しかし、秒速10キロもの加速や減速に耐えるだけの軽くて丈夫な紐を作ることなど、本当に可能なのか。僕は全裸のままさらに調べたり計算したりした。その結果、カーボンナノチューブと呼ばれる、鉄の数十倍もの強度を持つ素材を用いれば、それが不可能ではないことが分かったのだ!
もちろん、紙の上での計算ではつじつまが合っても、常識的に考えれば気の狂ったアイデアであることに変わりはない。彗星をヒッチハイクするには長さ1000キロもの紐がいる。現在の技術では、カーボンナノチューブはほんの数ミリの繊維しかできていない。これをよりあわせて長い紐を作る技術も研究されているが、まだまだ研究段階である。そもそも、秒速10キロもの高速で銛を打ち込んで、確実に紐を固定できるのかもわからない。
いろいろと考えた結果、彗星のヒッチハイクには現実的な困難が山ほどあることが分かった。しかし一方で、これが不可能であると断言する理由も、ひとつも見つからなかった。そして、もし万が一これが実現すれば、それは宇宙開発に革命をもたらす可能性があった。ようやくパンツをはいた頃、これは研究をしてみる価値があるアイデアだという直感を得るに至った。
だが、ここで現実に立ち返る必要があった。良いアイデアを思いつけばすぐに研究を始められるほど、現実は甘くない。お金が必要だからだ。
前回の記事に書いたとおり、JPLでは、何も物を買ったりしなくても、仕事として時間を使うには、その時間の自分の給料を出すための研究費がなくてはならない。しかも、この研究を行うには、彗星の専門家、宇宙軌道の専門家や、紐(テザー)の専門家など、さまざまな人の協力を得る必要があった。彼らが使う時間分の給料を払うためのお金も必要だった。
夢を叶えるにはお金がいる。これが現実なのである。夢は持たなくては叶わないが、持つだけでも叶わないのだ。現実という泥の中に恐れず手を突っ込みつつも、夢は一切汚さず純粋なままで持ち続けること。それが、夢を叶えるための条件なのである。
そして、研究費を獲得するまでには激しい競争がある。世の中には頭のいい人が大勢いて、それぞれが良いアイデアを持ち、それを実現するためのお金を得ようと必死になっている。夢と夢との勝負、アイデアとアイデアとの競争が、そこにあるのだ。
その競争に飛び込み、勝ち抜くこと。それが、僕が服を着た次にするべきことだった。
(つづく)
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彗星ヒッチハイカーについてさらに詳しくは下記からご覧になれます。
NASAがクレイジーでハイリスクな研究に予算を付けるわけ
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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。
本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。
さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。
■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
《号外》史上初!ついに冥王星に到着!!NASA技術者が語る探査機ニューホライズンズへの期待
第11回<前編>:宇宙でエッチ
第11回<後編>:宇宙でエッチ
《号外》火星に生命は存在したのか?世界が議論する!探査ローバーの着陸地は?
第12回<前編>:宇宙人はいるのか? 「いないほうがおかしい!」と思う観測的根拠
第12回<中編>:宇宙人はいるのか? ヒマワリ型衛星で地球外生命の証拠を探せ!
第12回<後編>:宇宙人はいるのか? NASAが本気で地球外生命を探すわけ
第13回:堀北真希は本当に実在するのか?アポロ捏造説の形而上学
《号外》火星の水を地球の菌で汚してしまうリスク
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第15回:NASA技術者が読む『下町ロケット』~技術へのこだわりは賢か愚か?