朝7時。携帯電話の目覚ましの爽やかなメロディーが無遠慮に鳴る。ぼんやりと目を開けると、ワンルームの部屋の絨毯の上に散乱した衣類や書類が見える。絵に描いたような単身赴任の男の部屋である。しぶしぶ起き上がり、フトンをたたむ。日本から持ってきたニトリのフトンだ。アメリカに計8年住んでも習慣は抜けない。未だに寝るのはフトンだし、靴は玄関で脱ぐし、朝食はごはんと味噌汁である。
(イラスト・ちく和ぶこんぶ)
窓のシェードを開ける。もう10月だというのに、今日も夏のように晴れている。ロサンゼルスの空は年がら年中快晴だ。五月晴れとか秋晴れとか、そんな情緒などない。とにかく毎日、何も考えずに晴れている。引っ越してすぐの頃は毎日爽やかに晴れているのが気持ちよかった。しかし、それから5ヶ月経ったこの頃になると、さすがにうんざりするようになった。
もうひとつ、この頃に心境の変化があった。あんなに夢見たNASAジェット推進研究所(JPL)なのに、出勤する時に気が重くなったのである。
(イラスト・ちく和ぶこんぶ)
理由ははっきりしていた。数日前に受けたあるひとつの「宣告」のせいだった。JPLへの転職以来5ヶ月間、一生懸命に取り組んできたプロジェクトがあった。将来の火星ローバー(無人探査車)ミッションの安全性解析のプロジェクトだった。僕は自分の仕事に自信を持っていた。だからこそ、プロジェクトマネージャーからこう告げられた時のショックは大きかった。
「悪いが君にはこのプロジェクトから外れてもらう」と。
これは日本企業でいう配置換えではない。次にどのプロジェクトに入るか、誰も面倒をみてくれないのだ。ならば仕事が減っていいではないか、と思われるかもしれないが、そうはいかない。プロジェクトに入っていないと、給料が払われないのだ。
どういうことか。JPLはプロジェクト・ベースの職場である。日々の仕事は「部」「課」といった部署ごとではなく、プロジェクトごとに行われる。それぞれのプロジェクトには決められた期間と予算があり、メンバーは様々な部署の人材からなる混成メンバーであることが多い。
一人の職員はたいてい複数のプロジェクトに携わっている。そして、職員の給料は、費やした時間に応じて、プロジェクトの予算から支払われる。たとえば僕がある週に三つのプロジェクトに50%, 30%, 20%の割合で時間を使ったとしよう。すると僕のその週の給料は、この割合でそれぞれのプロジェクトの予算から支払われるのだ。
『宇宙兄弟』の読者のみなさんは、宇宙飛行士に選ばれても自動的にミッションに任命されることがないのをご存知だろう。同じように、JPLに正規雇用された職員でも、自動的にプロジェクトへ配属されることはないのだ。だから、職場内で「就職活動」をしなくてはいけない。完全に自己責任である。そして、どこのプロジェクトからも雇ってもらえない職員は給料をフルにもらえず、辞めるしかなくなるのである。「窓際族」は存在し得ないのだ。
JPL内の就職活動
僕は、外されたプロジェクトに25%の時間を使っていた。だから、25%分の「就職活動」をしなくてはいけなかった。所内にあまりコネのない新人の僕にとって、なかなか簡単なことではなかった。
たとえば、火星ローバー「キュリオシティー」の運用(平たく言えば運転手)の仕事の募集があった。僕はそれに応募し、面接を受けたのだが、選ばれなかった。
だが、自分が選ばれなったことよりももっと悔しかったのは、日頃親しくしていて、一緒のプロジェクトで仕事をしたこともある年の近い同僚が、選ばれていたことだった。職場の雰囲気は友好的で、同僚がお互いを蹴落としあうなどということはない。それでもこうして潜在的に仲間同士が競争に晒されていることを、実感せざるを得なかった。
捨てる神あれば拾う神あり、だ。僕の過去の仕事を評価してくれているマネージャーがいて、あるとき彼が「この問題を解けないか」と僕に持ちかけてきた。将来の火星探査の検討に関するもので、とても面白そうな仕事だった。このチャンスを決して逃すまいと思った。解けるか解けないかの問題ではなく、解くか解かないかの問題だった。
それから1ヶ月ほどかけ、週末の時間を主に使い、僕は必死に考えた。そして思いついたソリューションをスライド30枚にまとめ、再びそのマネージャーにアポをとって、プレゼンテーションした。Goサインが出て、彼のプロジェクトに雇われることになった。
その週末は久しぶりに心の軽い週末だった。僕の毎週末の予定の第一は、まだ東京にいる妻とのスカイプである。テストで良い点を取って母親に誇らしげに報告する子どものような気持ちで、僕は妻にその朗報を話した。
彗星とユーレカ
実は、「就職活動」をする以外に、もうひとつプロジェクトを見つける方法がある。自分でプロジェクトを作ってしまうという方法だ。会社に雇われるのではなく、起業して自分が会社を持つようなものだ。
JPLの所員なら誰でも、良いアイデアを思いつき、プロポーザル(提案書)を書いて自力で研究費を取れば、自分のプロジェクトを立ち上げることができる。当然、マネージャーは自分だ。そして必要な人材を選んで雇うこともできる。歳は関係ない。 新人がマネージャーとして年上の人を雇うこともできる。
もちろん、研究費を取るには「就職活動」以上に厳しい競争がある。倍率は良くて10倍、厳しいものは100倍近いだろう。
それでも頑張る価値はある。やはり、自分の思いついたアイデアを実現するために、人の上に立って働くこと以上に楽しいことはないからだ。
クリスマス休暇の前、NIAC(NASA Innovative Advanced Concept)というプログラムの研究費の公募がメールで回ってきた。このNIACは少し変わったプログラムだ。トンカチとモノを作ったり、コツコツとプログラムを書いたりするのではなく、SFと現実のすれすれ境界のぶっ飛んだアイデアを研究するためのプログラムなのである。当たれば、研究費は10万ドル、約1000万円だ。
問題は、その「ぶっ飛んだアイデア」が何か、である。あれやこれやと考えたが、どれも革新的なアイデアとは言い難かった。
その頃、ISON彗星が地球に近づいていて、世紀の大彗星になるかもしれないと言われていた。(実際には期待はずれだったのだが。彗星の明るさの予想は難しいのである。)僕はそれを見るために、夜明け前に起きて空を探したが、見つけることはできなかった。残念無念と部屋に戻り、シャワーを浴びた。
その時だった。僕の頭に閃きが走った。その閃きが果たして良いアイデアかどうか、シャワーを浴びながら暫く考えた。
これはいけるかもしれない。そう思ったとき、興奮した僕は、体も拭かずにシャワーから飛び出していた。
(つづく)
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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。
本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。
さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。
■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
《号外》史上初!ついに冥王星に到着!!NASA技術者が語る探査機ニューホライズンズへの期待
第11回<前編>:宇宙でエッチ
第11回<後編>:宇宙でエッチ
《号外》火星に生命は存在したのか?世界が議論する!探査ローバーの着陸地は?
第12回<前編>:宇宙人はいるのか? 「いないほうがおかしい!」と思う観測的根拠
第12回<中編>:宇宙人はいるのか? ヒマワリ型衛星で地球外生命の証拠を探せ!
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第15回:NASA技術者が読む『下町ロケット』~技術へのこだわりは賢か愚か?