NASA日本人技術者、待ちに待った夢の舞台-宇宙兄弟

《第1回》宇宙人生ーーNASAで働く日本人技術者の挑戦

2014.08.03
text by:編集部コルク
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(イラスト・ちく和ぶこんぶ)

第1回 待ちに待った夢の舞台

飛行機が最終着陸態勢に入ったというアナウンスが流れた。窓の外の眼下には大都会・ロサンゼルスが広がっていた。その広がりを堰き止めるように、街の北に連なる山脈がある。僕は目をこらして、その麓にあるはずの、とある場所を探した。見つけるのは簡単だった。

それはNASAジェット推進研究所(JPL)。NASAは全米に10のフィールドセンターを持つのだが、有人宇宙飛行を担当するヒューストンのジョンソン宇宙センターに対し、ロサンゼルス近郊のパサデナ市にあるJPLは無人宇宙探査の総本山である。世界で唯一、太陽系の全ての惑星に探査機を送り込んだ機関であり、エクスプローラー1号、ボイジャー、キュリオシティーなど、宇宙探査の歴史を切り拓いた探査機の生まれ故郷である。そしてそここそが、翌週からの僕の職場なのだ。

初出勤の日、僕は仮住まいのホテルから車で20 kmほど高速を走り、JPLに到着した。入り口に大きく掲げられたNASAのロゴを見て、胸が感慨で満たされた。「いよいよ」というよりも「やっと」という思いだった。小学生のころに僕はひとつの夢を抱いた。あれから24年もかかった。そしてやっと今、その夢の入り口に辿り着いた。

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(JPLの入り口で記念撮影をする小野さん)

ここに来ることを僕はどれほど切望したことか。真っ直ぐな道ではなかった。大志を抱いてMITに留学するも、その途中に夢を見失い迷った時期があった。就職活動でも一度はJPLから落とされた。幸運にも得た再チャレンジのチャンスに必死でしがみつき、なんとか手に入れた、夢の場所への入場券だった。

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JPLの新人研修は1日しかない。いや、こんな退屈なものは1日で十分だ。職場のパソコンでエロ動画を見たらいけませんだなんて、言われなくても分かっている。所内にクマが出ることがあるから注意しましょうだなんて、注意したところでどうなるものでもない。死んだフリの練習をさせられなかっただけ、よしとしよう。

通年採用なので「同期」という概念はないが、同日入社の人ならばいる。新人研修で3人の同日入社の職員と会った。最も目立っていたのは、ピンクのワンピースにヒールという気合たっぷりの格好で乗り込んできた、カナダ人のねーちゃんだ。彼女と見事に対照的だったのが、よれたシャツを着た、太ったアメリカ人のオジサンだった。彼は長くコントラクター(契約社員)としてJPLに勤め、今日から晴れて正規の職員になったそうだ。もう一人は小柄なインド系の若い女性だった。自己紹介の順番が回ってくると、照れくさそうな上目遣いで話した。いろんな人がいるものだなあ、と思った。

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(JPLに毎夕出没する鹿)

新人研修から開放された後、僕はある「もの」に挨拶をするために、フォン・カルマン講堂という、JPLの設立者の名を冠した建物に向かった。幸いにもその時間は何もイベントが行われておらず、誰もいないひっそりとした大部屋に、数百脚のイスが整然と並んでいた。

その部屋の、ステージに向かって左手の側面に、乗用車が丸々乗ってしまうほど大きな白いお椀のようなものが置かれており、それを乗せた黒い箱の前後からツノのようなものが突き出している。宇宙探査機ボイジャーの実物大模型である。ボイジャーとは「旅人」という意味で、その名の通り、1977年に打ち上げられた後、木星、土星、天王星、海王星と旅をし、2012年にはじめて太陽系を出た人工物となった探査機だ。

このボイジャーこそが、僕の夢の原点だった。1989年、ボイジャーは太陽系の果ての惑星・海王星に到着した。そのニュースを、小学1年生だった僕は、天文マニアだった父と一緒に、テレビにかじりついて見ていた。人類がその時はじめて間近に見た海王星は、透き通るような青い色をした、美しい星だった。その青は地球の海の色とも空の色とも違っていた。モルフォ蝶の青い羽のように神秘的で、青の時代のピカソの絵のように孤独だった。六歳の僕の心に刺青のように掘り込まれ、その後に僕を宇宙の道へと導いたのは、あの青だったのだ。

「やっと僕もここまで来たよ。」ボイジャーに向かって、僕は心の中で、そう語りかけた。

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(フォン・カルマン講堂にて展示されているボイジャーの実物大模型)

***

二日目からさっそく仕事が始まった。JPLはプロジェクトベースの職場で、たいていの職員は複数のプロジェクトを掛け持ちする。僕が入ったプロジェクトの第一が、「小惑星捕獲計画」だった。

日本の探査機「はやぶさ」は、世界ではじめて、小惑星の砂粒を地球に持ち帰る快挙を上げた。(その業績はもちろんこちらでも非常に高く評価されている。)それに対してNASAの小惑星捕獲計画は、約1000トンもの小惑星をまるまるひとつ持って帰ろうという、なんともスケールの大きい話だ。

まず、無人宇宙船を送って小惑星を「捕獲」し、それを月の近くにまで持ち帰る。その後に宇宙飛行士を乗せたオリオン宇宙船を打ち上げて、人類初の有人小惑星探査を行う、という段取りである。(『宇宙兄弟』の作中では真壁と新田がこのミッションに任命されている。)

僕が担当したのが、その無人宇宙船の、小惑星を捕獲する機構のシミュレーションと最適化だった。宇宙開発といったって、日々の仕事は地味なものである。ひたすらコンピューターに向かって、夜遅くまでカタカタとプログラムを書く。その作業風景は普通の会社のエンジニアと変わるものではない。なかなか思い通りに動いてくれなくてイライラが溜まり、コンピューターにコーヒーをぶっかけたくなる衝動を寸前でこらえるのも同じである。

だがそんな時、手を休め、目を閉じて、大きな視点から自分が今している仕事のことを考える。この泥臭い作業の結果が、5年、10年先に、本当に宇宙を飛び、小惑星を持って帰ってくる。そして何かとんでもない大発見をもたらす。そんな空想がいつも、夜遅くに一人残って頑張る僕の力となった。

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4ヶ月後、小惑星捕獲計画のレビュー(審査会)が、ワシントン市にあるNASAの本部で行われた。もちろん僕のような下っ端が直接行くわけはなく、マネージャーがJPLのチームを代表して成果を発表するのだ。

彼が発表する数十枚のパワーポイントのスライドの中に、僕が4ヶ月間、寝る間を惜しんで出した成果についてのスライドが、2枚だけあった。たった2枚だ。それでも僕は満足だった。ほんの少しであれ、僕の仕事がはじめてNASAの宇宙開発に貢献したのだ。それは人類にとってはほんの小さな一歩だったかもしれない。しかし、僕という一人の人間にとっては、とてつもなく大きな一歩だった。

僕に割り当てられたいまひとつのプロジェクトが、将来の火星ローバー(無人探査車)の安全性についての解析だった。良い成果を出して認めてもらおうと、鼻息荒く取り組んだ。5人程度のチームによるプロジェクトだったのだが、毎月のレビューでのプレゼンテーションで、スライドの半分を僕の出した結果が占めたこともあった。僕は自分の仕事に自信があった。

だからその5ヵ月後のミーティングで、プロジェクトマネージャーからこう告げられたとき、僕はカナヅチで頭を殴られたようなショックを受けた。

「悪いが君にはプロジェクトから外れてもらう」と。

(つづく)

 

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コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!

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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。

本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。

■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
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