「せりか基金」を立ち上げると決めてからたくさん相談をしてきましたが、改めてご報告と相談のため担当のスタッフ一同は、東京・江戸川区の川べりにあるマンションまで、酒井ひとみさんを訪ねました。
酒井さんが日々を過ごす部屋で、お話をさせていただくことに。酒井さんの眼前には、視線入力で会話をするためのPCモニターが据えられています。
「ちょうど機器を新調したところなんです。こんなに違うのか! というくらい性能がよくて快適。これでエッセイの原稿も書きやすくなりそう。どんどん進むはず、ですよ」
と、「宇宙兄弟」サイトで連載いただいているコラム「私の名前は酒井ひとみです-ALSと生きる-」(https://koyama-official.sakura.ne.jp/wp/column/column_category/als/)も、これからますます快調かつ活発になっていくと約束してくれました。
いよいよ「せりか基金」、始まります! まずはスタッフがプロジェクト始動のご報告。ALS患者として、この取り組みにはどんな意味と意義がありますか? そう問うと、
「とてもいいことだと思いますよ」
と喜んでくれました。
「こういう動きがあるんだと、多くの人に知ってもらえるのがまずは何より大事ですから。それが研究者の方々へのいい刺激になって、彼らがいっそうがんばってくれることを期待したいです」
患者としては、希望の素を生んでくれる研究者を励ましたいのは当然だとのこと。同時に、「まだまだ、もっとがんばって!」と発破をかけたい気持ちもあるのかなと、酒井さんの言葉から感じられるのですが……。
「そう、ぜひ、さらにがんばってほしい! と心から思います。だって、私もこの病気になってもう10年。治療ができるようになるころにはおばあちゃんになってしまうかもしれませんからね。
この分野を研究する方も研究の数も、以前よりはずっと増えてきているから、実現の可能性は高くなっていると思うんです。研究にはどうしても時間がかかるのはよくわかっているんですけど……」
せりか基金は「治療」の研究にあてられるというのが、大切なポイントだと酒井さんはいいます。症状を抑えたり、遅くするのではなく、ALSの症状を改善して「治る」ための開発を目指す。
「私は病状が進行して、もう身体が動きません。できることなら、治る薬が欲しいんです」
酒井さん自身は、近い将来、治療薬ができることを信じていますか?
「できればいいな。いいなあと思っています、もちろん。
ただ、国の政策としては、まだまだ整っていないというのが実際のところ。私たちALS患者が生きやすい環境へと進んでいるとは言えない状況なのが残念です。それでも、この病気の存在を知ってくれる人が格段に増えて、応援してもらえる機会もずっと多くなっているのは明るい兆し。
自分のことをいえば、もし治療方法がわかるのにすごく時間がかかったり、またはできなかったとしても、私は悔いの残らない人生を送りたいんですよね。なので、毎日楽しいことができるようにと考えています」
「せりか基金」がその一助になれたら! と、スタッフも意を新たにした次第です。
人工呼吸器をつけている酒井さん、コミュニケーションの手段は基本的に視線入力の機器に頼るので、会話中は両眼がひっきりなしに動くことになります。
その分、両眼は疲れもするし、乾きにも襲われるよう。途中でしばしばヘルパーさんに目薬をさしてもらいながら、酒井さんは語り続けてくれます。
ときに、酒井さんがいま、いちばん楽しいことって何ですか?
「仕事ですかね。同じ病気の人と話をして、相手の生活をすこしでもよくできたらと。『宇宙兄弟』サイトにコラムを載せるようになってからは、いろんな相談をメッセンジャーに投げかけてくれる人が、すごく増えたんですよ」
一般社団法人日本ALS協会理事の肩書きを持つ酒井さん、ALS患者との交流や情報提供にも積極的なのです。そういえば、ここは酒井さんのご自宅。家族との生活も、もちろん楽しいことがいっぱいですよね?
「はい。あ、でも最近、娘とはよくケンカしてしまうのですよ……。高校に入ったばかりなのに、真夜中まで何かゴソゴソやっているんですよ。学校生活に支障がなければいいんですけど……。息子のほうは中三になりましたけど、私とぶつかる姉の姿を見て賢く生きようとしているのか、反抗期もまだないんですよね……」
思春期の子を持つ親のたいへんさは、どの家庭でも同じようです。酒井さんは家庭のこと、病気のこと、いろいろ包み隠さずお話してくださいますが、こうして取材を受けたりすること、体力的にきつかったり、精神的に辛くはないのでしょうか。
「ぜんぜんだいじょうぶですよ。むしろどんどん聞いていただいて、話をさせてもらって、私たちALS患者の抱える悩みをぜひ知ってもらいたい。病気を精神的に乗り越えた人なら、たぶんまったく問題ないんですよ。まだ病気を受け入れられない人、受け入れる過程にある人にとっては、取材に答えるといったことはなかなか難しいのかもしれませんけどね」
伝え、知ってもらい、関心を持ってもらうことを、酒井さんは自身の役割と任じているのですね。
では酒井さん、これからも「宇宙兄弟」とともに、ALSのことをもっと知ってもらえるよう、いっしょに歩いていっていただけますか? 「せりか基金」も、ぜひ応援・ご協力のほど、よろしくお願いします!
「もちろん、よろしくお願いします」
帰り際、「宇宙兄弟」と酒井さんが二人三脚で進む姿を想像していて、ふと思い至りました。ALS患者の方の暮らす世界は、六太や日々人、せりから宇宙飛行士と、少し共通点があるのでは? 小さな宇宙船から出られず、外界に働きかける手段はごくわずか。でも、意思を発してつながりを持つことはもちろんできて……、というところが。
「ああ、それはたしかにありますね。『宇宙兄弟』のなかの話でいえば、私がすごく共感したのは、日々人が月面で活動していたとき、酸素供給の手段が絶たれ、苦しんでいた場面です。身体が動かないのとは違いますが、病気で苦しい体験を何度もしたことのある私には、痛いほど気持ちが伝わってきましたね。ただ、宇宙飛行士との違いを挙げるなら、身体は動きませんが私たちは、人の手を借りれば好きなところに行ったりできる。宇宙飛行士よりはるかにいい環境だと、いまは思いますよ」
酒井さんから発せられる強い言葉の数々に、訪ねたこちらが励まされた思いでした。酒井さんからいただいた勇気を、こんどは私たちがもっと多くの人へ伝え、広めていかねば! と決意を深めさせてもらえる時間となりました。
カメラマン:伊澤絵里奈
ライター:山内宏泰(@reading_photo)
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→ https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/
<酒井ひとみさんプロフィール>
東京都出身。2007年6月頃にALSを発症。”ALSはきっといつか治る病気だ”という強い意志をもちながら、ALSの理解を深める為の啓蒙活動に取り組んでいる。仕事や子育てをしながら、夫と2人の子供と楽しく生活している。