宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士の働き方-宇宙兄弟

《第1回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士の働き方

2015.12.23
text by:編集部コルク
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第1回
宇宙飛行士の働き方
宇宙飛行士選抜試験は言わずと知れた宇宙飛行士の登竜門。その倍率は178倍から572倍です。しかし、この超難関の試験をパスすれば、誰でも晴れて宇宙飛行士! というわけではありません。
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。

みなさんは宇宙飛行士の人生をどんなものだと想像しますか?
まずは宇宙飛行士の人生を実際のビジネスシーン、つまり会社人生になぞらえながらお話ししていきたいと思います。

●飛ばない〝新人〟宇宙飛行士時代

いわゆるビジネスパーソンとなる人は、たとえば魅力的な先輩がいる会社に憧れて入社試験を受け、採用されれば新人として仕事に明け暮れ、主任としてチームを率いることが求められたり、係長、課長と出世街道を進み、部長などの管理職を経て経営層に抜擢(ばってき)されたり、より自分らしいキャリア・人生を求めて転職や退職をしていきます。
ビジネスパーソンが仕事に明け暮れるのと同様に、宇宙飛行士はミッション・訓練に明け暮れる人生を送ります。

倍率178~572倍という、超難関の選抜試験をクリアすると「晴れて宇宙飛行士になる」と思われる人もいるかもしれません。しかし選抜試験で選ばれる段階では、まだ新人中の新人、つまり「宇宙飛行士〝候補者〟」なのです。

「平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項」の「はじめに」にも、

宇宙航空研究開発機構(JAXA)では、国際宇宙ステーション(ISS:International Space Station)に長期間搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者を募集します。今回募集する宇宙飛行士候補者は、宇宙飛行士として認定された後、ISS搭乗が決定すれば、最長6ヶ月間程度ISSに滞在し、「きぼう」日本実験棟(JEM:Japanese Experiment Module)を含むISSの操作・保守及び様々な分野の利用ミッションを担当する予定です。

と書かれており、候補者を募集する旨を明示しています。
選抜試験については追って詳述しますが、書類選抜、筆記試験(教養、専門)、英語試験(筆記、ヒアリング)、閉鎖環境で行われる真っ白なジグソーパズル「ホワイトジグソーパズル」(もう選抜では使われていません)で有名な長期滞在適性検査、医学検査、心理適性検査、そして数々の面接試験を約1年間かけて行います。
また、採用の事務局を務める私たちJAXA職員は、多くの専門家と一丸となり、この選抜試験の準備にも丸1年間をかけて臨みます。

晴れて選抜試験を勝ち残ることができると、宇宙飛行士に必要とされる基礎的な技量や知識を取得する「基礎訓練」とともに宇宙飛行士候補者としての新人時代が始まります。基礎訓練はもっともハードな訓練と言われているとともに、候補者たちにはこの訓練の後に宇宙飛行士認定を勝ち取るという、最初の大きなハードルが課せられています。幸いなことにJAXAの中で宇宙飛行士になれなかったり、宇宙に行けなかった候補者はいません。時間とお金がかかることですから、候補者も訓練を担当するインストラクターも必死になって訓練するのです。
基礎訓練の中では、まず「一般基礎知識習得訓練」で宇宙に関する基礎的な知識・技能を取得し、「基本技量習得訓練」で国際宇宙ステーションや船外活動などの実際の運用について学びます。
また、「基本行動習得訓練」では宇宙飛行士らしいチーム行動の他に、メディア対応を身につけることが求められます。インタビューやテレビ出演等でどのように振る舞うかも「訓練」として位置づけられているのです。これらに加え、もちろん国際宇宙ステーションの共通語である英語・ロシア語を学ぶ「語学能力向上訓練」もあります。

基礎訓練時代は、訓練したら家で復習し、また翌日の訓練に備えるという毎日が続きます。分厚いものでは5㎝ほどの厚さのテキストが、机の上に何冊も並び、約2年間、明けても暮れても試験・訓練漬けという毎日を送ります。
みなさんは、目が吊(つ)り上がってくるほどに本を読んだことがありますか? 大学受験や卒業論文などで一時的に経験されることがあったかもしれませんね。目が吊り上がってくるほどにマニュアルを読むというのが、かつて私がフライトディレクター候補者として、宇宙飛行士と同等の基本的な運用訓練を7ヶ月間受けた時の勉強量のレベルでした。これは実際に訓練を受ける宇宙飛行士の肌感覚と近いと考えられます。よって、宇宙飛行士候補者は、目を吊り上げながらマニュアルを読みこなして訓練に臨む日々が2年間続くと言えるでしょう。ただし、宇宙飛行士候補者のみなさんは、私とは違って気持ちの切り替えが上手な人たちです。目が吊り上がるような集中力で訓練に励んでいる一方で、厳しい訓練の中に楽しみを見出せる気持ちの余裕を持ち合わせています。

また、宇宙飛行士の訓練では、復習のためのホームワーク形式の課題等の他に、予習してきているかどうかをインストラクターに質問されるのも特徴です。すなわち、訓練が始まる前に「今日の訓練のポイントは何?」と、訓練の目的をインストラクターが聞いてくるのです。
宇宙飛行士候補者がここで答えられなければ、予習してこなかったことがバレてしまいます。減点の対象にはならないまでも、恥ずかしいものです(もちろんJAXAにはそんな宇宙飛行士はいません)。なんといっても、自分が宇宙飛行士になるための訓練なのに、自分にとって何のためになるかを把握していないわけですから。こうした予習不足などへの周囲からの評価が積み重なれば、自分が宇宙に行くまでの時間が延びてしまうかもしれませんね。だから宇宙飛行士候補者はみな、必死で予習してついてくるのです。
宇宙飛行士の訓練は、一方的に与えられるものではなく、あくまで自分で身につけていくためのものであり、その自己管理能力も常に試されているのです。

また、訓練は先輩の宇宙飛行士と知り合う場でもあります。周囲を見渡せば、テレビや本で目にし、耳にしてきた宇宙飛行士がたくさんいます。候補者たちは、彼らといっしょに訓練をしていくことになります。
マニュアルを熟読し、座学を積むだけでは知識は得られても、技術は身につきません。
そこで、自分でやってみながら先輩から技術を盗む、ということが大切になってきます。新入社員が先輩の仕事の仕方や、会議でプレゼンの技術を盗んだりすることと似ています。
それに加え、自分の名前を覚えてもらうことも大切です。たとえばNASAだけでも宇宙飛行士は85人もいます(2013年4月現在)。その中で自分は誰で、どんな能力を持っているかを知ってもらうことが大切です。そのためには訓練だけではなく、宇宙飛行士仲間たちのパーティ等の交流の場にも積極的に顔を出し、自分がどういう人間なのかを知ってもらうことも、新人時代には必要不可欠です。
先輩飛行士はみな、将来自分がいっしょに宇宙に行く可能性のある人です。自分に存在感がなく、知り合いもいなければ、誰もいっしょに飛んでくれはしません。自分のチャンスは自分で摑(つか)まなければなりません。

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新人時代は先輩をよく見て、時に技術を盗みながら、自分を知ってもらうことが何よりも大切な時期です。

●超音速の中で宇宙へのチャンスをつかめ!

2年間の基礎訓練が終わり、晴れて宇宙飛行士に認定されれば、ようやく宇宙飛行士を名乗ることが許されます。これ以降は名刺にも宇宙飛行士と書かれますし、世間からも、世界各国の宇宙機関からも宇宙飛行士と呼ばれます。しかしまだ宇宙には行けませんし、新人時代は続きます。宇宙飛行士の卵たちは、すぐさま「維持向上訓練」に突入していきます。

維持向上訓練はミッションへのアサイン、つまり宇宙飛行が決まるまでの〝待ち時間〟の間、ずっと繰り返される、将来の宇宙飛行に備えるための訓練です。若田光一宇宙飛行士、油井宇宙飛行士、大西宇宙飛行士のように運良くアサインが早く、1年~数年間で終わる場合もあれば、うまくタイミングが合わなければ、古川宇宙飛行士のように認定されてから9年間も待たされる場合もあります。優秀だからといって早くアサインされるというわけではないため、初飛行までは運が良くて4~5年、タイミングが合わなければ10年以上もの時間がかかることになります。

この段階になると、訓練に加えて「ジョブアサインメント」という仕事が与えられます。ジョブアサインメントでは、宇宙飛行士の専門性や得意な分野を考慮して、ロボティックスや船外活動等の技術部門に配属され、実際の仕事が与えられます。新人時代のジョブアサインメントでは、先輩宇宙飛行士から仕事のやり方を教わる、いわゆるOJT(On-the-Job Training)の色合いが濃いといえます。
新人宇宙飛行士は、ジョブアサインメントで経験を積むことで、宇宙飛行に必要な、より実践的な技量や知識を身につけるとともに、自分の専門性に磨きをかけていきます。そしてその間に彼らは宇宙飛行士として成長し、新人宇宙飛行士の手本となる行動が求められる段階としての中堅宇宙飛行士へとステップアップしていきます。よって、宇宙に行ったらすぐ中堅、というわけではありません。宇宙に行ったことがある者と無い者が混在しているのが中堅宇宙飛行士です。個人差はありますが、だいたい宇宙飛行士に認定されて5~15年くらいの宇宙飛行士が中堅に該当すると私は思っています。
中堅時代は、高い技量と豊富な知識を持ち合わせていることはもちろん、気力・体力も充実しています。宇宙飛行士として、まさに〝脂が乗っている〟時代です。新人時代とは違い、訓練では常に高いパフォーマンスを求められると同時に、新人宇宙飛行士の指導役を任されます。ジョブアサインメントではより実践的で難しい仕事を与えられ、具体的な結果を出すことが期待されます。一般のビジネスシーンにおける中堅社員と同じですね。

新人から中堅の宇宙飛行士にとって、特に重要視される訓練のひとつに、T-38ジェット練習機(T-38 Talon)による航空機操縦訓練があります。
これは最大速度マッハ1.08という、音速で空を駆けるジェット機の操縦訓練です。約1分半で山手(やまのて)線を1周する音速の中では、ほんの少しの判断の遅れや操縦ミスが自分の生命だけではなく、同乗している仲間の生命をも奪う重大事故につながります。こうしたストレス下での操縦訓練を通し、宇宙飛行士たちはマルチタスク(通信、計器チェック、操舵(そうだ)などの同時並行作業)に磨きをかけていくのです。
T-38の航空機操縦訓練は新人時代から始まります。新人時代は操縦技術を磨くことで精一杯ですが、中堅時代になると、評価のされ方もレベルが上がります。T-38の操縦を通し、いかに先輩宇宙飛行士に認めてもらうかということが、訓練および評価の一部になってくるのです。

訓練に使用するT-38は2人乗りで、前席と後席に分かれます。前席には操縦を専門に教える操縦教官あるいはアメリカ軍の戦闘機パイロットだった宇宙飛行士が機長として乗り込みます。JAXAの宇宙飛行士は全員、「バックシーター」と呼ばれる後席の副操縦士としての役割を担います。
機長は前席で操縦を担うわけですが、飛行時には常に、後部座席の宇宙飛行士が「的確に自分をサポートしてくれているか」「トラブルがあった時の対応は適切か」「そもそも仕事ができる人材か」を観察しています。練習機での訓練と言っても、音速で飛ぶジェット機ですから、何か事故が起これば死に直結します。本当に信頼できる人間かどうかを見極めようとするのは至極当然のことです。
つまり機長らは、後席に座る宇宙飛行士が「プロフェッショナルと呼べる人材」か否かを常に見極めようとしているのです。したがって、後部座席に座る中堅宇宙飛行士にとっては、訓練で積み重ねてきた知識や技量を最大限に活かして、自分のプロフェッショナルとしての腕をアピールすることが求められます。

こうした時期は、ビジネスのシーンで言えば、同行している部下が、訪問先のプレゼンなどできちんとサポートしてくれるかどうかを先輩社員が観察しているのとよく似ています。デキる上司は、言われなければ何もできない部下といっしょに仕事をしたいとは決して思いません。プレゼンに欲しかった補足資料がいつの間にか用意されている、配るためのプリントがちゃんと印刷されて用意されているといった、言われずとも先が読める、デキる部下こそが先輩に認められるのです。そして、そういった人にこそ、先輩や上司はより大きな仕事の機会を与えます。宇宙飛行士にとってはその機会が宇宙であり、ミッションへのアサインなのです。

また、中堅時代には訓練と平行して、ジョブアサインメントでより高い成果を出すことも求められます。たとえばロボティックスや船外活動の手順書の手順が適切かどうかを検証するといった、実践的な仕事で、適切なPDCA(計画、実行、評価、改善)を行える宇宙飛行士は、実際の宇宙でも仕事ができると判断され、宇宙飛行への重要な評価となります。
ジョブアサインメントでの仕事ぶりや訓練で高い評価を得ると、国際宇宙ステーションへの搭乗割り当てのチャンスが〝ぐっと〟近づきます。

新人時代も基礎訓練で大変ですが、中堅時代は宇宙に行けるかどうかという自分の将来が決まる、非常に大事な時期です。中堅段階でプロフェッショナルとして一定の成熟を迎えなければ、ミッションにアサインされる機会が遅くなります。もちろん運にも左右されますが、みな必死で、宇宙へ目がけて飛ぼうとする、「気が抜けない」時期と言えるでしょう。
また、晴れてアサインされ、ようやくミッションに入れると思っても、国際宇宙ステーションの場合では2年半に及ぶ「国際宇宙ステーション固有訓練」があります。これ以降の訓練は主にNASAとロシアで行われます。このためISSにアサインされた宇宙飛行士は、生活の半分はロシア、もう半分はアメリカとなり、地上にいても家族とは離れ離れです。
そしてひとたび国際宇宙ステーションに搭乗すれば、東から太陽が昇り、西へと沈んでいく24時間は90分になり、目の前には常に地球がある日々を約半年間過ごします。宇宙飛行士にとっては、まさに叶(かな)った夢の中にいる日々です。感動的な日々の中で、彼らは実験などの様々なミッションの傍ら、軌道上訓練を行います。そして地球へ戻ってきた宇宙飛行士は、再び維持向上訓練を繰り返して次のミッションでのアサインを待つというサイクルに戻ります。
こうして宇宙飛行士は、地上と宇宙で訓練と仕事に明け暮れる「日常」を送り、技術を磨き、経験を重ねていく中で、常にプロフェッショナルとは何かという自問自答を繰り返していくのです。

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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。41fO7W2PoTL._SX312_BO1,204,203,200_

<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。