無名の技術者の反抗/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載17 | 『宇宙兄弟』公式サイト

無名の技術者の反抗/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載17

2018.05.25
text by:編集部コルク
アイコン:X アイコン:Facebook

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

もちろん、フェジットは理由もなく月軌道ランデブー・モードをこき下ろしたのではない。当時の技術では、ランデブーのリスクが高すぎると思われたからだ。

もし月軌道ランデブーに失敗したら、月着陸船の宇宙飛行士が地球に帰る術はない。司令船で留守番をしていた宇宙飛行士は仲間を生きたまま見捨てて帰るしかなくなる。見捨てた仲間の最期の声を、電波を通して聞きながら……。一方、地球軌道ランデブーならば失敗しても地球に安全に帰還できる。

なぜランデブーが難しいのか? 想像してほしい。月は地球より小さいとはいえ、その表面積はアフリカ大陸よりも広い。アフリカ大陸のどこかにいる二匹のライオンが、GPSもなしに待ち合わせ通りに落ち合うことなど可能だろうか? しかも司令船は時速6000㎞もの猛スピードで飛んでいる。速度も正確に一致させなければドッキングはできない。そしてチャンスは一度しかない。失敗すれば宇宙飛行士は死ぬ。

リスクはあまりにも高いと思われた。ハウボルトは何度も月軌道ランデブーを売り込んだが、皆の反応は同じだった。

「クレイジーだ。」

なぜ、ハウボルトは折れなかったのだろうか? 全員を敵に回し、自らの評価とキャリアをリスクに晒し、お偉いさんに罵言を浴びせられてもなお、なぜ彼は月軌道ランデブーを諦めなかったのだろうか? 同僚の忠告に耳を傾け、それに従う方がよほど楽だったのではなかろうか?

頑固なハウボルトはそんなことは微塵も思わなかったに違いない。彼はこう言い捨てた。

「奴らは思っていた通りのアホだ。」

そして月軌道ランデブーの研究を続けたのだった。

ハウボルトは常識よりも自らの数字を信じた。そして研究すればするほど、月軌道ランデブーが最良であるという確信は深まるばかりだった。布教を根気強く続けるうちに、少しずつハウボルトの意見に耳を傾ける人が出てきはしたが、こんな地道な牛歩ではNASAという巨大組織を動かすのに何百年かかるか知れなかった。

そこで1961年、上司の頭を何階層も飛び越してNASA副長官のロバート・シーマンスに直接手紙を書いた。もちろん普通なら許されることではなかった。その手紙は聖書から引用した言葉で始まっていた。

「荒野に呼ばわる者の声として、いくつかの考えを伝えさせてください。」

そして情熱的に月軌道ランデブーの利点を説き、こんな言葉で再考を促した。

「あなたは月に行きたいのですか、行きたくないのですか? 」

この手紙はNASA上層部に回覧された。ある高官はこうコメントした。

「ハウボルト博士は組織のルールを逸脱しているとはいえ、彼の主張の多くの点に同意せざるを得ない。」

この手紙をきっかけにNASA本部も少しずつ動き出した。

その頃、ラングレー研究所内ではフェジットらによる宇宙船の設計が多くの難題にぶつかっていた。どうすれば一台の宇宙船に月着陸と地球帰還の二つの機能を詰め込めるのか? 巨大な宇宙船が月に着陸するときに、どうやって下方視界を確保するのか?

これらの問題をエレガントに解決する方法が、ひとつだけあった。月軌道ランデブーだった。月軌道ランデブーならば、それぞれの宇宙船はひとつの機能に特化できる。しかも宇宙船ははるかに小さくて済む。ランデブーがネックだったが、ハウボルトの研究により、ランデブーの難易度も思ったほどには高くはないことがわかってきた。

そうして、徐々に月軌道ランデブー派に「改宗」するものが現れだした。 強硬に直接上昇モードを主張していたフェジットもいつの間にかこっそりと「改宗」した。

もちろん、エゴの強いフェジットは自分が間違っていたことは決して認めなかったし、ハウボルトの業績を認めることもしなかった。数年後にパーティーで二人が顔を合わせた時、フェジットは調子よくこう言い放ったという。

「月軌道ランデブーが一番いいことなんて、誰でも5分考えればすぐにわかるぜ。」

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


『一千億分の八』読者のためのFacebookグループ・『宇宙船ピークオッド』
宇宙兄弟HPで連載中のコラム『一千億分の八』の読者のためのFacebookグループ『宇宙船ピークオッド』ができました!
小野さん手書きの図解原画や未公開の原稿・コラム制作秘話など、ここでのみ得られる情報がいっぱい!コラムを読んでいただいた方ならどなたでも参加可能です^^登録はこちらから
https://www.facebook.com/groups/spaceshippequod/

『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』の元となった人気連載、『一千億分の八』をイッキ読みしたい方はこちらから
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?
【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
【第8回】〈一千億分の八〉ロケットはなぜまっすぐ飛ぶのか?V-2のブレイクスルー、誘導制御システムの仕組み
【第9回】〈一千億分の八〉スプートニクは歌う 〜フォン・ブラウンが戦ったもうひとつの「冷戦」
【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。