NASAに飾られた一枚の「塗り絵」/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載30 | 『宇宙兄弟』公式サイト

NASAに飾られた一枚の「塗り絵」/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載30

2018.07.20
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

僕が勤めるNASAジェット推進研究所(JPL)は、年中快晴のロサンゼルス郊外の、アロヨ・セコという普段はほぼ枯れている川が山から平野に流れ出す場所にある。空の青さ相応に、所内の文化もカジュアルで自由だ。六千人の職員のうちネクタイを締める人はほぼおらず、 マネージャーでさえTシャツと短パンで出勤することも珍しくない。僕もたまに下駄で出勤する。

そんなJPLの186号棟のオフィスの壁に、一枚の「ぬり絵」が額に入れられて大切に飾られている。紙を赤や茶色やピンクのパステルで塗りつぶしただけの手描きの絵だ。近づいてみると、紙には無数の数字がタイプされている。まるでイタズラ好きの子供が、父親のカバンから盗み出したデータシートに落書きしたようだ。

なぜこんなぬり絵がNASAで大事に保存されているのか?

実はこれは、史上初の「デジタル画像」である。しかし、なぜ手書きのパステル画なのに「デジタル」なのだろうか?

そしてこの絵には、火星の素顔を初めて見た人類の様々な感情がこもっている。破裂せんばかりの期待。抑えられない興奮。そして、「あの子はやっぱり僕に気がないんだ」と思い込んだ若者のような落胆と孤独が。

左:NASA ジェット推進研究所の壁に飾られている「ぬり絵」 Credit: NASA-Caltech/JPL/Dan Goods
右:「塗り絵」の拡大画像(撮影:筆者)

 

火星探査の話を始める前に、いかにして惑星へ航海するかについて、少しお話ししよう。

惑星への飛行は昔の帆船の航海と似ている面がある。帆船は航海できるタイミングが限られていた。たとえばイスラム黄金時代のアラブ商人は、北風の吹く冬にアラビアからアフリカへ航海し、南風の吹く夏にアラビアへ戻った。

地球から火星へ航海できるタイミングは2年2ヶ月に一度しかない。2年2ヶ月に一度、内側を公転する地球が外側をゆっくり公転する火星を追い抜く。そのおよそ4ヶ月前から2ヶ月後までの間が出帆のタイミングだ。航路が開く期間を「ローンチ・ウィンドウ」と呼ぶ。

地球を出帆した船は、図のように太陽を約半周回って火星に着く「ホーマン軌道」と呼ばれる航路を取る。航海には約8ヶ月かかる。まっすぐ飛ばないのは、この方がはるかに少ない燃料で行けるからだ。ホーマン軌道で航海する宇宙船から見ると、火星をめがけて飛んでいるのではなく、火星が斜め前からだんだん近づいてくるように見える。

火星に着いても、何もしなければ船はそのまま通り過ぎてしまう。ロケットを逆噴射して減速し、重力に捉えられなくては「入港」できない。初期の火星・金星探査機には減速のための燃料を積む余裕がなかった。特急電車のように惑星を高速で通過するわずかな時間に、写真を撮ったり科学観測したりしなくてはならなかった。このようなミッションを「フライバイ」という。

航海は簡単ではない。現在までに火星を目指した探査機は45ある。そのうち成功したのは23機だけだ。

惑星を目指した初めての船は、1960年のローンチ・ウィンドウに打ち上げられた二機のソ連の火星探査機だったが、両者とも失敗した。ソ連はさらに1961年に初の金星探査機を、1962年には三機の火星探査機を打ち上げたが、やはり全て失敗した。史上初めて惑星への航海に成功したのは、1962年に打ち上げられたアメリカの金星探査機マリナー2号である初めて火星フライバイに成功したのは、1964年のウィンドウで打ち上げられた、やはりアメリカのマリナー4号だった。

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。