そこに何かいるに違いない。初期の楽観的な想像は、カール・セーガンが「地球の」と呼んだ宇宙観の変化からもたらされた。
古の人々にとって、宇宙に世界はひとつしかなかった。今、我々が足で踏みしめているこの世界、この大地だ。では空に輝く星々や惑星は何なのか? その認識は文化によってまちまちで、ある人々は光る石と考え、ある人々は空に穿たれた針の穴と考え、ある人々は神の化身と考えた。いずれにしても、まさか夜空に淡く光る小さな点の一つ一つが、大地と同じかそれ以上に大きなものだとは誰も思わなかった。西洋言語で地球(terra, earth, etc)とは「地」の意味だ。「地」は宇宙で唯一無二の地位を占めていた。「宇宙に何かいるか?」という問いは、この宇宙観からは生まれ得なかった。
地球に最初の「降格」をもたらしたのは、紀元前五世紀の古代ギリシャに生きたデモクリトスだった。彼は記録に残る限り初めて、宇宙には無数に世界があり、「地」はそのひとつに過ぎないという考えに至った。その考えは自然と「そこに何かいるのか?」という問いを生んだ。「いるだろう」。デモクリトスは考えた。
しかし、たとえ地球が「オンリー・ワン」から「ワン・オヴ・メニー」に降格しても、依然として宇宙における特権的地位は失っていなかった。天動説、つまり地球が宇宙の中心にあるという考えは、アリストテレス以来二千年にわたって揺らぐことはなかった。地動説がなかなか世に受け入れられなかった理由は、それが神の創りし地の決定的な「降格」を意味するからだった。地球の降格はまた、人類の無知の克服の過程でもあった。カール・セーガンが「偉大なる降格」と呼んだ所以である。
地動説を唱えたのはご存じのとおりコペルニクスだが、それに科学的整合性を与えたのは十七世紀のヨハネス・ケプラーだった。全ての惑星は太陽を焦点とする楕円軌道を回るというケプラーの法則は、後にニュートンによる万有引力の発見に結びつき、現代においても探査機のナビゲーションに欠かせないツールとなっている。地球は宇宙において特別ではないという認識は自然と、命ある世界も地球だけではなかろうという想像に繋がったのだと思う。あまり知られていないケプラーの著作の中に、『夢』と題された月世界についての小説がある。もっとも、この頃はフィクションとノンフィクションに明確な区別はなく、科学的著述と想像が入り混じった作品である。ある意味、SFの先駆けと言えるかもしれない。その中にこんな一節がある。
ここ(月)の土から生まれるものは全て怪物のような大きさだ。成長はとても速い。全ての生物の体は重たいため、寿命は短い。プリボルビアン(月の裏側の住人)は定まった棲家を持たない。日中、彼らは干上がり行く水を求め、ラクダより長い足を使って、また翼や舟を使って月世界を動き回る。
地球外生命や宇宙人への想像は海からも来ただろう。ケプラーが生きたのは大航海時代末期だった。地図にまだ空白が多く残されており、船乗りは競うようにその空白を目指した。大洋に隔てられた新大陸にも原住民がおり、絶海の孤島にすら豊かな生物相があった。人と獣と草は、空と海と土と同じくらいに普遍的なものだった。ならば宇宙にも、と考えるのは自然であっただろう。
天文学の進歩はその想像をさらに膨らませた。たとえば、十七世紀から十九世紀にかけて、火星の一日の長さ(24時間40分)や自転軸の傾き(25度)が地球と非常に近いことがわかり、季節変化や大気が存在し、極地方には「極冠」と呼ばれる氷があることもわかった。自ずと「火星人」のイマジネーションが生まれた。
十九世紀後半、イタリアの天文学者スキアパレッリは火星に直線的な地形を見つけ、それを“canali”と呼んだ。それが「運河」を意味するcanalsという英語に誤訳され、それを見たアメリカの大富豪ローウェルのイマジネーションに火を付けた。彼は私財を投じて天文台を建設し、自ら望遠鏡を覗いて火星を見てみると、果たして本当に運河が「見えた」のである。「これは火星が知的かつ建設的な生命の棲み家であることの直接的証拠である」とローウェルは宣言した。
ちょうどこの頃、ジュール・ベルヌの成功を受けて多数のSF作家が世に出ていた。自然と、多くのSF作品が宇宙人をテーマに取り上げた。中でも1898年に出版されたH.G.ウェルズの『宇宙戦争』はその後の宇宙人観に絶大な影響を与えた。お馴染みのタコ形の火星人は、この小説から生まれたものである。「残虐な宇宙人による地球侵略」という、現代のSFでも度々取り上げられるテーマのさきがけも、この小説だった。
その後、望遠鏡の解像度が上がり、火星の運河は否定され、知的文明の存在も懐疑的に見られるようになった。それでも、初めて宇宙探査機が火星を訪れた一九六五年まで、火星に何らかの生命がいるという想像は異端ではなかった。たとえば、大シルチス台地などにある黒い地形は植物によるものではないか、と考える者もいた。科学は生命の存在を積極的に肯定はしなかったが、かといって否定もしなかった。
1950年代までは「金星人」もおかしな想像ではなかった。金星はサイズも質量も地球とほぼ同じである。太陽に近いため多くの熱を受けるが、惑星全体が反射率の高い雲に覆われているため、ちょうど火山灰が空を覆って気候を寒冷化させるような仕組みで、地表温度は地球と大差ないだろうと考えられていた。人々は金星の分厚い雲の下に海があり、川が流れ、森があり、花が咲く世界を想像した。金星人をテーマにしたSFも多く書かれた。
右:H.G.ウェルズの⼩説『宇宙戦争』に登場した⽕星⼈。
もし何百光年か離れた星にある文明の天文学者が太陽系を観測したら、同じように考えるかもしれない。金星はハビタブルゾーンのわずかに内側にあり、火星はハビタブルゾーンの中にある。ハビタブルゾーンとは、恒星から近すぎず、遠すぎず、適度な大気圧下で液体の水が存在できるリング状のゾーンである。宇宙人の天文学者は、太陽系には生命が存在しうる惑星が二つないし三つある、と考えるかもしれない。
現代の我々は、金星や火星が生命にとって住みよい環境ではないことを知っている。金星の表面は460℃、95気圧の地獄のような世界だ。一方、火星は南極のような寒冷砂漠である。赤道付近では夏に気温が氷点を超えることもあるが、平均気温はマイナス63℃で、極度の乾燥状態にある。これは太陽から遠いためではなく、大気が薄すぎるためだ。温室効果が不十分な上、標高が高い地域では気圧が水の三重点を下回るため、いかなる温度でも水は液体で存在できない。ならば人工的に火星の大気を濃くすれば居住可能な世界にできるのではないか、というアイデアが「テラフォーミング」である。
スプートニクが宇宙で歌い、アポロ計画が月を目指して動き出した頃も、金星や火星に生命がいるという想像は衰えていなかった。だから、1960年代に人類が初めて惑星探査機を送り出した時、最大の興味のひとつは生命だった。「何かいるのか?」とある人は期待した。またある人は「何がいるのか」と想像した。
しかし、その想像はたった二機の探査機によってシャボン玉が弾けるように儚く消えることになる。