宇宙船開発に捧げた技術者魂
アメリカ名門大学の宇宙航空学科を卒業後、同大物理研究所での勤務を経てNASDA(現JAXA)に入社した植松洋彦。
最初に参加した実験棟モジュール製造のプロジェクトは、ようやく形になろうとしていた矢先、突然中止に……。
目標と行き場をなくし落胆する植松が、次に配属されたのは、宇宙ステーション補給機HTV(H─Ⅱ Transfer Vehicle)の開発プロジェクトだった。HTVは国際宇宙ステーションへ食糧や衣類、各種実験装置などを送り届ける無人補給船。改良次第では有人化の可能性も秘めている。
数々のトラブルを乗り越え活躍するHTVの姿に、植松はさらなる夢を描いている。
Comic Character
福田直人
「どうやら私の夢も まだ続いていくらしい」
【職業】 スイングバイ技術職員
【出身地】 日本
【略歴】
六太と同じ宇宙飛行士選抜試験を最年長の54歳で再受験し、3次試験まで残るも夢敗れたロケット開発技術者の福田直人。その後、日本初の有人宇宙船開発を目指す民間企業に誘われ入社。再び宇宙へチャレンジする道を選んだ。「自ら開発した有人宇宙船で宇宙へ行く。」という子供の頃からの〝終わらない夢"を追いかけ続けている。
Real Character
植松洋彦
「周りの状況をよく聞いて、よく見て、よく全体を把握する。」
【職業】 チーフエンジニア 兼 HTV技術センターセンター長
【生年月日】 1963年
【出身地】 日本・京都府
【略歴】
1986年3月 東京大学工学部航空学科宇宙工学コース卒業
1993年10月 米スタンフォード大学宇宙航空学科博士課程修了後、同大ハンセン実験物理研究所特別研究員に就任
1997年11月 NASDA(現JAXA)に入社。宇宙ステーションプログラム『セントリフュージプロジェクト』に配属
2006年1月 宇宙ステーションプログラム『HTVプロジェクト』に配属
2016年10月 有人宇宙技術部門HTV技術センター センター長に就任
2018年4月 チーフエンジニアに就任
大きな挫折と大きな気づき
●最初のプロジェクトの挫折から、ようやく訪れた成功だったわけですね
植松「やっとつかんだ成功体験でしたね。そもそも最初に挫折を味わったその『セントリュージプロジェクト』は、アメリカのISSにおける実験モジュールを日本が製造して提供する代わりに、『きぼう日本実験棟』をスペースシャトルで打ち上げてもらうという契約だったんです。『きぼう』の開発で有人実験施設の開発ノウハウはすでにあったので、NASAからこういうものが欲しいという要求書に従って製造するわけです。『セントリフュージ』とは遠心分離機を意味していて、実験のために重力を制御する能力を持つ施設になる予定だったんです」
●どのくらいの段階まで進んでいたんですか?
植松「フライトモデルを作り始めている状況でした。それで急にプロジェクトがキャンセルになりました。8年ほど心血を注いできた仕事でした」
●なぜキャンセルに?
植松「単純にNASAの予算の関係です。その頃、ISS計画の大幅な見直しの最中でして、NASAの予算計画において『セントリフュージプロジェクト』のプライオリティが下がったのが理由です」
●8年もの歳月を費やしてきたプロジェクトですよね。どんな気持ちでしたか?
植松「それはもう泣きましたね。私はNASDA時代に入社してからこのプロジェクトに携わってきて、結局最後はプロジェクトメンバーの中で、私が一番の古株になっていました。メンバーはみんな家族みたいなものでしたし、青臭く聞こえますが、命懸けで作ってきたんです。キャンセルになったといわれたときには、もうショックという言葉ではいい表せない状態でしたね。もう悔しいとか苦しいを通り越して、ただただダメージが大きかった。まぁそれ以来、ちょっと仕事に対する考え方が変わりましたけど」
●どんな変化があったんですか?
植松「まずは、それまで私のデスクにあった山のような書類を、次の日に全部捨てました。捨て過ぎて机の上がまっさらになってしまって」
●全部捨てたというのは?
植松「プロジェクトに関する資料を一切合切です。何だったんでしょうね?それまで背負ってきたものが多過ぎたので、とにかくそれを全部降ろそうと。精神的にも肉体的にも一旦降ろさなきゃ、次に進めないと思ったんでしょうね。それ以前の私は、『あれもこれも俺がやらなきゃ』と思い詰める傾向があったんですが、あの一件以来、『できることをできる範囲でやればいいんだ』と思えるようになりました」
●いい意味でこだわりがなくなったわけですね
植松「そうです。これまでは、自分がやらなくちゃという気負いが強過ぎて体調を崩したときもあったんですが、少し肩の力を抜いて、やれることをやればいいんだとスイッチが切り替わりました」
NASAが大嫌い
●挫折が大きな気づきにつながったんですね
植松「この経験は決して無駄ではなかったです。というか『絶対無駄にしまい』と思いました。実際に次に移ったHTVのプロジェクトでも使えるような知見が多くありましたしね。ただ一番勉強になったのは、NASAとのつき合い方です。前のプロジェクトでは、NASAとの調整がものすごく大変だったので、そのNASAとやり合えた経験は『もうこの先どこで何をやっても大丈夫だ』という自信につながりました。HTVの開発においても、NASAと調整する部分があったので、そこでその経験は生かされました。まぁでもあのキャンセルの一件で、NASAは大嫌いになってましたけどね(笑)。こんなこといったら怒られるかもしれないけど、私、大嫌いですNASA(笑)。たまに、NASAのエンジニア連中が来日したときなどに懇親会に誘われるんですが、絶対参加しませんね。もうNASAと聞くだけで足が向かない。まぁ半分冗談ということで(笑)」
●ということは半分は本気(笑)
植松「実は筑波宇宙センターには、あのプロジェクトで製作段階だったモジュールが展示されています。その内部に設置する予定だった実験装置を入れるラックだけは、プロジェクトがキャンセルになったときにはほぼ完成していたので、せっかく作ったんだからということでNASAに引き取ってもらっていました。ただそれもずっとNASAでお蔵入りになっていたんですが、今になって結局もったいないから使おうということになり、実はその実験ラックが、この前HTV7号機で打ち上げられて、今ISSで使われているんです」
●期せずして一矢報いた感じですね。HTVで打ち上げることになったのも何かの縁。幸せを運ぶ『こうのとり』という愛称ですから
植松「実はHTVの開発に携わってきた現場の人間として、こんなこといったら怒られるかもしれないけど、正直いうと『こうのとり』という名前はですね……」
●公募で『こうのとり』と選ばれましたよね
植松「最初、個人的にはコテコテ過ぎるかなと思いましてね。『幸せを運ぶこうのとり』というイメージがちょっとね(笑)。私はどちらかというと、HTVはゴツゴツした感じの宇宙船ですから、もう少しカッコイイというか、力強いネーミングが好みだったんですよ。だから『こうのとり』に決まったと聞いたとき、最初は『え〜!』という気持ちで(笑)。でもこれが何年か経ってくると、不思議とその名前がしっくりくるようになって。『ISSに大切な物資を運ぶ宇宙を飛ぶこうのとり』ということでね。だから今は、とても気に入ってます」
宇宙開発の最終目標とは?
●宇宙開発の意義をどう考えていますか?
植松「やはり、宇宙開発という分野は、夢やロマンがあります。でも実はいたって現実的な仕事なんです。結論をいえば、最終的な目標は『人類移住計画』だと思っています。そういうとSFのような響きがありますが。でももし人類がこの太陽系の寿命より長く文明を持続させていくのなら、結果としてこの地球から太陽系外へと生存圏を広げる必要が出てくるのは明白です。壮大な話になりますが、今はその準備段階だと思います。その意味で、日々の宇宙開発におけるさまざまな進展は、小さな一歩に見えますが、人類にとって重要な一歩です。また、それほどはるか未来にまで話が飛ばなくても、隕石の落下やその他の要因で、いつ地球という星が生命の生存に適さない環境に変化するかは、誰も予測できません。ただ、いつかは予測できないけど、いつ起こってもおかしくないことだけはわかっています。
●確かに私たちは常にそのリスクにさらされていますね
植松宇宙開発の現場には、夢やロマンを求める以上に、人類がその種と文明を存続させていく上で、いたって現実的な意義と意味があるんです。我々はそのために必要な技術と知見を、現在もこれからも、確実に蓄積していかなければならないと考えています」
●その現場で今、植松さんはチーフエンジニアという後進を育てる立場でもありますが
植松「私はどちらかというと、ものすごく緩い上司でね。みんなを残して私は定時で帰りますというような(笑)。まぁそれでもいくつかアドバイスしていることはあります。これは、私が若い頃に先輩にいわれていたことでもありますが、『周りをよく観察しなさい』ということですね。例えば立場が分かれて議論になっているとき、まずはその間に立ってじっくりその話をよく聞けと。なぜこの人はこういう意見をいっていて、一方こちらでは、なぜそれに異を唱えているのか。自分の意見は後回しでいいから、周りの状況も含めてよく聞いて、よく見て、よく全体を把握しなさいということです。あとは若い人は放っておいても仕事するので、もうどんどん突っ走っていいからねと。もし間違った方向に行きそうになったら、そのときは首根っこ引っつかんで連れ戻すからと。止まれといわれるまで走り抜けということです。私もそういうスタイルでやってきたので」
●そんなふうに上司に言ってもらえるなら、何だか無性に走りたくなります(笑)
植松「今の現場でも私はほぼ周りに任せていますが、その代わり周りをよく観察して、ちょっとヤバそうだなと感じたときにだけ、少しいわせてもらうような感じです。でもみんな優秀なんで、あまりいうことないんですけどね(笑)」
【チーフエンジニア、リアル】
「NASAが大嫌い」といえる男
植松さんの口から「NASAが大嫌い」という台詞が飛び出たとき、驚いたと同時に痛快だった。宇宙開発の現場にいれば、その先端を走るNASAは憧れの対象であり、目指すべき高みであるはず。加えてアメリカ名門大学で宇宙航空学を修め、卒業後は同大の研究所に勤務してきた植松さん。その人が胸を張って「NASAが大嫌い」といったのだ。
もちろん要因は、植松さんが長年携わってきたNASA発注のプロジェクトが突如中止になるという因縁によるもの。でも、それだけその仕事に膨大な情熱とエネルギーを注いできたということなのだろう。そんな話を聞いてしまうと、NASAのロゴが入ったTシャツを着れば、意味もなくご満悦になれる『NASAファン』の自分のお気楽さが恥ずかしい。
「この歳で転んだりして、あざを作って会議に出るのはまずいから」と、趣味のタッチラグビーを控えめに楽しむ植松さん。でも植松さんなら、あざだらけで会議に出ても、逆にカッコイイと思うのだ。
チーフエンジニアのスキル5
<1> 前向きな姿勢
植松「楽な仕事はありません。宇宙開発ももちろん楽な仕事ではなく、ましてや有人開発ともなれば人命に関わることになります。そんなリスクの中、日々の失敗やトラブルを乗り越えるには、前向きな姿勢を保ち、希望を持つしかありません」
<2> リーダーシップ
植松「HTVの軌道上での不具合は、判断の遅れが大きな影響を招きます。困難な局面に遭遇したときこそ、迅速かつ正確な判断が大切です。そのためには、自分が責任を持つという気概と、その気概を周りへ意思表示することが大切です」
<3> コミュニケーション力
植松「仕事をする中で、何かいい残したような顔の奴はいないか、自分のいいたいことを漏らさずいえているか、気をつけて見ています。何か心に引っかかっているような顔の奴がいれば、こちらからどんどん突っ込んで聞くようにしています」
<4> 決断力
植松「最終判断を任されたときの腹のくくり方が大切です。『解』を絞り出して、絞り出して、みんなの意見を聞いて、自分の持つ経験や知見も出し切った後、最後は自分が決めます」
<5> セルフコントロール
植松「大きな問題に直面して調整が難航したとき、あるいは時間がない中で迅速な判断をしなければならないとき、そういったアドレナリンが出まくる事態のときに、どう自分をコントロールするか。その方策として『理想の状態を演じる』のは一つの策だと思います」
『宇宙兄弟』に登場する個性溢れるキャラクターたちのモデルともなったリアル(実在)な人々を、『JAXA』の中で探し出し、リアルな話を聞いているこの連載が書籍化!大幅加筆で、よりリアルな宇宙開発の最前線の現場の空気感をお届けいたします。
<筆者紹介> 岡田茂(オカダ シゲル)
東京生まれ、神奈川育ち。東京農業大学卒業後、農業とは無関係のIT関連の業界新聞社の記者・編集者を経て、現在も農業とは無関係の映像業界の仕事に従事。いつか何らかの形で農業に貢献したいと願っている。宇宙開発に関連した仕事では、児童書「宇宙がきみをまっている 若田光一」(汐文社)、インタビュー写真集「宇宙飛行 〜行ってみてわかってこと、伝えたいこと〜 若田光一」(日本実業出版社)、図鑑「大解明!!宇宙飛行士」全3巻(汐文社)、ビジネス書「一瞬で判断する力 若田光一」(日本実業出版社)、TV番組「情熱大陸 宇宙飛行士・若田光一」(MBS)、TV番組「宇宙世紀の日本人」(ヒストリーチャンネル)、TV番組「月面着陸40周年スペシャル〜アポロ計画、偉大なる1歩〜」(ヒストリーチャンネル)等がある。
<連載ロゴ制作> 栗原智幸
デザイナー兼野菜農家。千葉で野菜を作りながら、Tシャツ、Webバナー広告、各種ロゴ、コンサート・演劇等の公演チラシのデザイン、また映像制作に従事している。『宇宙兄弟』の愛読者。好きなキャラは宇宙飛行士を舞台役者に例えた紫三世。自身も劇団(タッタタ探検組合)に所属する役者の顔も持っている。
過去の「宇宙兄弟リアル」はこちらから!