【第1回】〈一千億分の八〉〜宇宙への旅をはじめよう〜 | 『宇宙兄弟』公式サイト

【第1回】〈一千億分の八〉〜宇宙への旅をはじめよう〜

2016.10.12
text by:編集部コルク
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銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。
人気連載「宇宙人生」の筆者、NASA技術者の小野雅裕さんによる、宇宙探査をテーマにした新連載がいよいよスタート!人類が解き明かしてきた宇宙の謎や、これからの宇宙探査のこと、それを可能にするテクノロジーとイマジネーションについて、わくわく感たっぷりの宇宙への旅の物語をお届けします☆「宇宙人生」では、宇宙にまつわるエピソードを独自の切り口でおもしろ楽しく紹介してくださった小野さん。新連載では、小野さん自身が体験してきた宇宙探査の驚きと感動を、どのように展開してくれるのでしょうか。期待いっぱいの新連載、どうぞお楽しみください。

1969年7月16日。 重さは山手線電車100両分にあたる3000トン、高さは自由の女神の2倍以上の110メートルもある巨大なロケットが、凄まじい炎と音と地響きを残してフロリダの海岸から宇宙へと飛び立った。人類初の月着陸を目指した、アポロ11号の打ち上げだった。

翌日のニューヨーク・タイムズ紙。その43面に、”A Correction”(訂正)とだけ題された短い記事が、ひっそりと載っていた。訂正記事ならそう珍しくはない。だが、この訂正記事は少し普通ではなかった。49年も前の記事についての訂正だったのだ。

“1920年1月13日、本紙は社説において、ロケットが真空中で作動する可能性を否定し、ロバート・H・ゴダード博士のアイデアについて以下のようにコメントした:

「クラーク大学に勤めスミソニアン協会の支援を受けるゴダード教授が、作用・反作用の法則を知らず、したがって真空では力の作用が働かないことを理解していないのは馬鹿馬鹿しい。高校で日常的に教えられている知識すら彼に欠けていることは明白である。」

その後の研究と実験の結果、17世紀のアイザック・ニュートンの発見の正しさは証明され、ロケットが大気中だけではなく真空中も飛べることは今や明白である。本紙は誤りを遺憾に思う。”

ゴダードとは、世界初の液体式ロケットを開発し、後に「ロケットの父」と呼ばれ、 NASAゴダード宇宙センターにその名を残すエンジニアである。

現代の高校生ならば、間違っていたのはニューヨーク・タイムズの方であることがすぐに分かるだろう。だが僕はこう思う。新聞記者が愚かだったのではない。ゴダードのイマジネーションが、時代のはるか先を行っていたのだ。

想像してほしい。1920年、大正9年といえば、日本ではテレビどころかラジオ放送すら始まっておらず、40%の家庭には電気が来ていなくて、東京から大阪まで鉄道で12時間、横浜からサンフランシコへは船で10日もかかっていた時代である。新聞記者の誤解も無理はない。当時の人にとって「宇宙に行く」という言葉は、 「魔法を使う」という言葉とほとんど同じように響いただろう。

それからわずか100年弱。世界で毎年100機近くのロケットが宇宙に飛び立ち、人類が月に足跡を残し、ローバーが火星の赤い大地を走り、探査機が小惑星から砂粒を持ち帰り、そして民間企業が宇宙旅行を売り出す時代になった。僕たちはゴダードのイマジネーションの中を生きているのだ。

しかし、今までに人類が訪れたのは、海のように広い宇宙のほんの波打ち際にすぎない。そしてその先には、ゴダードでさえも想像できなかった驚くべき風景が、人類の訪れを待っているのだ。木星の衛星エウロパの、分厚い氷の下に隠された広大な海。土星の衛星タイタンに降るメタンの雨、そしてその雨を集めて流れるメタンの川。冥王星のスプートニク平原を覆う冷たい窒素の流氷。そして遥か4.2光年離れたプロキシマ・センタウリを周る小さな惑星に存在するかもしれない、木々や、動物や、知性。今はまだイマジネーションでしか訪れることのできないそのような世界にも、やがて必ず人類は辿り着くだろう。宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのだ。

ゴダードは17歳の時には既に人生を宇宙への夢に捧げると決めていた。高校の卒業式で総代としてスピーチをした際に、彼はこういった。

 

「何が不可能かというのは難しい。なぜなら昨日の夢は今日の希望であり、明日の現実であるからだ。」

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ゴダードと、彼が発明した世界初の液体燃料ロケット

これからこの連載でお話しするのは、宇宙への旅の物語である。人類がいかにして昨日の夢を今日の希望としてきたのか、そしていかにそれを明日の現実にしていくのかについての物語である。それを可能にしたテクノロジーとはいかなるものか。どんな謎が解かれたか。未だに残る謎は何か。その謎を解くためにはどの星の何を、どう探査すればよいのか。そしてそれを可能にするにはどのようなテクノロジーが必要なのか。それがこの物語だ。

物語の二人の主人公を紹介しよう。一人目は、言うまでもなく、テクノロジーだ。

この物語は理系の知識がない人も楽しめるように語られる。しかしそれは技術的な話を省略するという意味ではなく、またキーワードだけ並べて読者を煙に巻き、分かった気にさせるという意味でも決してない。むしろ、直感的な解説や日常生活から引いた比喩を用いることで、宇宙への旅に用いられるテクノロジーの真髄を、すべての読者の方に理解してもらうつもりだ。

そしてもう一人の主人公は、イマジネーションである。なぜなら、この物語を通して明らかにされるように、宇宙の旅を可能にしてきた全てのテクノロジーの源泉は、人間の豊かなイマジネーションの中にあるからだ。鳥は翼で空を飛ぶ。では、翼のない人間が鳥よりも高く飛べるのはなぜか。それは、人間にイマジネーションの力があったからなのだ。

宇宙飛行士には、この物語では脇役に回ってもらう。代わりにスポットライトを当てるのは、僕と同じエンジニアたちだ。もちろんゴダード、フォン・ブラウン、コロリョフといった著名なエンジニアも登場する一方で、日本ではあまり知られていない人物も取り上げる。例えばマーガレット・ハミルトン。女性プログラマーの先駆けで、アポロ宇宙船の「脳」である誘導コンピューターの開発において中心的役割を果たしたエンジニアだ。

彼ら、彼女らに共通するのは、明晰な頭脳だけではない。時代のはるか先を行く豊かなイマジネーションだ。そして失敗しても人に笑われても夢を貫き通す頑固さだ。例えばイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズのように、いつの時代もイノベーターとは、少なからず狂った人間なのである。そんなエンジニアたちのアクの強い個性も描くつもりだ。

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そして、宇宙への旅に貢献したのはエンジニアだけではない。世界の誰もが知るあのSF作家やアニメーターも登場する。

これから語る宇宙への旅は必ずしも、ピカピカで、最先端の、壮大で、壮麗な話ばかりではない。それは単なる冷戦の産物でもなければ、単なる30兆円産業のビジネスチャンスでもない。

最新のテクノロジーに支えられた宇宙への旅は、実は最も古い人類文明の精神を体現するものでもある。ニール・アームストロングがはじめて月面に一歩を踏み出した瞬間を、当時の世界人口の5分の1にあたる6億人が、テレビの生放送に釘付けになり熱狂した。その理由は、紀元前のギリシャやインドの人々が、吟遊詩人の語るオデュッセウスやラーマ の冒険に興奮したのと同じではなかろうか。

宇宙への旅は、全人類の、全人類による、全人類ための壮大な冒険であるが、同時にひとりひとりの個人的で日常的な体験とも根源的に繋がっている。スペースXの巨大なロケットが空から降りてきて、四本の脚を開きドローン船に精密に着陸する映像に、人々は未来の訪れを感じた。それは赤ちゃんがはじめて二本足で立ち上がった時に、その子の無限の可能性を親が感じるのと同じではなかろうか。

だからこの物語では、最古と最先端が、過去と未来が、宗教と科学が、空想と技術が、情熱と論理が、死者の魂とロケット方程式が、ゲーテの詩と太陽系探査が、僕の人生と地球文明の運命が、そして一人の人間にとっての小さな一歩と人類にとっての大きな飛躍が、対立することなく、しかし混同されることもなく、 連関して提示されるだろう。

そしてあなたはこの物語を読み終えた時、あなた自身のイマジネーションの力が、明日の人類の宇宙への旅を、一歩前へと進めるための原動力になることを知るだろう。
では、物語を始めよう。最初の舞台は、インドである。

つづく

 

=参考文献=
・大正・昭和初期における生活の 洋風化に関する一考察 内田直子 学習院女子短期大学紀要 第30号 1992.12.25
https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/3242/1/tankidaigaku_30_147_167.pdf

 


<2017年2月6日更新!>

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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。


さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。