「アポロ捏造説」というなかなか面白い話が巷で流行りだしたのは十年ほど前だったでしょうか。携帯電話もインターネットもなかった時代に月に行くなんて技術的に可能なはずがない。世界中を熱狂させた月面からの生中継はキューブリックが特撮したものだった。月を歩いたと主張する12人の飛行士は嘘をついている。アポロ計画に携わったNASAや企業の何万人の人も口裏を合わせている。月の石を放射年代測定して地球には存在し得ないものだと断定した科学者たちも全て嘘をついている…
このように、アポロ捏造説の面白さは、科学リテラシーがある人ならば荒唐無稽な話だとすぐに見抜けることではありますが、しかしそれを完全に否定することは非常に困難である点です。
そこでものの戯れに、僕もひとつ「捏造説」をでっちあげてみたいと思います。「堀北真希さん捏造説」です。
■堀北真希捏造説!?
日本人は綺麗な人が多いですし、僕の知っている人の中にも美人はたくさんいます。でも堀北真希さんはレベルがまるで違います。ロマン派小説のヒロインかギリシャの彫刻のような完璧な美しさです。あれほどまでに美しい人が現実に存在するなんて可能なはずがないと思いませんか?高校で習ったイデア論の話を思い出してください。どんなに正確に正三角形を描こうとしても内角は60度から0.1度なり0.0000001度なり誤差が出るから、完璧な正三角形はこの世に決して存在しない。同じように、完璧な美がこの世に実在することは不可能なはずです。
きっとこれはメディアや芸能界の巨大な陰謀です。何万人もの関係者が口裏を合わせているに違いありません。なぜかって?あんなに売れっ子なのですから、もし真実が明るみに出ればテレビ局も事務所も大損を蒙ります。喋れば消すぞ、とみんなを脅しているのでしょう。
馬鹿馬鹿しい、堀北真希さんが出ている映画やテレビは山のようにあるし、生放送だって何度も見たこともある。そうお思いですか?いやいや、もちろんCGに決まっているではありませんか。たとえば、以下の動画にある、南カリフォルニア大学(USC)にいる僕の友人の研究を見てみてください。人の姿勢や表情はもちろん、皮膚の微細構造まで忠実に再現されたCGを、リアルタイムで動かす技術が既にあるのです。
イベントや番組の収録で生の彼女を見たことがあるって?あなたの目は騙されているだけです。同じUSCの研究グループは特別なメガネが不要の三次元の立体映像の技術を実用化しています。僕もデモを見せてもらいましたが、まるで本物の人間がそこにいるようでした。目の前で見ても本物のように見えるのです。あなたは何メートル離れたところから「堀北さん」を見たのですか?
握手をしてもらったことがあるって?あなたはどこまで騙され続けているのですか?それはきっとジェミノイドでしょう。ジェミノイドとは大阪大学が開発したどこまでも人間そっくりのロボットです。外見だけでなく、本物の人間のように動きます。どうしてあなたが握手した相手がロボットではなく本物だと証明できますか?
そもそも、あなたの「生で見た」「握手をした」という証言だって疑わしくありませんか?あなたが持っていると主張するサイン色紙が合成ではないとどうやって証明できますか?あなたがテレビ局に買収されていない客観的証拠はどこにあるのでしょうか…?
■そもそも「存在する」ってどういうこと?
…とまあ、以上はすべて僕のでっちあげです。もちろん堀北真希さんは存在するでしょう。ですが僕が言いたいのは、アポロ捏造説と同じロジックを使えば、あらゆるものの捏造説を作ることができてしまうという点です。たとえばあなた自身がロボットではないとどうして証明できますか?あなたの血も肉も心臓もバイオエンジニアリングで作られたものかもしれません。あなたを生んだと主張するお母様も嘘をついているのかもしれません。さらにはこの世界全てが捏造かもしれません。あなたは『トゥルーマン・ショー』の主人公です。あるいは昏睡状態に陥ったどこかの宇宙人です。昏睡の中でこの世界の夢を見ているだけなのです。
つきつめれば、そもそも「存在する」「実在する」とはいったいどういうことなのか、という高度に哲学的な話になってしまいます。僕は哲学も形而上学も専門ではありませんから、そこらへんの議論はカントさんにでも譲っておきましょう。
ただ重要なのは、実在するかしないかという問題は客観的な事実として証明し得ず、実はそれぞれの個人が存在を信じているかどうかという問題でしかない、ということです。僕はアポロが月に行ったと信じている。堀北真希さんの実在も信じている。この世界の存在も信じているし、僕の人生も夢ではないと信じている。あるかないかの問題ではない。信じるか信じないかの問題なのです。
■アポロ捏造説が流行した理由とは?
アポロ捏造説は、実は1970年代からありましたが、その頃はまともに取り合う人は殆どいませんでした。それがここ10年ほどで急に騒がれるようになったのは、なにも今更になって新たな証拠が出てきたからではありません。単に、昔の人が信じていたものを、今の人が信じられなくなってしまったということなのです。
では、どうして信じられなくなってしまったのでしょうか。
アポロが月に行った60年代後半から70年代前半は、日本は高度経済成長に沸いて先進国の仲間入りをし、アメリカでも公民権運動が勝利し女性の社会進出も進むなど、毎朝新聞が届くたびに社会が未来へ向かって進んでゆく実感があったのでしょう。もちろん当時もさまざまな社会問題がありました。しかしこのまま社会が前進してゆけば、きっと未来は明るいと素直に信じることができたのかもしれません。同じように、時代の進歩の象徴たるアポロの月着陸を素直に受け入れ、喜ぶことができたのではないでしょうか。
現在の我々が生きる21世紀。45年前の人々が期待した未来は実現したでしょうか。たしかにベトナム戦争も冷戦も終わりましたが、戦乱と悲劇に終わりは見えません。貧しい国は今でも貧困のどん底です。気候変動はもはや人類の存亡に関わるレベルの問題になってしまいました。先進国の経済は停滞し、それを取り繕うために国の借金ばかりが増えていきます。「誰が大統領になったって変わりはしない。」そんな風に、人は未来に対して投げやりになっています。まるで大気の酸素が徐々に薄くなっていくような息苦しさに社会全体が包まれているように思います。
そうして自信を喪失した現代の人たちは、未来に希望を持てなくなったばかりか、過去に自分たちが成した偉業さえも、信じることができなくなってしまったのではないでしょうか。
■『宇宙兄弟』が描く未来を実現するには
何かが上手くいかなくて自信を失ってしまった人は、自信のなさが原因でさらに事を悪くするという悪循環に陥りがちです。社会にも同じことが言えます。未来を信じることができないと、人はリスクを取ることをやめ、未来への投資を渋り、今あるものを守ろうとばかりします。それが結局、社会のさらなる停滞の原因になるのです。もしそんな悪循環があるならば、なんとか断ち切らねばなりません。
こんな風に、考えを少し変えてみてはどうかと僕は思います。どうせ信じるか信じないかの問題でしかないのです。ならば、ポジティブなものを信じるほうが良くありませんか?堀北真希さんは存在すると信じれば、あなたの世界において彼女は存在するのです。僕は堀北真希さんが存在しない世界よりも、存在する世界のほうがよほど素晴らしいと思う。だから信じるのです。アポロも同じ。そして文明の未来についても同じです。暗い未来よりも明るい未来の方がよほど良いと思う。だから僕は人類の未来を、人類の創造性を信じるのです。
おまじないや宗教のようなことを言っているのではありません。たとえば、皆が未来に株価が上がると信じれば、買いが増えて実際に株価が上がりますよね。同じように、皆がポジティブな未来を信じれば、社会はきっと前進すると思うのです。事実、僕が身を置いている宇宙開発の最前線においても、60年代のような爆発的な勢いこそありませんが、日々少しずつ、少しずつ、事が前に進んでいるという実感があります。近い将来にヒビトやムッタのような宇宙飛行士が再び月の土を踏む日は必ず訪れるでしょう。いづれ火星や小惑星にも足跡は刻まれます。やがて一般の人も海外旅行に行くくらいの気楽さで月面旅行に行ける時代になります。月面に残された6機のアポロ月着陸船は観光名所になり、その前で記念写真を撮る多くの観光客で賑わうでしょう。
そしてその頃には、アポロ捏造説は、跡形もなく消えているに違いありません。
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《お知らせ》10/20(火) 小山宙哉ファンクラブイベントに、メインゲストとして出演します。
【NASAの宇宙兄弟的リアル】をテーマに話します!
「諦めきれるなら夢じゃない。」ヒビトがムッタに投げたそんな言葉で、僕も僕自身を奮い立たせ、子供の頃からの夢だったNASAジェット推進研究所に辿りつきました。
NASAといっても、僕はムッタのような宇宙飛行士ではありません。ピコのような技術者、縁の下の力持ちです。(飲んだくれではありませんが。)
でも日々の仕事の中で、ムッタがあのときに感じたことと同じだ、と思うことが何度もありました。技術者の間にも厳しい競争がありますし、曲者もいて、嫌な思いをすることもあります。それでも同じ諦めきれない夢を持った仲間や、親切にしてくれる先輩や、食欲旺盛な妻に何度も助けられ、自分の夢を目指して一歩ずつ歩を進めています。
そんな現実のNASAにおける「宇宙兄弟的リアル」のお話をしようと思います。
また、現在僕が携わっている次世代の火星ローバー計画の話、さらにその先にNASAが目指す火星サンプルリターン、エウロパ探査、そして地球外生命探査の話もしようと思います。現実の宇宙開発は予算の制約や政治的な思惑に左右され、必ずしも平坦な道ではありません。
ですが『宇宙兄弟』が描く未来は必ず実現すると信じています。人類が「諦めきれない夢」を持ち続ける限り…。
コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!
〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。
本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。
さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。
■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
《号外》史上初!ついに冥王星に到着!!NASA技術者が語る探査機ニューホライズンズへの期待
第11回<前編>:宇宙でエッチ
第11回<後編>:宇宙でエッチ
《号外》火星に生命は存在したのか?世界が議論する!探査ローバーの着陸地は?
第12回<前編>:宇宙人はいるのか? 「いないほうがおかしい!」と思う観測的根拠
第12回<中編>:宇宙人はいるのか? ヒマワリ型衛星で地球外生命の証拠を探せ!
第12回<後編>:宇宙人はいるのか? NASAが本気で地球外生命を探すわけ
第13回:堀北真希は本当に実在するのか?アポロ捏造説の形而上学
《号外》火星の水を地球の菌で汚してしまうリスク
第14回:NASA技術者が読む『宇宙兄弟』
第15回:NASA技術者が読む『下町ロケット』~技術へのこだわりは賢か愚か?