普段のニュースではなかなか知ることのできない、宇宙開発の”現状”や”問題”を、ユーモラスに語るエッセイ『宇宙人生』本日は号外です!
「火星の地表に液体の水が発見された。」
先週、こんなニュースが世界を駆け巡りました。ですが、NASAの内部では(少なくとも僕が勤めるジェット推進研究所の火星関係の人たちの間では)大きな驚きはありませんでした。火星のいくつかの場所に周期的に液体が流れ下ったような痕 (recurring slope lineae, RSL)があることは数年前から知られていて、 それが水であろうこともほぼ定説でした。証拠が十分に積み重なるのを待って、今回のタイミングで発表したというわけです。
ならば是非、火星ローバーをRSLまで走らせて、水の中を顕微鏡で覗いて、プランクトンでも泳いでいないか調べてみたいものです。しかし現在のNASAは真逆のことをしています。つまり、水がある場所にローバーを決して近づけないようにしているのです。
■地球の菌が火星を汚染する!?
なぜでしょう?ローバーに付着した地球の微生物が、火星の環境を汚染してしまうかもしれないからです。SFのように聞こえるかもしれませんが、NASAはそのようなリスクを真剣に考え、様々な対策を講じています。
昔、ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってきた後、原住民だったインディアンの人口が激減しました。人口の9割が失われたとする説もあります。最大の死因は戦争でも虐殺でもありません。ヨーロッパ人が持ってきた、麻疹や水痘などの病気でした。インディアンたちはこれらの病気に免疫がなかったのです。
同じことが星と星の間でも起き得ます。事実、アポロの前に月に送り込まれた無人探査機サーベイヤー3号の断片をアポロ12号の宇宙飛行士が持ち帰って分析したところ、大気のない月面でバクテリアが2年半も生存していたといいます。(異論もあるようですが。)
無人探査機サーベイヤー3号の部品を持ち帰るアポロ12号の宇宙飛行士 (Image credit: NASA)
同じように、火星ローバーに地球のバクテリアがひっついていって、火星で繁殖し、火星に存在するかもしれない生態系を破壊してしまうかもしれません。そんなことが決してあってはならないので、Planetary protection、直訳すると惑星防護と呼ばれる様々な対策が講じられるのです。
対策の第一は殺菌です。火星に着陸するすべての探査機は、打ち上げ前に114℃の熱で高温殺菌されています。
ですがそれでも生き残るしぶとい奴がいるかもしれません。そんな奴が火星の水がある場所にいったら、さながら砂漠の旅人が喉がカラカラに渇いて死にそうなときにオアシスを見つける如く、大喜びで大繁殖してしまうかもしれません。
そこで、2020年に打ち上げられる次期火星ローバーでは、万が一着陸地点の狙いがずれても、水が存在すると予想される場所に決して探査機が着陸してしまわないように慎重に着陸地点が選ばれます。(専門的な言葉を使うと、そのような場所が3シグマの中に入らないことが条件です。)そのような場所は「スペシャル・リージョン」と総称されています。もちろん今回地表を流れる水が見つかったRSLも含まれます。加えて、地表から5メートル以内の深さに氷が存在すると予想される地点も、着陸候補地から外されています。
■逆に火星の菌が地球を汚染する可能性は?
地球の生命が他の星を汚染するリスクがあるならば、当然逆もあるわけです。つまり、他の星の生命が地球を汚染するリスクです。ますますSFっぽくなってきましたが、NASAはこの「逆汚染」のリスクも真剣に考え、対策を講じています。
アポロ計画で月から帰ってきた宇宙飛行士たちは、地球帰還後21日間、キャンピングカーのような移動式隔離施設に閉じ込められました。万が一、宇宙飛行士が月面で危険な菌やウイルスに感染していた場合に備えるためです。その後に月には生命がいないことがはっきりとしたので、アポロ15号以降はそのような検疫は行われなくなりました。
現在、NASAは無人探査機で火星から土のサンプルを持ち帰ることを検討しています。万が一の可能性を避けるために、持ち帰った火星の土は、バイオセーフティーレベル4 (BSL4)の基準を満たす施設に隔離されます。BSL4といえば、エボラウイルスや天然痘ウイルスを扱うことが許される安全レベルです。地球の逆汚染のリスクは非常に低いことはわかっています。それでも万全を期すため、念には念を入れるのです。ですから、たとえ火星の土が地球に持ち帰られたとしても、それが博物館に気軽に展示されることは、しばらくはないかもしれません。
地球帰還後、移動式隔離施設の窓越しにニクソン大統領と言葉を交わすアポロ11号の宇宙飛行士
■火星だけじゃない エウロパ、タイタンの汚染を防ぐNASAの対策
地球の生命による汚染のリスクが考慮されるのは、火星だけではありません。地底に液体の海があることが確実視されている木星の衛星エウロパや、土星の衛星エンセラドスもそうです。土星の衛星タイタンには分厚い大気があり、水ではなくメタンの湖や川があって、メタンの雨が降ります。そのような星にも生命がいるかもしれません。
現在土星の回りを周回しているNASAの探査機カッシーニは、11年間にわたって目覚しい科学的成果をあげてきました。この探査機は2017年に意図的に土星の大気に突入させ、破壊されることが決まっています。なぜか。燃料が切れて制御不能になった後、万が一タイタンやエンセラドスに衝突して汚染してしまうリスクを無くすためです。ですから、燃料が切れる前に、意図的に破壊されるのです。ちょうどはやぶさのように、輝かしい成果をあげた探査機が華々しい最期を遂げるのです。「グランド・フィナーレ」と関係者は呼んでいます。
このように、太陽系探査には、技術とはまた別の難しさがあります。ただ単に他の星を汚染することが道徳的にいけないというだけではありません。ある星を一度汚染してしまった後では、生命を発見しても、それがその星固有のものなのか地球由来のものなのか、区別がつかなくなってしまう可能性もあります。汚染は科学的発見の価値も損なうのです。
ここに悩み深い問題が発生します。宇宙探査の最大の意義は、地球外生命を探すこと。しかしその行為自体が逆に地球外生命を絶滅させてしまうリスクがある。どうすればそのリスクを取らずに宇宙生命探査ができるのか。まだ完全な答えは見つかっていません。
人類は過去の過ちから学ぶことがきます。だからこそNASAはここまで慎重になっているのです。いつか未来に人類が地球外生命と出会う日は必ず来るでしょう。そしてそれまでに人類は、地球外生命と安全に共存できる知恵も身につけているはずだと、僕は楽観的に考えています。
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コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!
〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。
本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。
さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。
■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
《号外》史上初!ついに冥王星に到着!!NASA技術者が語る探査機ニューホライズンズへの期待
第11回<前編>:宇宙でエッチ
第11回<後編>:宇宙でエッチ
《号外》火星に生命は存在したのか?世界が議論する!探査ローバーの着陸地は?
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第12回<中編>:宇宙人はいるのか? ヒマワリ型衛星で地球外生命の証拠を探せ!
第12回<後編>:宇宙人はいるのか? NASAが本気で地球外生命を探すわけ
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