ヒトラーの目に灯った火/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載06 | 『宇宙兄弟』公式サイト

ヒトラーの目に灯った火/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載06

2018.03.09
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

第二次世界大戦の開始から四年近くが経った一九四三年七月七日、フォン・ブラウンは突然、「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」に来るように命令された。総統大本営のことである。ヒトラーがA4について知りたがっているとのことだった。彼と上官のドルンベルガーは飛行機と車を乗り継ぎ、その日のうちに東プロシアの深い森と地雷原に守られた「狼の巣」に着いた。そのもっとも内側に位置する建物の映写室で、彼らは緊張した表情でヒトラーの到着を待った。

待つこと数時間。数人の部下を連れたヒトラーが部屋に入ってきた。

「総統閣下!」

勇ましく兵士が叫んだ。ヒトラーの顔は疲れ切っていた。戦況はドイツにとって思わしくなかった。東部戦線はソ連に押し戻され、アフリカは米英軍の手に落ちていた。フランスは依然ドイツの手にあったが、ドーバー海峡を隔てたイギリスは健在だった。

ドルンベルガーの手短な挨拶の後、映写機が回り、スクリーンに白黒の無声映像が映った。映像の中で、A4ロケットは火を吹いてまっすぐに離陸し、軽々と音速を超え、あっという間に成層圏へと消えていった……。

フォン・ブラウンはスクリーンの横に立ち、映像に合わせて技術的な解説をした。彼の高い声は自信に満ち、情熱のこもった青い目はまっすぐに総統を見ていた。A4ロケットの能力をもってすればドーバー海峡を越えてロンドンを爆撃できる。そしてマッハ3で突進するA4はいかなる飛行機や砲弾をもってしても打ち落とすことは不可能である……。

映像が止まり、フォン・ブラウンが話し終えると、沈黙が部屋を支配した。誰も声を発しようとしなかった。ヒトラーは明らかに興奮していた。顔からは疲れが消えていた。目は不気味に輝いていた。

沈黙を押しのけるようにドルンベルガーが追加の説明を始めると、ヒトラーは急に立ち上がって聞いた。

「10トンの爆弾を積めないのか?」

ドルンベルガーは恐る恐るそれが無理だと説明した。すると彼は叫んだ。

「せん滅だ! 私が欲するのはせん滅的な力だ!」

もはやドイツの勝利は絶望的だったにもかかわらず、ロケットが戦況を一気に逆転する最終兵器になるとヒトラーは狂信的に信じたのだった。

この日、ヒトラーが惚れ込んだのはA4ロケットだけではなかった。弱冠三十一歳にして千人規模の開発チームを率い、総統の前で臆せず堂々とプレゼンをするフォン・ブラウンに惚れた。ヒトラーはその場でこの若きカリスマに「教授」の称号を与えた。ドイツの学術界では最高の栄誉だった。そして彼はその証書に自らサインをした。

かくして、悪魔は契約書を差し出した。ナチス政府はA4に優先的に資金と物資を供給することを約束した。そして月に1800機のA4を製造することを命じた。フォン・ブラウンの夢の結晶であるA4ロケットには、「報復兵器2号」を意味するVergeltungswaffe2 略してV2という悲しい名が、新たに与えられたのだった。

ヒトラーとフォン・ブラウン。二人の男は全く違う夢をもっていた。だが、夢を実現する手段がロケットであることは同じだった。そして夢の実現のためには手段を選ばないのも同じだった。ヒトラーは戦争に勝つためにフォン・ブラウンの技術が必要だった。フォン・ブラウンは宇宙へ行くロケットを作るためにナチスの金が必要だった。利害関係は一致した。

歴史には様々な見方がある。フォン・ブラウンはヒトラーに利用された、というのもひとつの見方だろう。だが、ドイツが敗戦しヒトラーの野望が潰えた後も、フォン・ブラウンの夢は生き残り、その技術は人類を月へと送り込んだ。本当に利用されたのは、果たしてどちらだったのだろうか?

(つづく)

<以前の特別連載はこちら>


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【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
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【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
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【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。