結果的に言うと、人類は早とちりだった。最初の二通のメールの返事が素っ気なかっただけで、彼女は自分に興味がないと思い込むようなものだった。結局のところ、人類は広大な宇宙について、まだほとんど何も知らなかったのだ。
現在の人類はもっと希望的である。未だ地球外生命は見つかっていない。だが、いるかもしれない場所はいくつか見つかった。そして太陽系はクレーターに荒らされた死世界ばかりの単調な場所ではなかった。全ての世界にはユニークな顔があり、そして驚くことに、その少なからざる世界が地質学的に「生きて」いた。瀕死でなんとか命を繋ぎ止めている世界もあれば、地球よりも苛烈に生きている世界もあった。
この希望の揺り戻しは、何十もの宇宙探査機が約五十年にわたり様々な世界を訪れ、少しずつ積み上げた観測の成果だった。その全てを本書に書くことはとてもできない。だが、もっとも偉大な影響を与えた探査機は何かと問えば、おそらくほとんどの関係者はこの双子の姉妹の名を挙げるだろう。
ボイジャー1号と、2号である。
ボイジャーの始まりは、一人の大学院生がある「運命」に気づいたことだった。
時は1965年。ちょうどJPLがマリナー4号の火星初フライバイの準備に慌ただしかった頃、近所にあるカリフォルニア工科大学のゲイリー・フランドロという大学院生が面白いことに気づいた。1983年に木星、土星、天王星、海王星の四つの惑星が、さそり座から射手座にかけてのおよそ五十度の範囲に並ぶこと。そして1976年から78年の間に探査機を打ち上げれば、この未踏の四惑星全てを順に訪れることができることだ。
鍵は「スイングバイ」という航法にあった。スイングバイとは、惑星の重力を使って宇宙船の針路や速度を変える技術である。たとえば図のように土星のうしろ側をかすめるように飛べば、軌道は前の方向に曲げられ、宇宙船は大幅に加速される。代わりに土星はほんのわずかだけ遅くなるつまり、宇宙船は土星からわずかだけ運動エネルギーを奪って加速するのである。
スイングバイを繰り返して、木星、土星、天王星、海王星を順に旅する。フランドロが思いついたこの旅は「グランド・ツアー」と呼ばれた。一石四鳥であるだけではなく、直接行けば三十年かかる海王星まで「たったの」12年で行ける。そして四惑星の全てが未踏の世界、謎の塊だった。
もうひとつ、フランドロは興味深いことに気づいた。グランド・ツアーは4惑星がおおよそ同じ方向に並んでいるタイミングでしかできないのだが、そのチャンスはなんと175年に一度だったのだ! 前回のチャンスは1800年頃。もちろん探査機を打ち上げる技術などなかった。次のチャンスは22世紀である。なんたる偶然だろう。ちょうど人類が宇宙へ飛び立ちはじめ、惑星探査機を作れる技術レベルに達したこのタイミングで、175年に一度のチャンスが巡ってきたとは。
「運命」だろうか? 僕は星占いを端から信じていない。たとえば、僕が生まれた日に金星が乙女座にあったから理想の女性は「清楚な乙女」らしい。馬鹿馬鹿しい話である。妻はスイッチが入りっぱなしのラジオのようによく喋る人で、僕もその方がよほど楽しい。彼女と僕は星に導かれたのではない。マシンガントークで意気投合しただけだ。
だが、そんな僕でもボイジャーのグランド・ツアーには運命的なものを感じずにはいられない。木星、土星、天王星、海王星が狙ったかのようなタイミングで同じ方向に並んだことは、もちろん科学的には偶然以上の意味はないが、まるで惑星が人類を招いているようだと僕は感じてしまう。もしかしたら、宇宙は人類に知られることを欲していたのかもしれない。惑星は孤独の宇宙に何十億年も漂いながら、来訪者を待ち焦がれていたのかもしれない。古の人が夜空の星に感じた「運命」とは、もしかしたらそういうことなのかもしれない。