命。命とは何だろう?
命は感じる。命は蠢く。命は育つ。命は咲く。命は歌う。命は踊る。命は命に恋する。命は命を生む。命は命を愛する。
神を信じる者にとって命とは神の神聖なる創造物。科学を極める者にとって命は自然の精緻なる最高傑作。命を産み落としし母にとってそれは星よりも重い唯一無二の宝石。命を殺めしものにとってすら、自ら手にかけし亡骸の虚しさは命の神秘を訴えるだろう。
もし宇宙に命がなかったら? そうだとしても、星々は粛々と水素を核融合させながら燃え、そのまわりを惑星は重力の法則に従い黙々と回り続け、その空には光学の法則に従って美しい虹が映し出されるだろう。誰のために?
震える心がなくとも夜空には天の川がかかる。感じる魂がなくとも夕焼けは赤く燃える。何のために?
なぜ観客がいないのにバレリーナは踊る?
なぜ人のいない舞踏会に音楽は鳴る?
ときどき、僕はこんな空想をする。命とは宇宙に穿たれた穴ではないか。大きな黒い箱の中にとびきり美しい物が入っているらしい。その箱には小さな穴がいくつかあいていて、人々が交代でそこから中を覗いている。その美しさは評判で、穴を覗くために長い列ができている。百三十八億年待ってやっと僕の順番が回ってきて、穴に目を当てる。美しさに魂が震え、楽しさに心が躍る。ずっと眺めていたいが次の人が待っているので譲る。それが僕の命だ。
では、その大きく黒い箱はなぜあるのか? 中の美しいものはなぜ存在するのか? もしそれを造った存在がいるならば、なぜ造ったのか?
覗いてもらうためではなかろうか? 知ってもらうためではなかろうか?
命は宇宙の結果であると同時に、その理由なのではあるまいか? 宇宙は、自然は、命に知られることを必要としているのではなかろうか?
野に咲く花よ。地を這う虫よ。子よ。母よ。父よ。愛を誓う恋人よ。野心に燃える若者よ。何かを悔いる老人よ。水を漂う者よ。風に舞う者よ。遠い世界に生まれ、遠い世界を夢見る異形の者たちよ。赤い砂の下に逃れ、氷の下に身を隠し、灼熱の風に耐え、凍てつく川に眠りながら、命の火を健気に守っている者たちよ。138億光年の宇宙に生きとし生けるものすべての命よ。宇宙は汝のためにある。宇宙は汝の中にある。