土星で姉と別れたボイジャー2号は孤独に旅を続け、1989年、最遠の惑星・海王星に到達した。太陽までの距離は30天文単位、つまり地球から太陽までの距離の30倍。光の速さで約四時間、新幹線の速さなら1700年かかる距離である。ここから見る太陽の明るさは、地球で見る太陽の約900分の1しかない。
海王星は青かった。孤独で神秘的に青かった。青のキャンバスの上に、水彩絵の具のように柔らかな黒い縞模様と、油絵の具のように境界のはっきりした白い雲が交わりあっていた。時として謎が女性をより美しくするように、海王星の美しさは謎を内包していた。太陽から受ける熱の三倍もの熱を放出する正体不明の熱源が内部にあり、そのため風速600m/sもの暴風が吹き荒れていた。美しい縞の正体は、太陽系最凶の嵐だった。
海王星の衛星トリトンも謎多き世界だった。クレーターは少なく、西半球は水の氷でできたメロンの皮のような模様の地が広がっており、赤みがかった窒素の雪がところどころに積もっていた。薄い大気があり、風が大地を削っていた。そして驚くことに、間欠泉が至る所で窒素とメタンの煙を吹き上げていたのだ! マイナス235℃のこの極寒の世界も、「生きて」いたのである。
この世界には悲しい運命が待っている。トリトンは少しずつ海王星に落ちており、約三十六億年後には海王星の重力に引き裂かれる。トリトンの破片は海王星の大気に突入して燃え尽きるか、土星のような美しい輪になると考えられている。
ボイジャー2号が撮った海王星やトリトンの写真は、電波に乗って漆黒の宇宙を飛び、四時間かけて地球のアンテナに届いた。さらにそれは新聞や雑誌に印刷され、あるいはテレビ放送の電波に乗り、アジアの東端の小さな島国にも届いた。それをかじりつくように見ていたのが、七歳になる少し前の僕だった。海王星の青、トリトンの間欠泉、そしてトリトンが転生する美しい輪。そのイマジネーションが、僕の心の最も深い部分に刺青のように彫り込まれた。
それから24年。姉のボイジャー1号は太陽系外に到達した。一方、僕はボイジャーが生まれたJPLに加わったNASAの太陽系探査は、オアシスを探す段階から、オアシスへ行く段階へ移っていた。地球外生命探査の黄金期が、幕を開けようとしていた。