宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

パサデナの海賊/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載36

パサデナの海賊/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載36

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

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往々にして歴史を変えるアイデアとは、世になかなか受け入れられないものである。フランドロが思いついたグランド・ツアーも、最初はほとんど注目されないばかりか、多くの人から机上の空論として扱われた。あまりにも困難だと思われたからだ。世界初の金星・火星探査機を成功させたJPL内でさえ、「そんなの無理だろ」が一般的な反応だった。フランドロは卒業後、別の道を歩んだ。

無理もない。1965年といえば、アームストロングが月に「小さな一歩」を踏み出す四年も前だ。まずスイングバイ航法の現実性が疑われた。12年もの長期間動作する宇宙探査機を作ることも非現実的と思われた。火星への旅ですら、たった8ヶ月だったのだ。

不可能を可能にしたのは、前章で描いたアポロの技術者と同じように、頑固で常識を信じない先駆者たちの、粘り強い研究の成果だった。ドラマでよくあるような、誰かの感動的な一言で反対していた人の心が急に動く、などということは現実には有り得ない。常識という名の巨大な岩に突然羽が生えて飛び去ることはない。長い時間かけて忍耐強く押し続け、ゆっくり、ゆっくり動かすしかないのである。

フランドロのアイデアを引き継いだJPLの数名の研究者が、金星スイングバイを使って水星へ行く方法を研究した。必要なナビゲーションの精度や燃料の量、搭載すべきセンサーなどを詳細に検討し、その結果をもとにスイングバイが実現可能であることを証明した。理論的成果と並行し、JPLは金星・火星探査において成功を一つずつ積み重ね、実践的にも自信を深めた。アポロの宇宙飛行士が月を歩いた頃、JPLではグランド・ツアーは夢物語ではなく現実的な可能性として語られるようになっていた。

NASA本部も最初は乗り気だった。無人探査に興味のなかったフォン・ブラウンさえも熱心に支持したらしい。だが、NASA本部はグランド・ツアーの値札を見て態度を変えた。当時のNASAの最優先事項はスペースシャトル計画だった。その上、ニクソン大統領はNASAの予算を大幅にカットした。海王星に使う金は残されていなかった。

それでも、みすみ175年に一度のチャンスを逃すのは惜しすぎる。JPLがNASA本部やワシントンの政治家と粘り強く交渉を重ね、なんとか勝ち取ったのは、「マリナー・ジュピター・サターン(MJS)」という、木星、土星、そして土星の衛星タイタンだけに目的を絞ったミッションだった。予算の膨張を防ぐため、土星以遠に行くための機器を搭載することは禁止された。

だが、どれだけワシントンが禁止しても、グランド・ツアーへのイマジネーションに取り憑かれた技術者たちの心を抑えることはできなかった。あくまでワシントンに対しては木星・土星ミッションを装いつつ、パサデナのJPLの技術者たちは海王星までの12年の旅の準備を、こっそりとMJSに忍ばせたのだった。たとえば、太陽の位置を検出するサンセンサは太陽から百天文単位を超える距離でも作動するように設計された。1天文単位とは太陽から地球までの距離だ。百天文単位は太陽から海王星までの距離の3倍である。。打ち上げ時期もグランド・ツアーに最適な一九七七年が選ばれた。そしてMJSには「ボイジャー」という新しい名が与えられた。英語で「旅人」の意味である。この名にJPL技術者の密かな想いが込められていたことは、想像に難くない。

かくして、ボイジャー姉妹は生まれた。彼女たちの容姿には、それまでのゴテゴテとした探査機とは異なる優美さがあった。本体には百天文単位の彼方から地球と交信するための白く大きなパラボラアンテナが載り、数本の細く長い腕の先には800×800ピクセルのデジタルカメラや様々な観測機器が取り付けられた。コンピューターには当時最先端の自律的な故障回復機能がプログラムされており、旅の記録を書き留めるために8トラックのテープレコーダーが搭載された。

1977年8月20日、妹のボイジャー2号が先に地球を旅立ち、その16日後に姉が後を追った。後に打ち上げられた方が1号なのは、途中で2号を追い越すからである。

実は、ワシントンが知らないことがもうひとつあった。2号の軌道に、技術者がこっそりとある「仕掛け」を忍ばせていたことだった。

(つづく)

 

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〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。