内山崇×小野雅裕──「本気の失敗」から学ぶ、しぶとく諦めない力 | 『宇宙兄弟』公式サイト

内山崇×小野雅裕──「本気の失敗」から学ぶ、しぶとく諦めない力

2024.05.20
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2024年3月、大阪・阪急うめだ本店で開催された『宇宙兄弟』とのコラボイベント。JAXAの内山崇さん、NASAの小野雅裕さんによるクロストークの様子をお届けします。

「本気でやった場合に限るよ。本気の失敗には価値がある」

『宇宙兄弟』の主人公・ムッタ(南波六太)のセリフが今回のトークテーマ。日本では2024年に入り、月面着陸に成功した小型月着陸実証機「SLIM(スリム)」、打ち上げ直後に爆発した小型ロケット「カイロス」と、宇宙トピックが続いています。

そこで、お二人には「最近の宇宙開発における本気の失敗」「人生における本気の失敗」について語っていただきました。


■内山崇(うちやまたかし)

2008年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト、宇宙船「こうのとり」フライトディレクタ。

■小野雅裕(おのまさひろ)

NASAジェット推進研究所(JPL)所属の惑星ロボット研究者。

■ムネ

『宇宙兄弟』担当編集者、司会進行。


宇宙開発のスペシャリストが見た成功と失敗

ムネ:SLIMだったり、カイロスロケットだったり、最近のトピックで気になることがあれば、ぜひ。

小野:まず、SLIMは失敗ではないですね。3回目の越夜にも成功しましたよね。

内山:SLIMは大成功の部類かなと思います。宇宙開発って100%できることにはそもそもトライしていないんですよね。完璧を目指しても、人間が考えて準備することには限界がありますし。その結果としていろいろなことがわかるので、失敗ではないですよね。あれは成功の部類なんですけど、國中さん(宇宙科学研究所所長)は非常に厳しい採点でした(笑)

小野:面白かったのは、こっちの人がジョークで言っていたこと。SLIM打ち上げの1か月後くらいに、アメリカのインテュイティブ・マシーンズというところが、民間企業で初めて月面着陸を成功させたんです。

ただ、SLIMに似たパターンで、コテッと横倒しになって。でも、スーパーポジティブアメリカ人の会社なので「USA!USA!民間初や!」という感じ。SLIMのほうは國中さんが「63点や……」と。似た結果でも違う反応でしたね。

ムネ:なぜ國中さんは63点という評価だったんでしょうか?

内山:JAXAのミッションで、成功基準を事細かに設定しているから、少しでもハテナがつくところがあればダメになっちゃう。日本人は真面目で厳しいので、総合的に点数をつけたんだと思います。二段階着陸をするところが三点倒立のようになったり、想定していなかった結果に対する採点だと思います。

小野:まあ、国民性もありますよね。オーストラリア人の仲間によると、アメリカ人はミッションに成功すれば泣いてジャンプしたり、「USA!USA!」と言ったりするけど、日本人は成功しても静かに拍手をしているって(笑)

内山:我々もどこで喜んでいいんだろうかと思いますよね、月着陸はわかりやすいんですが。「こうのとり」のミッションのときも、どの時点で喜べるのかと気にして、けっこう真面目に考えましたね。でも、SpaceXなんか見てると、爆発した瞬間に盛り上がったり、エンターテインメントとして楽しんだりしてますよね。

小野:あれはいいですね。スターシップがくるくると、きりもみ状態で爆発しても「イエーイ!」って言ってましたよね。

内山:どよーんとしないのがいいですよね。そういうチャレンジをしてるという自負があって、何が起きても盛り上がるという。

「失敗」は必ずしも失敗ではない

ムネ:打ち上げでの爆発が失敗、とは捉えていないんでしょうか?

小野:SpaceXは90%、80%の状態でもどんどん挑戦していくので、失敗はある程度織り込んでいると思います。NASAはまったく逆のアプローチ。どっちが良い悪いではないけど、100%のものを打ち上げて失敗したら問題ですよね。どういうアプローチを前提としているか、ですね。

ムネ:なるほど。

小野:失敗に関して言えば、20年以上前に一度大きな失敗がありました。その頃NASAが「Faster Better Cheaper(より早く・より良く・より安く)」という方針を掲げて、低コストでやっていこうという時期があって。詳しくは複雑なんですが、エンジニアがメートルとヤードを間違えたんです。1ヤードって90センチですよね。直感ではズレがわからないけど、宇宙は精密にナビゲーションしないといけない。火星軌道に投入して、電波が来るかと思ったら来ない。その後もこの方針で2~3回失敗して、考え直したようです。

内山:打ち上げてしまうとできることが限られてしまうので、宇宙開発だとある程度の状態で世に出してしまってからバグを直す、というようなことができない。ミッション失敗になってしまったときの損失が大きいので、その一線を越えないように、何も起きないよう市尽くしても、絶対に何かが起こる。そのいたちごっこです。挑戦すれば未知の部分で失敗するリスクはありますし、途中で失敗の種に気づけるかどうかが大事ですね。

ムネ:そういえば、カイロスロケットは、なぜ爆発したんでしょうか?

小野:あれ、なんで爆発したんですかね。

内山:何かを検知して指令破壊されたようですね。推測しかできないので、詳細はわかりませんが。最初の一機ですし成功すれば良かったけど、ある程度の失敗は織り込み済みなんでしょうね。

小野:民間の場合はお金が続くかどうかですが、ぜひ次に繋げてほしいですね。

内山:長い目で見るのが大事ですよね。まさに”軌道に乗る”まで時間がかかりますが、温かい目で見れるかどうか、お金がどこまで続くかが重要ですね。一回失敗して終わりだと、次に挑戦できる人がいなくなりますから。

大きな失敗を避けるために、失敗し尽くしておく

ムネ:では、内山さんと小野さんのキャリアのお話を伺えればと思います。個人的なご経験や、宇宙開発の現場での失敗を教えてください。

内山:宇宙開発の現場だと、やばいことはいっぱいありますね(笑)めちゃくちゃ大きい失敗をしないように気を付けていますが、毎日のように失敗はあります。日々のコミュニケーションでも同じで、ある要求仕様に基づいて開発をしても解釈が違うことが途中で見つかったり、管制官の訓練では対応力の部分で失敗は山ほどあります。なので、氷山の一角のように成功の陰にはヒヤリハットがたくさんあって、失敗にもまれながら開発を進めているというか。

小野:その感覚、共感します。内山さんの場合は、「失敗のマネジメント」の成功例ですよね。たとえば、アメリカは山火事がよく起こりますが、火事の燃料になる落ち葉を取り除いて山火事をコントロールします。失敗しないためにあらかじめお金と時間をかけてテストをして、失敗して良いときに失敗し尽くしておく。ミッションと山火事コントロールって同じですよね。これがエンジニアリングだと思うんです。

エンジニアってプログラミングのイメージがあるけど、実際は80%がテスト。ひたすらバグを修正してブラッシュアップして、それが製品の差になると思うんです。NASAは一発成功を狙うので、余計にバグ取りや試験に時間がかかるんですが。でも、内山さんがさっきおっしゃったように、毎日失敗というのがエンジニア業の本質だと思います。

ムネ:確かに。以前、小野さんが火星に近い環境を地球で探して、たくさんローバーのテストをしたと伺いました。

小野:最初はひどかったですよ。プログラミングして、試験のときは「まっすぐ2メートル走った!」と大喜びでした。最初は自動で動くなんて夢のまた夢で、非常停止ボタンをビクビクしながら持っていました。

内山:非常停止ボタン、重要ですよね(笑)ボタンを押して止められるなら良いですが、ロケットは打ち上げたらもう破壊するしかない。以前のイプシロンロケットでもありましたが、着火直前で打ち上げ中止したのはスーパーセービングでしたね。

目の前で夢を叶えた同僚、叶えられなかった自分

小野:もう何度も伺ってますが、内山さんの本気の失敗が聞きたいです。

内山:15年前の話になりますが。宇宙飛行士の選抜試験で、最後まで残りました。小さい頃から宇宙開発がしたくて。32歳かな、1回だけですがチャンスをいただいてチャレンジしましたが、結果的に最後は選ばれませんでした。

でも、幸運にも、実際に宇宙飛行士になられる人と一緒に切磋琢磨して、かけがえのない経験ができました。つい先日、20代から70代まで集まる歴代選抜メンバーの全世代交流会に行って総幹事をしましたよ。

宇宙飛行士に選ばれず、夢が叶わなかったことを人は失敗と呼ぶかもしれませんが、長い人生の中ではむしろ成功の部類ではないかと思います。一生の友人を得られたし、一歩踏み出して挑戦できましたから。やるからには試験に向けて、できることはすべて準備して、本気で受かってやろうと臨みました。最終的なゴールはつかめなかったとしても、それ以上のものが得られたと思うので、私はまったく失敗だとは思っていません。捉え方の問題だけかなと思います。

小野:でも、やっぱり悔しかったでしょうね。最後に電話とか来るんですか?

内山:悔しかったですね。本当になれるかもしれないと思うところまで気持ちも行ったので。最後の合格発表の日、10時に連絡が来る予定でした。でも9時半くらいかな、ホテルで仲間と一緒に食事をしていたら、向かいに座っていた大西飛行士に電話がかかってきて、「合格です」と。ちょっと前にいたずら電話をして遊んでいたばかりで、その5分後に本当にかかってきました。

油井さんは「もう連絡が来るのか」と、部屋に忘れた携帯電話を取りに行ったんですけど、戻ってきたら合格だったと。目の前で二人が合格して、私ともう一人には連絡が来ない、そして部屋で不合格の電話を待つという。心の傷にはなりましたね。ある意味、挫折なのかもしれないです。それもあって、10年経ってから本を書いてけじめをつけられたと思います。

夢叶わず──泣きながら雨の中を歩いた日

ムネ:小野さんの個人的な体験も教えてください。

小野:僕、今の職場に1度落ちてるんです。僕も子供の頃からずっと宇宙が好きで。1997年にマーズ・パスファインダーが火星着陸に成功したとき、コントロールルームでみんな泣いて抱き合って、ジャンプしてるんですよ。それを見て、ああいう大人の中に僕も入りたいなと思いました。

留学して、卒業するくらいにJPLを受けました。面接はうまくいったけど、当時はレイオフもあって、資金面で採用が難しいと。「君はポテンシャルがあるから、前向きに考えるけど1か月待ってほしい」と言われました。1か月後、連絡を取ったら同じことを言われて。最初の数か月は気楽だったけど、他の仕事も考え始めました。日本の大学からの仕事依頼も待ってもらっていましたが、9月までに判断してくれと言われて。

その日、ちょうど妻との旅行先のカナダで電話をかけ続けたんですが、取ってもらえず。マネージャーの留守電に「タイムリミットだから、違うオファーを受けます」と残して、日本からの依頼に「仕事を受けます」とメールを送った後、雨の中泣きながら歩いたのを覚えています。

日本に帰ってから、火星ローバー(火星探査車)のキュリオシティが着陸に成功したんです。向こうの人たちが喜んで抱き合ってる様子を見ましたが、あの時が一番悔しかったですね。なんで自分は画面の向こう側ではなく、こちら側にいるんだろうと。その後、幸運な巡り合わせがあって、もう一度JPLを受け直して、オファーをもらえて今に至ります。

詳細はまた本に書きますが、なんとか這いつくばって今これ(NASAのユニフォーム)を着ています。パーサヴィアランスが着陸したとき、コロナだったので職場にはいなかったんですが、家で「やったー!」と大喜びしました。やっとこれで、20年越しの夢が叶ったと思いましたね。

内山:僕も、諦めが悪いというか、これだと決めたことはしぶとくやるタイプです。実は、宇宙飛行士選抜の前にJAXAに一度落ちているんです。でも、諦めずに翌年再トライして、フライトディレクタの卵としてJAXAに入ったら、宇宙飛行士の選抜試験が10年ぶりに始まるタイミングだったり。しぶとくね、やりたいことを追い続けていくとひらけていくこともあると思います。

小野:しぶとくやれば必ず実現するわけではないけど、しぶとくなければ叶わないですよね。

内山:いろんなルートを考えて、チャンスがあればとにかく手を上げることが大事ですね。

諦められない「何か」に熱中することの強さ

ムネ:失敗して落ち込むタイミングがあると思いますが、お二人がそこから立ち上がれたのはどうしてですか?

小野:僕、シングルプロセスなんですよ。1つのことしか考えられない。失敗したり、職場でむしゃくしゃしたりしていると、頭が埋まってしまう。ただ、シングルプロセスだと他のことに集中すると、忘れやすいんですよね。だから僕は、性格上立ち直りが早いのかもしれない(笑)

内山:僕も似ています。熱中することがあれば忘れやすいですよね。僕はスポーツとか、趣味とか、その時間ごとに切り替えます。宇宙飛行士選抜でダメだったときに幸運だったのは、本業の「こうのとり」の打ち上げが迫っていて、とにかくやることが多くて忙殺されたこと。他のことを考える余裕もなくて。ふとしたときに思い出しはすれど、それに飲み込まれることがないくらい、集中することができていました。いろんな人と会って話したり、自分を客観的に見たりしながら、あとはゆっくりと時間が消化してくれました。

小野:人の話ですけど、僕、阪神タイガースの中でもとりわけ新庄選手が好きなんです。彼はある日「現役に戻ろう」と思い立って、インスタグラムで宣言して、1年間みっちり体を作り込んだんです。トライアウトを受けたものの声がかからず、現役復帰はできませんでしたが。でも、それがきっかけで日ハムの監督のオファーが来たと。

内山:あの年で、やり直そうとしてすごいですよね。普通はいろいろと計算しちゃうじゃないですか。自分を信じてやり通せるのはすごい

小野:インスパイアしてくれる存在がいるのは良いですよね。だから、阪神ファンは良い(笑)だって、東京の球団みたいに毎年のように優勝するところとは違って、こっちは10何年待たないといけない。10年、20年と待って夢を叶える心構えがあります。

内山:日本の宇宙飛行士選抜と同じくらいの周期ですかね。

小野:もっとですよ。あと、阪神が日本一になるのは、ちょうどハレー彗星の公転周期の半分だという話(笑)70何年って周期だったと思うんですが、前回の日本一が1985年で、その時ハレー彗星が帰ってきたんです。僕、3歳でお父さんと見た記憶があって。だから、僕は長生きすればハレー彗星が2回見られるレアな世代なんです。2060年代には次の阪神優勝とハレー彗星が同時に見られたら、安らかな眠りにつけそうです(笑)いや、今年は優勝してほしいんですけどね。

ムネ:宇宙開発と一緒で、温かく見守りたいですね。

小野:その頃には人類も月面基地を作って、願わくば火星への有人飛行も叶っていて、僕の分野だとロボットがエンケラドゥス(土星の第2衛星)の地底へ行って、地球外生命体を発見してくれているかもしれませんね。楽しみに待ちましょう。

ゴールは遠くても前進あるのみ

ムネ:では、最後にトークイベントにご参加の方からの質問コーナーに移りたいと思います。

Q:お二人の近況を教えてください。

小野:火星ローバーからは離れて、エンケラドゥスの探索用にへび型ロボットを作りました。氷で覆われている衛星なので、カナダの氷河で実験をしていましたが、資金がストップしてしまって。金策に翻弄されているのが今です。

内山:「こうのとり」9号機まで完遂して、皆さんからも高く評価していただいたので、次に繋げていきたいなと。「HTV-X(新型宇宙ステーション補給機)」など、物資補給で日本が貢献できるように注力しています。JAXAの計画はもちろんですが、民間企業が事業としてやっていけるよう、これまで蓄積した日本の強みの技術を活かせる将来の計画を立てているところです。宇宙事業を日本の柱にしたいと想いながら、今は新しいことを立ち上げていく仕事が多くなっています。

Q:小学4年生です。何歳くらいから、今の夢がありましたか。

内山:僕は10歳のとき。チャレンジャーの事故をテレビで見て、あんなに大きな宇宙船がアメリカではもう飛んでいるのかと驚いて、宇宙開発に携わりたいなと思いました。

小野:僕は6歳ですね。ボイジャー2号が天王星から海王星に行ったのを見て、人間が作ったものがあんなに遠くまで行けるのかと。めちゃくちゃ記憶に残っています。ボイジャーを作ったのがJPLで、それからですね、宇宙にのめり込んだのは。

ムネ:やっぱり、小さい頃に受けた衝撃ってずっと心に残るんですね。

Q:どうやって失敗に負けない心を育てましたか?

小野:負けるときは負けますよね(笑)でも、僕は自分がとりわけメンタル強いというわけではないんですが、諦めたくないと思ってきました。なので、何か一つ、諦めたくないって思えるものがあるといいかもしれないですね。

内山:失敗体験を適度にすること、ですかね。多少のストレスはあると思いますが、思い通りにいかない失敗となにくそ!と頑張る改善を繰り返して、経験を積んでいくのを小さな頃から繰り返していくといいんじゃないかなと思います。

ムネ:ありがとうございます。それでは、最後にお二人から一言ずつお願いします。

内山:宇宙開発は日本でもそうですが、民間企業が参入して様子が大きく変わってきています。皆さんが宇宙に触れる機会がどんどん増えていくと思うので、いろんなところにアンテナを張ってみてください。今日は本当にありがとうございました。

小野:大きな夢ほど、叶えるまでに時間がかかります。宇宙という大きなゴールもそう、阪神優勝という大きなゴールもそう。何事も長い目で見てください。ありがとうございました。

ムネ:小野さん、内山さん、本日はありがとうございました。


今回対談してくださった、小野雅裕さんが4月28日(日)に『新版 宇宙に命はあるのか 生命の起源と未来を求める旅 』を、SBクリエイティブ出版より刊行しました。

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また、内山崇さんは現在、将来宇宙飛行士や有人宇宙開発を目指す若者が集い、共に高め合うコミュニティ AIMを運営中。内山さんの宇宙トレンド情報やお題に応えながら、志の高い仲間たちと切磋琢磨できる場所をオンラインでご用意しています。

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文・清水マキ