【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ | 『宇宙兄弟』公式サイト

【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ

2016.10.17
text by:編集部コルク
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1980年にボイジャー1号が捉えた土星。色は強調されている。(Credit: NASA/JPL)

銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。
NASAのジェット推進研究所(JPL)で技術者として働く小野雅裕さんが、宇宙や地球の誕生やこれまでの歴史のカギを握る、宇宙探査についてご紹介する連載「一千億分の八」。第2回は、宇宙への旅物語のプロローグとして、小野さんがNASAで働きはじめるほんの少し前、インドを旅したときのエピソードをお届けします♪
「人は未来と同じくらい過去に興味がある生き物である。僕が旅をする理由の一つだ。(本文より)」子どもの頃から宇宙探査の仕事が夢だったという小野さんは、旅先のインドで何を目にして、何を感じてきたのでしょう…?

その日の夕方、僕はインドのバラナシのガートに一人腰掛けて、 聖なるガンガーの茶色く濁った水が、 ゆっくりと下流へ流れていくのを見ていた。ガートは色とりどりのサリーを纏った巡礼者や、巡礼者にカメラを向ける観光客や、観光客に怪しげな土産物を売りつけようとする商売人やでごった返していた。人の汗の匂いや、野良犬の悪臭や、川の水の生臭い匂いや、食べ物の美味しそうな匂いが、風に乗ってかわるがわる僕の鼻に飛び込んできた。僕の眼の前では、この街で篤く信仰されているシヴァ神に捧げるためのプージャの儀式が準備されていた。シヴァはナタラジャという美しい踊り子の姿に化けてタンダヴァの舞を舞うことで、古くなった宇宙に終わりをもたらすと信じられているのだった。

ここは死を待つ人が集まる街でもあった。神聖の極まるこの場所で荼毘に付され、灰がガンガーに流されれば、輪廻転生の苦しみから解脱できると信じられていたからだ。だから死期を悟ったヒンズー教徒はこの街にやってきて、やがて死によって苦しみから解き放たれるその日を、毎日ひたすらヴェーダの祈りを唱えながら待ち続けるのだった。上流のガートにある露天の火葬場からは、この日も休まず煙が上がっていた。

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ダシャーシュワメード・ガードに集まる巡礼者たち(撮影:筆者)

三日前まで僕は日本の大学の教員だった。最後の出勤日の翌々日の夜行便で成田からデリーに飛び、デリーの街には寄らずにそのまま飛行機を乗り継いでバラナシに来た。NASAジェット推進研究所(JPL)での仕事が始まるまでは1ヶ月強あった。子供の頃からの夢だった宇宙探査の仕事に、僕は心から興奮していた。それでも、その前にどうしてもこの川を見たかった。いや、見ねばならぬとさえ思った。先方は僕にできるだけ早く転職してくるように要求したが、 適当な理由をつけて交渉して1ヶ月強の無職の自由を勝ち取り、この旅に来たのだった。

僕の旅を常にインスパイアしてきた二人の旅人がいる。彼女たちが旅に出たのはこの時から36年も前の、1977年だった。彼女たちは人類の歴史において誰よりも遠くを旅した。一度も故郷に戻ったことはなく、またこれから戻る予定もなく、現在もただひたすら最果てを目指して旅を続けている。

彼女たちは、ボイジャー1号、ボイジャー2号という名の無人探査機だ。ボイジャー(Voyager)とは彼女たちの故国の言葉で、旅人の意味である。生まれながらにして旅を運命付けられていたのだ。

僕が姉妹の故郷であるJPLから転職のオファーを受け取ったのが2012年の10月。その2ヶ月前に、ボイジャー1号はある国境線を越えた。

太陽系の国境だった。

その国境線は、科学的にはヘリオポーズという。宇宙に吹く二つの風がぶつかり合う境界線のことである。一方の風は太陽風という。風邪をひいた人がクシャミをして飛沫を撒き散らすように、太陽は常に荷電粒子を時速100万〜300万kmの猛スピードで外へまき散らしている。その流れが太陽風だ。極夜を美しく飾るオーロラの発生源であり、宇宙飛行士を危険に晒す放射線の正体でもある。

もう一方の風は太陽系の外から吹いてくる。ただし、見せかけの風だ。風のない日でも、窓を開けて車を走らせると、前方から「風」が吹き付けてくるように感じる 。同じように、太陽系自体がヘラクレス座の方向へ時速7万kmで動いているため、星間物質と呼ばれる宇宙を漂うガスが「風」となり太陽系に吹き付けているのだ。宇宙船に乗って太陽から遠ざかっていくと、太陽風はだんだんと弱まり、やがてある場所で風が止まる。その場所がヘリオポーズだ。その外へ出ると、吹く風は太陽からの追い風ではなく、星間物質の向かい風になる。

ボイジャー1号ははじめてこの国境線を越え、異国の風の香りを嗅いだ旅人なのだ。

ここバラナシからそう遠くないインダス川のほとりで、最初の文明のひとつが芽を出してから五千年。土を焼いて器や土偶を作ることから始まった人類の技術は、長い時間をかけて少しずつ前に進み、ついに太陽系の外にまで旅する船を作るに至ったのだった。

ボイジャーは老体だ。姉妹が生まれたのは、まだフラッシュメモリーなどなかった時代である。彼女が旅の記憶を書き留めているのは、8トラックのテープレコーダーだ。その容量は約67メガバイト、現代のスマートフォンの1000分の1程度である。彼女はテープをすり切れるほど何度も何度も回しながら、そこに記された記憶を弱々しい電波に乗せて地球に送り続けている。ヘリオポーズからは、光の速さで進む電波でも、地球に届くには17時間かかる。通信速度はわずか160 bps、つまり現代のデジカメの写真1枚をダウンロードするのに2カ月もかかるほどの遅さだ。

彼女の800ピクセル×800ピクセルの網膜には、もはや何の像も映っていなかった。電力とメモリを節約するため、1990年にカメラの電源が切られ、撮影用ソフトウェアも消去されたためだ。いくつかの観測機器も故障して動かない。2025年から30年頃、電池の出力が落ちて地球と交信できなくなる時が、彼女の寿命だ。その日が来るまで、彼女はさらに遠くに向かって旅を続け、ガイガーカウンターで異国の風の香りを嗅ぎながら、まだ誰も訪れたことのない太陽系外の世界についての物語を、我々に語り続けるのである。まるでガンガーのほとりで死を待つ老女が唱える祈りのように。

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(左)探査機ボイジャー、(右)ボイジャー1号のカメラの電源が切られる直前に、約60億キロの彼方から撮られた地球。カール・セーガンが”Pale Blue Dot” (淡く青い点)と呼んだ小さな惑星が、写真右側の桃色の帯の中にわずかに見えるのがお分かりだろうか。70億の人間が生きて死ぬ淡く青い点は、宇宙でいかに小さなものなのかを、この1枚の写真は強烈に語りかけている。(Credit: NASA/JPL)

* * *

旅をすると、過去と出会える。

路上で3ルピー(5円)で飲む美味なチャイ。市場にパック詰めされずに並ぶ、 蝿がたかる赤い生肉。 床に寝る大勢の乗客で足の踏み場のない寝台列車。駅で祈る老人。川で洗濯をする母。川原でクリケットをする子供。手のない物乞い。人力三輪タクシー。道に散らばる犬や牛や猿の糞。全ては自由に臭いを発している。生ける者は生の臭いを、病む者は病の臭いを、死し者は死の臭いを・・・。きっとかつては日本やアメリカにもあったそんな風景は、保健所や、食品衛生法や、サランラップや、ファブリーズや、予防接種や、自動改札によって消去されていった。もちろん、それこそが文明の進歩であり、否定するつもりは毛頭ない。だが、人は未来と同じくらい過去に興味がある生き物である。僕が旅をする理由の一つだ。

同じように、宇宙を旅すると、過去と出会える。

地球は太陽系とほぼ同じ46億年前にできたが、地球上では30億年以上前の岩石は非常に珍しい。地球が生きているからだ。人間の肌の細胞が新陳代謝で入れ替わるように、地球の岩石は雨風や川や波による侵食で削られ、火山活動やプレートテクトニクスによる地殻更新で新しいものと入れ替わる。そして岩石に残された地球や生命の起源の記録も消去される。

だが、30億年以上前に(ほぼ)死んだ月や火星に行けば、至る所に30億年以上前の石が転がっている。歴史の大盤振る舞いである。事実、現在人類が手にしたもっとも古い石は、アポロ16号が月から持ち帰った44.6億年前の石だ。さらに小惑星に行けば、太陽系が生まれた瞬間の46億年前の記録がほぼそのまま残っている。地球や太陽系がいかにして生まれ育ったのかの記録は、地球ではなく、宇宙にある。そして、いかにして約40億年前の地球に生命が発生したかの謎を解く鍵すらも、宇宙にあるのである。

人類の宇宙への旅は、過去への旅、自らのルーツを探す旅でもあるのだ。

* * *

それから数日間、ガンガーの右岸に折り重なるように並ぶ84 のガートを端から端まで歩き、寺をいくつも巡って、さすがに飽食気味になってきた。バラナシでの最終日である明日は何をしようかと、安宿のベッドの黄ばんだシーツの上でガイドブックをめくっていたら、こんな囲み記事を見つけた。

現地の学校で授業を教えてくれる1日ボランティアを募集しています!
マザーベイビースクール

それは日本のNPOが、貧困で学校に行けない子供達のために開設したフリースクールだった。旅人に学校に来てもらい、専門知識を子どもたちに伝える「特別授業」をしてもらう、という趣旨だった。これは面白そうだと思い、さっそく事務所に電話した。翌日に特別授業をすることに決まった。

インドの子供達に何の話をしようか?

もちろん、宇宙の話だ。

 

つづく

=参考文献=
Jim Bell, “The Interstellar Age: Inside the Forty-Year Voyager Mission,” Dutton, 2015
NASA, “Voyager Background,” 1980. Available on-line at: http://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19810001583.pdfg

第3回は10/24(月)に更新予定!

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聖なるガンガーに向かって捧げられるプージャの祈り。(撮影:筆者)

 


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過去の『一千億分の八』を読みたい方はこちらから
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
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【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
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【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅

〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。


さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。