スプートニクが宇宙に旅立ったのは60年前。その頃、人々はどんな21世紀を想像しただろうか。
カップルが宇宙ホテルへ新婚旅行に行く。
高校の地質学実習で月へ40億年前の石を拾いに行く。
大学生が2年休学して火星にバックパック旅行に行く。
娘がスペース・コロニーに住んでいる男に嫁ぐ。
きっと、そんな未来を想像していたのではなかろうか。
21世紀は来た。しかし、そのような未来はまだ来ていない。
なぜか?
宇宙へ行くコストが高すぎるからだ。
ざっくり言って、現在、1 kgの重さのものを地球低軌道へ打ち上げるコストは約100万円だ。
月に行くにも、火星に行くにも、まずは地球軌道へ打ち上げなくてはいけない。打ち上げコストの高さが全ての夢の足かせになっているのだ。
しかし、どうしてそんなに高いのだろう?
宇宙は遠いからでしょ、と思うかもしれない。それは違う。宇宙は近い。たとえば 国際宇宙ステーションが飛んでいる軌道は高度たった400 km。東京〜大阪間の直線距離と同じだ。
では、技術が極限まで発達した未来に、宇宙へ物を運ぶコストはどこまで安くなりうるだろうか?
コスト(限界費用)の下限は 1 kgあたり100円あたりにあると、僕は考える。現在のコストの1万分の1である。
根拠はこうだ。宇宙に行くためには、物を高度400 kmまで持ち上げる位置エネルギーと、軌道周回に必要な秒速7.9 km (時速28,000 km)の運動エネルギーを与えればいい。合計すれば、荷物1 kgあたりに必要なエネルギーは10kWhほどだ。一般家庭が1日に使う電力とほぼ同じである。
日本の電力卸売価格は1kWhあたり5円から10円程度だ。だから宇宙に1 kgの荷物を送るのに必要なエネルギーのコストは1 kgあたり50円から100円。どれだけ技術が発達してもエネルギー保存則だけは破れない。だから、これが宇宙に行くコストの下限になる。
もちろん、これは完全に理論上の話だ。だが、宇宙へ行くコストにまだまだ下がる余地があるのは間違いない。
では、どうすれば宇宙に行くコストを、1 kgあたり100円の「夢のお値段」に近づけていけるのだろうか?
たくさん打ち上げる!
実は、ロケットの開発費は自動車の開発費とそう変わらない。
新車の開発費は300億〜500億円といわれている。一方、H2A/Bロケットの開発費は1802億円だった。自動車の5倍ほどでしかない。
それなのに、どうして自動車はサラリーマンにも手が届く値段なのか。たくさん売れるからだ。開発に300億円かかっても、30万台売れれば、1台あたりの開発費は10万円だ。
一方、H2A/Bは現在までに38機しか打ち上げられていない。単純に割り算すると、1機あたりの開発費は48億円だ。
ではどうして打ち上げ回数が少ないかというと、コストが高すぎて需要が少ないからである。 だから余計にコストが下がらない。鶏と卵なのだ。
この状況はこれから10年で劇的に変わると思う。2013年頃まで、世界の商業打ち上げ市場は、ヨーロッパのアリアン・ロケットとロシアのプロトン・ロケットの2強が、年間たった20回程度の商業打ち上げ需要をほぼ寡占していた。
そこに殴り込みをかけたのが新興のSpaceX社だ。2002年の創業からたった10年でH2Aとほぼ同じ能力を持つ大型ロケット、ファルコン9を完成させた。その価格は地球低軌道へ1 kgあたり約30万円。相場の3分の1程度である。
さらにSpaceXは新手に出た。需要がないなら自分で作ってしまおう、という発想だ。なんと4,425機もの自前の人工衛星を打ち上げて、インターネット接続サービスを行う計画を持っている。
需要が増えればコストが下がる。コストが下がればさらに需要は増える。 この好循環が回り出せば、10年以内に打ち上げコストは現在の10分の1、つまり1 kgあたり10万円くらいには下がるのではないかと、僕は思う。
だが、まだまだ1 kgあたり100円の「夢のお値段」には程遠い。どうすればよいのか?
再使用する!
車は乗るたびに使い捨てない。僕が以前に乗っていたホンダのシビックは10年で27万 kmも走った。
飛行機も飛ぶたびに使い捨てない。たとえばボーイング747型機 は30年で5000万km以上飛べる。
だが、ロケットは宇宙に行くたびに使い捨てている。飛行時間は10分、飛行距離は数千kmから数万kmだ。
だから、ロケットも繰り返し使えばコストが下がるという発想が当然沸く。
20世紀前半のSFに描かれたロケットは、むしろ再使用型の方が一般的だった。考えてみれば、巨大なロケットを使い捨てにする方がむしろ奇妙なのかもしれない。
部分的ではあるが、再使用型ロケットというコンセプトを最初に実現したのは、1981年に初飛行したNASAのスペースシャトルだった。
「スペースプレーン」と呼ばれる完全再使用機も1960年代以降から盛んに研究されてきた。空港から飛行機のように飛び立って宇宙へ行き、空港へ飛行機のように帰ってくる。そして燃料を補給したら、また宇宙へ飛び立つ。それがスペースプレーンだ。
1980年代にアメリカで研究されたスペースプレーンX-30の想像図(Image: NASA)
しかし、なぜスペースプレーンはまだ実現していないのだろうか?
その理由のひとつは、何種類ものエンジンを組み合わせないといけないからだ。マッハ1の手前までは飛行機と同じターボジェット・エンジン。マッハ5くらいまではラムジェット・エンジン。マッハ10くらいまではスクラムジェット・エンジン。その先はロケット・エンジンが必要になる。そしてスクラムジェットの開発は難航した。
そうこうする間に、SpaceXはまたも世界を驚かせた。
2015 年、高さ50m近くあるロケットの第1段を、垂直に着陸させることに成功したのだ。目的はもちろん、再使用だ。そして将来的には第2段も着陸させ、ロケットを完全再使用することを構想している。
いつの間にか研究者たちの頭は「再使用といえばスペースプレーン」で凝り固まっていた。離陸から着陸までロケット・エンジン1つで済ませる方が、多少効率は悪くてもシンプルに再使用を実現できる。まさに灯台下暗し、だった。そしてたった数年のうちに、「再使用といえばロケットの垂直着陸」が新たな常識になった。
ドローン船に着陸するSpaceXのファルコン9ロケット(Credit: SpaceX)
だが僕は、常識は再び覆されると予想する。おそらく21世紀の間にスペースプレーンの時代が来るだろうと思う。コストが下がり、宇宙への旅が大衆化するにつれ、人は利便性を求めるからだ。
もしスペースプレーンが実現すれば、羽田空港や伊丹空港から宇宙に行ける。未来の空港の出発案内板には、世界各地の空港と並んで、「イトカワ宇宙ステーション」「フォン・ブラウン宇宙研究所
」などという行き先も出ているかもしれない。
ただ宇宙に行くだけではない。羽田から宇宙経由でニューヨークまで飛べば、1時間もかからずに着いてしまう。アメリカへも日帰り出張する時代になる。しかも飛行中に窓から青く丸い地球を眺められる。なんと贅沢な出張ではないか。
では、再使用でどれほどコストが下がるか。
これは未知数だ。整備コストの問題があるからだ。
スペースシャトルはこの問題に呪われた。大気圏再突入の際、機体は超高温に晒される。そのため、帰還するたびに機体を覆う2万枚の耐熱タイルの1枚、1枚を全て目で点検し、傷んだものを手作業で交換する必要があった。エンジンも着陸のたびに取り外してオーバーホールした。結局、再利用が裏目に出て、当初は1050万ドル(当時のレートで38億円)と宣伝された1回の飛行あたりのコストは、実際には平均で4億5000万ドル(約450億円)もかかってしまった。*
だから、再使用でコストを減らすには、簡単な点検・整備ですぐに再飛行できる機体を開発できるかが課題となる。
SpaceXのCEOであるイーロン・マスクによると、ロケットの再使用により「長期的にはコストは100分の1以下になりうる」とのことである。ロケットのコストのうち燃料が占める割合がおよそ1%であることが根拠だそうだ。もし本当にその言葉通りになれば、打ち上げコストは1kgあたり1万円まで下がる。
だが依然、1 kgあたり100円の「夢のお値段」には届かない。どうすればよいのか?
究極のソリューション:宇宙エレベーター
きっとSFなどで聞いたことがあるだろう。宇宙まで行けるエレベーターを作ってしまおう、という究極の発想だ。
宇宙エレベーターの原理は簡単だ。あなたがヒモの先に重りをつけて、手でブンブン振り回す。十分早く回せば、ヒモはピンと張ったままだ。
同じように、長さ4万キロのヒモの一端に重りをつけ、もう一端を地球に固定する。地球は回転しているから、ヒモはブンブン振り回され、ピンと垂直に張ったままに保たれる。
未来の宇宙旅行者はこのヒモを登るだけで宇宙に行ける。ロケットはいらない。必要なのはカゴを引っ張り上げる電力だけだ。
高度2万4千kmまで登ってヒモから手を離すと、地球の反対側の地表近くをかすめる楕円軌道に入り、宇宙に居続けることができる。ここまで登る電気代は1kgあたり140円ほど。送電やモーターなどで50%のエネルギーのロスがあったとしても、1kgあたり280円である。*
高度3万6千kmまで登ってヒモから手を離せば静止軌道に乗れる。ここまで行く電気代は、1 kgあたり320円ほどである。
さらに登って 高度4万4千kmまで行けば、月に行ける軌道速度に達する。つまり、タイミングよくヒモから手を離すだけで、ほとんどロケットを使わずに月に行けてしまうのだ!さらに高度5万7千kmまで登れば、ほとんどロケットを使わずに火星に向かう軌道にも乗れるのである!
Credit: NASA
もちろん、宇宙エレベーターを実現するのは簡単ではない。最大の技術的ハードルは、ヒモの強度だ。現存するどんなに強いヒモを使っても、ヒモ自身の重さに耐えられずに切れてしまうのだ。
宇宙エレベーターを実現するには、直径たった1 mmのヒモが10トンもの重さを支えられるほどの強度が必要だ。
そんなに強い素材など、あるのだろうか?
ひとつだけある。カーボン・ナノチューブだ。だが、現在の技術では長さ50 cmのカーボン・ナノチューブの繊維を作るのがやっとだ。4万kmにはほど遠い。毛糸のようにカーボン・ナノチューブの繊維をより合わせて長いヒモを作ることはできるが、強度は10分の1以下に落ちてしまう。
メンテナンスも問題だ。原子状酸素や放射線によってカーボン・ナノチューブが劣化するからだ。
実現にはブレイクスルーが要る。それがいつ起きるかは分からない。でも、いつかその日が来るだろうと僕は思う。未来の子供たちは、博物館に展示されているロケットを見て、
「昔の人はこんなものに乗って宇宙に行ってたんだって、信じられない!」
と言うだろう。
夢物語に思えるだろうか?
もしそうならば、本連載で語ってきたように、たった100年前には宇宙に行くこと自体が 夢物語だったことを思い出して欲しい。
「人が想像できることは 必ず人が実現できる」とは、ジュール・ベルヌの言葉である。100年前の人のイマジネーションが現代の現実を形作った。だから、100年後の現実を形作るのは、現代の我々のイマジネーションなのである。
では、イマジネーションを働かせて、22世紀の宇宙旅行を想像してみよう。
2101年宇宙エレベーターの旅
あなたはガラパゴス宇宙ターミナルの待合ロビーのガラス越しに、赤道直下の眩しい太陽に照らされた、穏やかな青い海を見ている。宇宙エレベーター「バベルII」がガラパゴス諸島沖合に建設されたのは、この嵐も雷もほとんどない穏やかな気候が理由だ。搭乗の準備が整ったとのアナウンスが入り、あなたはゲートに向かう。3両連結の宇宙列車「カンダタ号」はビルのようで、合計で24のフロアがある。あなたが乗る二等寝台の客室は20世紀の寝台列車のような四人部屋のコンパートメントになっていた。4泊5日の長旅も快適そうだ。
あなたの同室の一人はマルティネスという若い男で、太りすぎで車椅子に乗っていた。彼は静止軌道ステーションで働く人工衛星の整備士で、休暇で実家に帰省した帰りだそうだ。3分に一度「重力死ね 」と独り言を吐いていた。
あとの二人はラーマとシーターというインド人夫婦だった。 彼らは銀婚式旅行で、低軌道遷移ステーションから軌道間シャトルに乗り換えてヴィマーナ宇宙宮殿というリゾートホテルに行くという。
カンダタ号が出発すると、太平洋の青い海はぐんぐんと遠ざかり、空の青も薄らいでいって、30分も経たないうちに黒い空に星が輝きだした。あなたが初めて宇宙から見る地球は息を呑むほどに美しかった。どうして最初に宇宙に行った人間の言葉が「地球は青かった」だったのか、 分かったような気がした。
翌日、あなたは寝台で目を覚ましたら、体が綿のように軽く感じた。窓のARディスプレーによると、高度は15,000キロに達し、体感重力は地上の10分の1になっていた。慣れないあなたは立ち上がるなり天井に頭をぶつけた。一方、マルティネスは車椅子を片付け、「やっと生き返ったぜ 」と独り言を呟いた。
3日目の朝、液晶ウインドウを透明にすると、地球は窓にすっぽりと収まるほどに小さくなっていた。昼過ぎに低軌道遷移ステーションに到着し、ラーマとシーターが降りていった。
4日目、 静止軌道ステーションに停車すると、コリオリ力も消えて完全な無重力になった。マルティネスが降りたあと、あなたは一人になったコンパートメントで宙返りをして無邪気に遊んでいると、急に若い女性の客が乗り込んできて赤面した。
彼女はヨーコという名の日系アメリカ人で、これから火星に一人でバックパック旅行に行くという。サバサバとした話し方に一抹の寂しさが混じっていた。目の形を変えずに口元だけで笑う笑い方が、ドライな印象を与えた。
「君はどこに行くの?」
ヨーコが荷物を壁に固定しながらぶっきらぼうに聞いてきた。
「月だよ。」
「何しに?」
「君と同じだよ。バックパックさ。」
あなたがしばらくヨーコと旅の話をしていたら、アナウンスが入った。
「この先、重力が反転します。天井側の座席を引き出してご利用くださいませ。」
静止軌道から先では重力より遠心力が強くなるため、重力が上下逆転したように感じる。だから天井にも収納式の座席が用意されているのだ。
翌朝、「まもなく月遷移ステーションに停車します」というアナウンスに起こされ、あなたは慌てて荷物をまとめだした。ヨーコはさらに1日乗って終点の惑星間ステーションまで行く。火星や方々の小惑星、木星系などへの船が発着する駅だ。
「ボン・ボヤージュ。」
降り際にあなたが言うと、ヨーコは「バーイ」と言って口元だけのスマイルを返した。
月遷移ステーションには、月へ行く各社の船の他、ラグランジュ点天文台へ向かう定期便も出ていた。
「月軌道行きコロンビアード号、ご搭乗の最終案内をいたします。」
そう流れたアナウンスに急かされ、あなたは搭乗ゲートへと急いだ。
(つづく)
=次の方のご意見を参考にしました。(敬称略)=
松浦晋也(航空宇宙評論家・ライター)
佐藤実 (東海大学講師・宇宙エレベーター協会フェロー)
=参考文献=
松浦晋也 スペースシャトルの落日 ちくま文庫 2010
佐藤実 宇宙エレベーター その実現性を探る 祥伝社新書 2015
The Space Elevator (NIAC Phase II Final Report) Bradley C. Edwards. 2003
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【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。