宇宙人生ーNASA技術者が読む宇宙兄弟

《第14回》宇宙人生ーーNASA技術者が読む宇宙兄弟

2015.11.03
text by:編集部コルク
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《第14回》
NASA技術者が読む宇宙兄弟

『宇宙兄弟』に描かれているNASAのミッションは、将来本当に実現するのか?

「現実世界では、どうやら月着陸よりも、小惑星ミッションの方が先に実現しそうです。」
そう語るのはNASAで働く技術者である小野雅裕さん。10月20日に開催された宇宙兄弟イベントで「NASAの宇宙兄弟的リアル」についてトークをしていただきました。チケットが2日で完売してしまい、来ることのできなかった方も多くいたので、トークの内容の一部をコラム『宇宙人生』にてお伝えします!
NASAの考える有人小惑星探査の方法とは? そして今、どこまで開発が進んでいるのか?
『宇宙兄弟』の名シーンをなぞりながら、解説していただきます!

『宇宙兄弟』の作中では、月や国際宇宙ステーション(ISS)、小惑星へ向かう有人宇宙飛行ミッションが、リアリティーをもって描かれています。

現実世界では、どうやら月着陸よりも、小惑星ミッションの方が先に実現しそうです。おそらく2020年代中頃に、オリオン宇宙船の二度目の有人飛行で、NASAは小惑星に宇宙飛行士を送り込む計画なのです!

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右:NASAが構想するAsteroid Redirection Mission(画像提供:NASA)
ただし、宇宙飛行士が小惑星の軌道まで行くわけではありません。まず無人宇宙船を小惑星に送り込んで、小惑星の一部を月軌道まで運んできます。その後に宇宙飛行士を乗せたオリオン宇宙船を月軌道に送り込んで、小惑星を探査する、という段取りです。

こちらから行くのではなく、小惑星を連れてくる。有人ミッションの期間とコストを大幅に減らす、コペルニクスの卵のような発想です。でもなんだかズルしているように思われますか?いえいえ、そうではありません。実は、無人宇宙船で小惑星を運ぶ技術を実証すること自体も、ミッションの目的のひとつなのです。なぜか。万が一将来に地球に衝突する小惑星が見つかった場合に、その軌道を逸らし、地球を守るためなのです。Asteroid Redirection Mission (ARM)と呼ばれているのはそのためです。(Redirectとは方向を変える、という意味です。)

一方、有人月着陸ミッションについては、具体的な計画はありません。ですが、作中でムッタやヒビトが乗るオリオン宇宙船は、スペースシャトルの後継の有人宇宙船として、現実のNASAでも開発が進んでいます。2014年12月に無人のオリオン宇宙船がDelta Heavyロケットによって打ち上げられ、地球を2周する間に様々な試験を行ったのち、大気圏に突入して無事に帰還しました。

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下:オリオン宇宙船の構想図(画像提供:NASA)
現実のオリオン宇宙船は、上の図のように、『宇宙兄弟』作中のものと形がそっくりですが、細かな違いもあります。たとえば太陽電池パネルの形が異なることにお気づきでしょうか。作品が不正確なのではなく、連載が始まったあとに設計の変更があったためです。この太陽電池パネルがついている後ろ側は「サービス・モジュール」と呼ばれている部分なのですが、それをNASAではなく欧州宇宙機関(ESA)が担当することになったのです。ESAが開発した無人の宇宙ステーション補給船・ATVを改造して、オリオンのサービス・モジュールに転用する計画です。おそらく、ESAはサービス・モジュールを提供するかわりにオリオンにヨーロッパの宇宙飛行士が乗る権利を得る、ということになるだろうと思います。

余談ですが、将来の月・小惑星・火星有人探査計画において、日本がどのような役割を担うか、そしてどのような取引でオリオンに日本人宇宙飛行士の席を確保するのか、まだ明確なプランは無いようです。NASAは国際協力に前向きですので悲観はしていませんが、ヨーロッパに比べて出遅れている感は否めません。ぜひ、日本人宇宙飛行士が月や小惑星に行くのを、『宇宙兄弟』の作中だけではなく、現実世界で見てみたいものです。

オリオンを宇宙へと運ぶロケットも開発が進んでいます。作中ではアレスIとアレスVという二種類のロケットが登場したことを覚えていらっしゃるでしょうか。ヒビトやムッタが地球から飛び立つ時に乗った、やけに細くて頭でっかちなのがアレスI。ムッタのお母さんも「本当に大丈夫なのこの人?こんな細くて…」と心配していましたね。一方、ジェニファーが「史上最大の無人ロケット」と解説する、どっしりと太い人がアレスVです。月ミッションではまずアレスVで地球離脱ステージや月着陸船を無人で打ち上げておいて、その後に宇宙飛行士を乗せたオリオンをアレスIで打ち上げドッキングさせる、という段取りでした。セリカとエナが地球軌道上の国際宇宙ステーション(ISS)に行くときは、アレスIのみを用いてオリオンを打ち上げていましたね。

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アレスIとVも実際にNASAで開発が行われていました。「しました」と過去形にしたのは、2010年に計画がキャンセルになってしまったからです。(『宇宙兄弟』の連載開始が2007年でしたから、その時点では正確な描写でした。)余談ですが、このように開発途中で計画がキャンセルされることは珍しいことではありません。たとえば日本もHOPEという名の無人の日本版スペースシャトルを開発する計画が過去ありましたが、実験機を開発中だった2000年にキャンセルになってしまいました。

アレスの代わりに現在開発されているのが、スペース・ローンチ・システム(SLS)という超大型ロケットです。全体的な規模や設計はアレスVとよく似ています。このロケットは有人のオリオン宇宙船を一度に月へ向かう軌道まで運ぶ能力を持ちます。また、無人ミッションにも用いられます。一方、ISSに行くだけのミッションでは性能が過剰です。どうするのでしょうか。

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超大型ロケット、スペース・ローンチ・システムの想像図(画像提供:NASA)
実は、ISSへの人員輸送にはオリオンもSLSも使いません。民間の宇宙船とロケットに全面的に委託する計画です。民間宇宙開発の急速な発展に伴い、民間でもできる地球低軌道への輸送は民間に任せ、NASAは月、小惑星、火星など、もっと遠くの目標に集中する、というのが現在のNASAの方針なのです。NASAの予算が限られている中で、理に適った方針であると僕は思います。現在、スペースXとボーイングの2社がNASAからの委託を受けて有人宇宙船を開発しています。2017年終わりまでには初飛行が行われる予定で、とても楽しみです。

作中でも、宇宙飛行士選抜に漏れた福田が転職して民間有人宇宙船の開発に従事するという設定がありました。近い将来、セリカやエナのような宇宙飛行士がISSに向かうときに乗るのは、そのような民間の宇宙船になるでしょう。

このように、現実世界での計画変更により生じた乖離を除けば、『宇宙兄弟』は実際の宇宙開発をとても正確に描写しています。細部までとても丁寧に調べて描いているな、というのが、僕が読んで受けた印象でした。(雑なSFも世の中には多くあります。)

作者の小山さんの細部へのこだわりの強さをしめすエピソードがあります。宇宙兄弟イベントの打ち上げの席で小山さんとお話したときに、「月の裏側では影はどのように見えるのか」という質問を受けました。まだ人類の誰も月の裏側に行ったことはないのですから(アポロは全て表側の探査でした)、たとえ影の描写が不正確でも、誰一人不自然だとは思わないはずです。

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズのお父さんは日曜大工が得意で、息子に「戸棚や柵を作るときは、見えない裏側までしっかり作らなければならない」と教えたそうです。そのこだわりが、後に彼が魅力的なコンピューターを作るために生かされたといいます。小山さんのこだわりも、似たものがあるのかもしれません。ストーリーの裏張りともいえる技術的詳細へのこだわりが、たとえ読者が意識上では気付いていなくても、この作品の魅力を高めている要因となっているように思います。

ですが、僕が感じる『宇宙兄弟』の最大の魅力は、現実世界との整合性や技術的描写の正確さではありません。登場人物それぞれの宇宙への情熱が、ていねいに描写されている点です。たとえばシャロン博士は子供の頃に望遠鏡で覗いた星空の美しさがきっかけとなって天文学者になり、そのシャロンの天文台に入り浸っていたムッタとヒビトが成長して宇宙飛行士になります。

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僕自身にも、宇宙への情熱の源となる子供時代の経験がありました。僕にとってのシャロンは、父親でした。僕が小学校低学年の頃だったでしょうか、父が立派な天体望遠鏡を買ってくれました。寒い冬の夜、ブクブクに着込んで父と一緒にベランダに出て、白い息を吐きながら、白い望遠鏡の筒を通して眺めた月の表面や、木星の衛星や、土星の輪。あれが僕の原点です。それから、道につまずいたり迷ったりすることもありましたが、夢中で勉強や研究を頑張って、25年かかってここまでたどり着き、まさに本連載のタイトル通りの「宇宙人生」を送っています。

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写真右:小野さんが幼少時にお父さんに買ってもらった天体望遠鏡
宇宙飛行士に選ばれたエナが、将来について迷う妹に、こんな言葉でアドバイスしたシーンがあります。
「時間も忘れて続けられるようなものが1コでも見つかればいいよね。」
僕にとっての最大の幸運は、時間を忘れて夢中になれるものを、子供の頃に見つけることができたことでした。誰だって勉強や練習がしんどいのは同じです。夢中になるからこそ続けられるし、続けることが夢を叶える必要条件です。

もちろん僕は幸運なケースで、若い読者の方の中には、エナの妹のように将来何になりたいか分からないという人も少なくないでしょう。慌てる必要はありません。探し続けてください。そしていつか、時間も忘れて続けられるものを見つけられたら、それがあなたの「XX人生」のスタートラインです。
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コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!

書籍の特設ページはこちら!


〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。

本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。

■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
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