悲しきロケット/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載07 | 『宇宙兄弟』公式サイト

悲しきロケット/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載07

2018.03.16
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

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そうして生まれたフォン・ブラウンの夢の落とし子は、1944年9月8日、オランダのハーグ近郊から、猛烈な火を吹いて空に向け飛び立った。その悲しきロケットは最初は垂直に飛び立ったが、やがて西へ機首を傾けた。その間にもぐんぐん高度を上げ、雲を抜け、数分のうちに星が輝く宇宙空間に達した。眼下には丸みを帯びた青く美しい地球の水平線が見えた。ロケットはほんの数分間だけ、フォン・ブラウンが幼い頃から夢見続けた宇宙を漂った。

しかしやがて地球の重力に引かれ、加速しながら高度を落としだした。ぐんぐん近づく地面。雲の下に出ると夕方のロンドンの街の灯りが見えた。その真ん中をめがけて、ロケットは猛烈な速さで突っ込んでいった。そして午後六時四十三分、ロケットは道路に激突し、積まれていた1トンの爆弾が炸裂した。近くにいた不運な三人が命を落とした。その中には三歳の女の子も含まれていた。

フォン・ブラウンはどう思ったのだろうか? 良心の呵責を感じたのだろうか? それは彼の心に何か囁いたのだろうか……?

歴史は心を記録しない。だが、V2の「成功」のニュースを聞いたフォン・ブラウンは、仲間にこう漏らしたと伝えられている。

「ロケットは完璧に作動した……間違った惑星に着陸してしまったことを除いては。」

現実世界で悲劇が繰り広げられる間も、彼のイマジネーションの中ではロケットは宇宙を飛んでいた。フォン・ブラウンにとってイマジネーションとは「聖域」だった。どんな悲劇も人々の悲しみも阿鼻叫喚も、そこに一切立ち入ることはできなかった。だから彼の夢は純粋であり続けたのだった。

戦中に約3000機のV2が主にイギリスやベルギーに向けて発射され、約九千人の命を奪った。さらにV2を製造するための強制労働で一万二千人が命を落としたと言われている。だが、V2は悲劇に悲劇の上塗りをしただけで、崩れゆくドイツの運命を変えることには少しも役に立たなかった。そればかりか、V2に資金を集中投下したのはヒトラーの戦略的ミスであったとも言われている。もしその資金が原爆に使われていたら(考えるだけでおぞましいが)、戦争の結果があるいは変わっていたかもしれないからだ。

V2により破壊されたロンドン

 

フォン・ブラウンが義心からわざと使えない兵器をヒトラーに売り込んだ、と考えるのはナイーブだろう。彼は単純に、宇宙への夢を叶えるためにナチスの資金が欲しかっただけだ。ナチス政府に対しても忠実だったようだ。1944年3月にある事件が起きるまでは。

その晩、フォン・ブラウンはパーティーで大酒を飲んで酔っ払い、無邪気に宇宙への夢を仲間に語った。誰かがそれを、そっと秘密警察ゲシュタポに密告した。

3月22日の夜2時頃。出張先のホテルで眠っていたフォン・ブラウンは、ドアをドンドンと乱暴に叩く音に目を覚ました。ドアを開けた彼は驚いた。そこにいたのはゲシュタポのエージェントだった。警察署への同行を求められた。

「つまり私を逮捕するということか? 何かの誤解にちがいない!」

「逮捕するとは言っていない! お前を保護拘置するよう緊急の命令が下ったのだ。」

もちろん、それは逮捕と変わりなかった。フォン・ブラウンは着替えて荷物をまとめ、エージェントについてホテルを出た。外には車が待っていた。警察署に着くなり彼は監房に放り込まれた。

罪状はサボタージュ。宇宙船を作るためにロケット開発を遅延させたと咎められた。死刑にもなりうる罪だった。

ゲーテの戯曲の中で、ファウストは悪魔の力によって獄中から恋人を救おうとする。獄中のフォン・ブラウンを救ったのも「悪魔」の力だった。V2に形勢逆転の望みを託すヒトラーにとって、フォン・ブラウンは必要な人材だった。ヒトラーの鶴の一声でフォン・ブラウンは釈放された。

だが、この頃からフォン・ブラウンはナチスに対して懐疑的になっていった。ナチスはフォン・ブラウンの夢を咎めた。それは彼の「聖域」だった。ロケットが戦争に使われることは許せても、夢に干渉されることは許せなかったのかもしれない。

ドイツの戦況はますます悪化していた。米英軍はノルマンディーに上陸してパリを奪回し、東からはソ連軍が迫っていた。ドイツが戦争に負けることをフォン・ブラウンは冷静に理解していた。宇宙への夢を祖国とともに心中させる気は、彼には微塵もなかった。そして、ドイツになだれ込んでくる勝利者たちがV2の技術を喉から手が出るほど欲しがるだろうことも、彼はしたたかに知っていた。

1945年が明けた頃、彼は信頼できる部下数人を農場の小屋に集めて秘密のミーティングを開いた。彼は言った。

「ドイツは戦争に負ける。だが忘れてはいけない、世界で初めて宇宙に手が届いたのが私たちであったことを。私たちは宇宙旅行の夢を信じることを決してやめなかった。どの占領国も私たちの知識を欲しがるだろう。問題は、どの国に私たちの遺産を託すか、だ。」

選択肢は四つあった。ソ連、イギリス、フランス、そしてアメリカ。フォン・ブラウンはナチスでの経験を通して、夢を叶えるために二つの条件が要ることを知っていた。自由と金だ。その両方がある国はひとつしかなかった。

アメリカだ。

フォン・ブラウンたちは密かに準備を始めた。14トンにもおよぶV2の技術資料をハルツ山地の鉱山のトンネルに隠し、入り口をダイナマイトで爆破して塞いだ。アメリカ軍への「身代金」だった。

(つづく)

<以前の特別連載はこちら>


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【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
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【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
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【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。