【KAGAYAフォトエッセイ『一瞬の宇宙』】第一章 宇宙の中の小さな自分に出会う〜ウユニ塩湖で星の野原に立つ(3/3)星の野原に立つ〜
忙しかったりつらかったり、悩んでいたり、ひたむきにがんばっている方にこそ、ほんのひと時でいいから空を見上げてほしいーー
宇宙兄弟公式サイトでは、世界中で星空を撮り続けるKAGAYAさんのこのフォトエッセイを大公開します。
星の野原に立つ
夜明け、赤く染まった塩原の彼方に何台かの車の影が見えました。助けを求めようとバスカルさんを起こしました。彼はテントから眠そうに這い出ると、助けを求めるふうではなく、再び車のボンネットを開けて何かをしていました。そして彼が運転席に座ったかと思うと、にわかにエンジン音が轟き渡りました。
「えっ!?」
バスカルさんがこちらに向かってガッツポーズをしています。そしてちょうど朝日がバスカルさんに後光のように射しました。車のエンジンはかかりました。
どうして直ったのかを尋ねてみると、眠る前にバッテリーと車体との接続をすべて外し、一晩放置したそうです。急に使いすぎてあがったバッテリーは時間を置くと自然と回復するのだそうです。バスカルさんはガイドの仕事以外にもモータースポーツの仕事をしているため、車のことには詳しいのです。彼は待つしかないことを知っていて、その間に眠る、という極めて合理的な行動をとっていたのです。
わたしたちは食料調達や準備のために、いったんウユニの町へ戻ることにしました。車は、白く眩しい塩原を軽快に走りました。驚きと不安と、一晩でいろいろな体験をしたインカ・ワシ島が、遠くなるにつれ蜃気楼で浮いた島のようになり、バックミラーの中にいつまでも見えていました。
ウユニの町に着くと、バスカルさんとは別行動をとり、それぞれの準備をしました。わたしはホテルでカメラのバッテリーを充電したり、撮影した写真データのバックアップを取ったりしながら夜に備えて睡眠をとりました。そして午後再び合流し、今度こそ水のあるトゥヌパ火山のふもとへと向かいました。
ウユニ塩湖で、湖面に風景が映り込む写真を撮るためには、
- 雨季に出かけてそこに水があること。
- 晴れていること。
- 風が吹いていないこと。
が条件です。風があると水面に波が立って、鏡にならないのです。星々の小さな光は、水面に小さな波があるとかき消されてしまいます。
どうしてウユニ塩湖の水面が鏡になりやすいかというと、水深が数センチメートルと、とても浅いからです。水の表面に立つ波は、水深が深いと大きく揺れてなかなかおさまりませんが、浅ければさざ波は風が止めばすぐにおさまります。ウユニ塩湖はいわば巨大な水たまりで、風さえおさまればたちまち鏡になるのです。ふつうの湖では、よほど無風状態が続かない限り鏡面にはなりません。そして水深がごく浅いウユニ塩湖はその水鏡の上を歩くこともできるのです。
再び車を走らせ、今度は無事にトゥヌパ火山のふもとに到着しました。そこには本当に水面が広がっていました。方角を確かめると、トゥヌパ火山を横に見て、ちょうど明け方に天の川の中心が昇ってくる方向へと水面が広がっています。そして、天気は相変わらず晴れ。沈む夕日が塩原に長い山の影を落としていました。
「これは、いけるかもしれない」
しかし最後の問題は風でした。昨日と同じように強風が吹き荒れていて、湖面に映り込む風景はひどく乱れていました。
わたしは前日の夜のことを思い出していました。昨夜も夕暮れから夜中にかけて、猛烈な風が吹いていましたが、夜半をすぎると穏やかな風になり、夜明けにはピタリと止んだのでした。おそらくこれが平均的な一日のサイクルなのではないか。そう楽観的に信じて、風の中テントを張り、「待つしかない」と昨夜のバスカルさんを見習って休むことにしました。
ここは標高3700メートル。富士山の山頂ほどの高さです。日本から訪れる方の中には高山病に悩まされる方も少なくないと聞きます。わたしもそれを心配していました。以前富士山頂に連泊したときには息が苦しくてろくに眠れなかったのですが、今回は大丈夫のようです。標高の高いボリビアに到着した日、すぐ寝ずに、意識して深呼吸をしながら身体を慣らしたのがよかったのでしょうか。それとも以前の富士山の経験を身体が覚えていて少しは慣れていたのでしょうか。
そんなことを考えながらウトウトしていると、バサバサいっていたテントの音がいつの間にか静かになり、フラミンゴの鳴き声が響きました。
「風が? 止んだ?」
わたしはテントから飛び出し、長靴を履き、三脚に取り付けたカメラを2セット持って水辺へ向かいました。
「鏡になってる!」
星々が足元に広がり、天の川までも映っています。
静かに宙を映す水面を一歩、また一歩踏み出すと(そう、この水面は歩けるのです!)、波紋が広がって星の野原が揺らめくのでした。
「星空の上を歩いているみたい……」
水深わずか3センチメートル。どんどん水鏡の上を歩いていき、振り返ると、まるで宇宙の中に立ち尽くしているようで、自分がどのくらいの距離を来たのかもわからなくなりました。
広大な水鏡に空を映す世界の絶景ウユニ塩湖。その鏡に最高の星空が映ったところを見てみたい。その一心で地球の裏まで出かけ、たどり着いた光景。普段見慣れたのとは逆さまの星座がわたしの平衡感覚を狂わせます。憧れていた宇宙遊泳はこんな感じなのかな。自分が立っている場所が地球であることさえ忘れそうでした。
水平線から天の川が上下に広がってわたしをぐるっと取り囲んでいます。天の川はわたしたちがすむ銀河という星の大集団を内側から見た姿で、天の川にぐるっと一周取り囲まれて初めて、本当にこの銀河の中に浮かんでいるんだと実感したのです。
夢のような景色に浸って、どのくらいたたずんでいたでしょうか。
「写真、撮らなきゃ」
我に返って三脚を立て、撮影を始めました。いつまた風が吹き出すかもわかりませんし、夜明けまでそう時間もありません。
下が全部塩水なので物を落としたり置いたりすることができません。いつものようにやれば失敗はないはず。レンズの絞りを開放に。星にピントを合わせて、露出は20秒……。
液晶モニターに出た一枚目の画像を見てはっとしました。これが撮りたかった写真。
「ついにたどり着いたんだ」
撮れた写真には、天の川が水平線を境に上下対称に鏡映しにはっきりと写っていました。ふと、この写真の中に自分も入ってみたくなりました。カメラのシャッターを自動で連写するようにセットし、カメラの前にゆっくり歩いてゆきました。1枚の写真を撮るためにシャッターが開いている時間は20秒。その間動かないでいればピタリと止まった状態で写真に写ることができます。星々もゆっくり動いていますが、20秒くらいまででしたら点に写ります。そこに写った星々の光はこの宇宙を何十年、何百年と旅してやっと地球に届き、今、カメラのレンズに飛び込み、カメラの素子に到達して記録されたのです。カメラのレンズの中に飛び込んできた星の光のおよそ半分はウユニ塩湖の水面に反射したものです。こうして20秒間もの間光を集めると、人間の目で見える以上の星まで写し記録することができます。
星の写真を撮るということは時空の旅をしてきた星の光を捕まえ、一瞬の宇宙を切り取るということ。
そこには大いなる宇宙と、それを見上げる小さな自分が写っていました。
静けさの中、フラミンゴの鳴き声と星々に包まれた湖に夜明けが近づくと、水鏡が鮮やかな暁のグラデーションを映していました。その夜明けの色の中に星が消えていき、生涯忘れることはないであろう夜が終わりました。
地球は銀河の中に浮かぶ惑星。そしてその上に小さいながらもわたしは存在している。 ウユニ塩湖は、それを体感させてくれた場所でした。
今回、わたしたちは水鏡を求めて塩原を何百キロメートルも走り回りました。本来雨季には水が阻み、そんなに走ることはできないということを後になって聞きました。湖の真ん中の島や対岸の風景、不安を胸に見上げた恐ろしいほど美しい星空。そして水鏡の宇宙。図らずも乾季と雨季両方の魅力を見ることのできた今回のウユニ塩湖の旅は、本当に恵まれていたのかもしれません。
水鏡に映った星空の中を歩きたい。その目的のためにわたしは地球の裏側までやってきました。
ところが、自然はいつも味方してくれるわけではありません。どんなに願っても自然がわたしの思うとおりの姿を現してくれるとは限らないのです。わたしはただ自然に与えられた世界の中で、できる限りのことをするしかありません。
今回、わたしが目的に向かう勢いに同調して、力になってくれた人に出会えたのが幸運でした。バスカルさんは延々と塩原を走ったり、キャンプをしてくれたり、全力で付き合ってくれたのです。そのおかげで夢のような体験ができたと思っています。
全力で何かに向かって走っているとき、わたしの熱意を理解して協力してくれる人に出会えることがしばしばあります。わたしはその人たちに助けられ、目標に導かれていると感じています。
消えゆく天の川と夜明けのグラデーション
絵画制作をコンピューター上で行う、デジタルペインティングの世界的先駆者。
星景写真家としても人気を博し、天空と地球が織りなす作品は、ファンを魅了し続け、Twitterフォロワー数は60万人にのぼる。画集・画本
『ステラ メモリーズ』
『画集 銀河鉄道の夜』
『聖なる星世紀の旅』
写真集
『星月夜への招待』
『天空讃歌』
『悠久の宙』など