22枚のデジタル写真/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載33 | 『宇宙兄弟』公式サイト

22枚のデジタル写真/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載33

2018.07.20
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

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マリナー2号には、現代では当たり前のあるものが積まれていなかった。

カメラである。僕は旅行にカメラの電池を忘れて妻にキレられたことがあるが、そうでもなければ旅に出て写真を一枚も撮らずに帰ってくることなどありえない。金星旅行ならなおさらだろう。なぜ、マリナーはカメラを持って行かなかったのか?

理由のひとつは雲だ。金星は全体が分厚い雲に覆われていることが知られていたので、普通のカメラではどんなに近くから写真を撮っても地表を見ることはできない。

だが、火星には雲がない。正確にいえば、数年に一度グローバルな砂嵐があり、また稀に水の雲が浮かぶ場所もあるのだが、基本的には年中どこでも快晴だ。そこに何かいるのか、何がいるのか。この問いに答えたければ、カメラを持って行かない理由はない。

ひとつ、大きな問題があった。どうやって火星から写真を送るかだ。当時のカメラは全てアナログだった。若い読者の方は「アナログカメラ」と言われてもピンとこないかもしれない。撮影した後、フィルムをカメラから取り出し写真屋に預ける。翌日に再び写真屋に行くと、現像された写真を渡される。どうしてそんなに時間がかかるかというと、フィルムを現像液に浸したり、乾かしたり、といった作業が必要だからだ。

アナログ写真を宇宙から送るのは大変で、あの手この手の工夫が必要だった。昔のスパイ衛星は撮影したフィルムを再突入カプセルに入れて地球に落としていた。アポロ以前の月探査機は現像液を持って行って、探査機内でフィルムを現像し、スキャンしてアナログ信号で地球に送信していた。前章で書いたマーガレット・ハミルトンのいたMITインスツルメンテーション研究所は、1950年代後半に無人火星探査機の構想を持っていた。火星まで行ってアナログカメラで写真を撮ったあと、地球に戻ってきてフィルムの入ったカプセルを地球に投下する、という計画だった。

なぜ現代において写真を送るのがこれほど簡単になったかといえば、デジタルカメラのおかげである。実は、最初に火星への航海に成功したマリナー4号に積まれていたカメラが、史上初のデジタルカメラだった。デジカメは地球よりも先に火星で使われたのだ。

このデジカメはたった200×200ピクセルの、現代の携帯電話のカメラよりもはるかに劣るものだった。火星を通り過ぎる間に撮れる写真はたった22枚。5億ドルをかけ、500万㎞を旅して、たった写真22枚である。解像度は1ピクセルあたりキロメートルの単位。それでも、それは当時のどんな望遠鏡より十倍優れた解像度だった。

もし川や湖があれば写るだろう。草地や森があれば写るだろう。もし仮に知的生物がいれば……大運河を造るほどではないにしても、素朴な文明を持った住人がいれば、その町や、畑や、何かしらの生活の営みが見えるかもしれない。

そこに何かいるのか?

そこに何がいるのか?

人類が何百年も抱き続けたこの疑問に、22枚の写真は答えてくれるだろうと期待された。

1965年7月15日。マリナー4号が火星をフライバイするその日、JPLのエンジニアたちの気持ちが落ち着くことはなかった。

カメラはちゃんと火星の方を向いているだろうか? 写真を記録するテープレコーダーはちゃんと作動するだろうか? もし失敗しても、一度通り過ぎたら戻ることはできない。チャンスは一度だけ。失敗したら5億ドルの予算も500万㎞の旅路も水の泡だ。

火星を通過してから8.5時間後、最初のデータが、不安げに空を仰ぐアンテナに届きだした。まず届いたのは写真以外の科学データだった。

数日後、写真が届きだした。通信速度は毎秒8ビット。6ビットから成る1ピクセルを受信するのに一秒弱かかる。つまり、たった200×200ピクセルの写真1枚で八時間だ。受信したデータは数字に変換され、テレタイプがカタカタカタと音を立てながら、1ピクセル、また1ピクセルずつ、紙に打ち出していった。

最初のピクセルは63。黒を意味した。次のピクセルも63。次も63。彼らは不安になった。カメラは火星ではなく宇宙を向いていたのではないか? 22枚の写真全てが真っ黒なのではないか?

しばらくして、63ではないピクセルが現れた。その次もそうだった。

何かが映っている!

しかし何が映っているのか? ノイズではあるまいか?

だが、写真のデータを受信してもすぐに写真を見ることはできなかった。現代ならば画像ファイルを開けば瞬時に画面に表示されるが、1965年のコンピューターの処理速度では、データから画像を描画するのに何時間もかかったからだ。エンジニアはどうしても待ちきれなかった。

誰ともなく、送られてきた数字がタイプされた紙を切って並べて廊下の壁に貼り、パステルで色を塗りだした。63は黒。白黒写真なので40は濃いグレーだが、おそらく実際は濃い赤だろう。20はピンク。0は白。そんな具合だ。


「ぬり絵」の製作⾵景。 Credit: NASA/JPL-Caltech

廊下はアトリエとなった。デジタルのキャンバスの周りに大勢の人が集まりだした。JPL所長の姿もあった。

色が塗られていくにつれ、ある形が現れた。黒い宇宙を背景にした、丸みを帯びた世界の縁だった。

火星だ! 火星が映っているぞ!!

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。