では、火星植民はどうか。SpaceXのイーロン・マスクは今後十年程度で火星植民を始めると言っている。夢があるし、ワクワクするし、僕もできることなら生きているうちに火星に行ってみたい。
イーロン・マスクの宇宙開発への貢献はどんなに賞賛してもしすぎることはない。彼は文字どおり宇宙の民間時代を切り拓いた。そして長らく宇宙開発のボトルネックだった打ち上げコストを大幅に下げようとしている。彼の名は間違いなく、フォン・ブラウンなどと並んで宇宙開発の歴史に刻まれるだろう。そして彼の実行力からすれば十年という目標は無理があるかもしれないが、いずれ近いうちに火星植民を実現してもおかしくはない。
だが、 僕はイーロン・マスクの前のめりな姿勢にいくばくかの危機感を覚える。数万人が火星に移住するとなると、たった数人の宇宙飛行士に比べ、惑星防護ははるかに難しくなる。宇宙条約やCOSPARの惑星防護ポリシーに罰則はないが、無視していいのでは決してない。彼はちゃんと対策を考えているのだろうか? 惑星防護の研究開発に投資しているのだろうか? リスクを適切に評価しているのだろうか? 逆汚染で地球を危機に陥れるリスクは考慮しているのだろうか?
宇宙への移民は人類の宿命だと僕も思う。いずれその日は間違いなく来る。そして、火星に研究所ができ、科学者が現地調査できるようになれば、火星生命を含む科学的理解は急速に進むだろう。
だが、急いで事を台無しにしてはいけない。
今ひとつ、学ぶべき過去がある。十九世紀のドイツの実業家ハインリヒ・シュリーマンは、幼少の頃に読んだギリシャの叙事詩『イーリアス』(「トロイの木馬伝説」の話)に興奮し、その舞台であるトロイアの街をいつか自分の目で見たいと夢見た。当時はトロイアは架空の地だというのが常識だったが、シュリーマンは大人になってもその実在を頑なに信じ続け、貿易で成した財を使って発掘を開始した。
トロイアの場所を正確に推測したシュリーマンに考古学の才能と見識があったことは間違いないだろう。だが、彼は事を急いだ。第一発見者の栄誉を欲したからかもしれないし、生きている間に確実に自分の目で見たかったからかもしれない。適切な記録を取る事なく乱暴に地面を掘り、そして彼はトロイアを発見した。それは考古学史上の大発見となった。だが、後にわかったのは、『イーリアス』に描かれたトロイアはシュリーマンが性急に掘って破壊してしまった層にあったことだ。失われた歴史的記録は二度と戻らない。シュリーマンが夢見た『イーリアス』のトロイアは、皮肉にもシュリーマン自身の手により宇宙から永遠に消し去られてしまった。
なぜ、イーロン・マスクは急ぐのだろうか?
「地球のバックアップのため」と彼は言う。だがこれは根拠に乏しい。次の章で詳しく解説するが、少なくとも向こう百年では、隕石の衝突など外的な要因で文明が滅ぶ確率は飛行機事故より低い。それよりも人類自身が地球温暖化や核戦争で自らを滅ぼす可能性の方が圧倒的に高い。そうだと信じたくはないが、もし人類が自らを滅ぼしてしまうほど愚かならば、二つ目の惑星を壊す前に、地球と一緒に滅びるべきではなかろうか?
「自分が生きているうちに見たい」と思うのかもしれない。僕もそう思う。しかし、一人の実業家のエゴは一つの惑星よりも重いのだろうか? 四十億年の冬をじっと耐え抜いた火星生命の命は人類の夢よりも軽いのだろうか? 人類は宇宙の前に、自然の前に、そこまで偉いのだろうか? 謙虚さを忘れてはいないだろうか?
人類文明とは一万年かけて少しずつ、少しずつ積み上げられてきた物だ。そしてその文明の歴史すら、本書冒頭の「新創世記」で書いたように、宇宙の時間スケールに比べればほんの一瞬でしかない。十年で移民しなくては火星がなくなってしまうことはない。必要なら五十年でも、百年でも、千年でも待てばいい。文明が後退ではなく前進するために。過去の過ちを繰り返さないために。
我々は間違いなく歴史の転換点に立っている。我々が何を成しても、何を犯しても、歴史はそれを記憶するだろう。この時代にあって、我々はもう一度、なぜ宇宙に行くのかを、深く考えるべきだと思う。
大航海時代にヨーロッパ人が新天地を目指したのには様々な理由があった。
ピサロは黄金を目的に南米を征服した。
宣教師はキリスト教を広めることが善だと考えた。
市民は肉を美味にする香辛料を安く手に入れることを欲した。
船会社は香辛料を売って儲けるためにインドを目指した。
列強諸国は資源と植民地を獲得し、自国の版図を拡大するために海を渡った。
では、我々はなぜ宇宙へ行くのか?
地球を滅ぼした場合のバックアップのためか?
植民地を獲得し人類の版図を拡大するためか?
資源を獲得するためか?
それとも、 我々は何者か、我々はどこから来たのか、我々はひとりぼっちなのか、そんな深遠な問いへの答えを求めるためだろうか?
宇宙は我々を試している。人類が進歩したか、していないかを。