油井 亀美也(Yui Kimiya)×南波六太(Namba Mutta)
2015年2月23日油井亀美也宇宙飛行士は、いよいよ宇宙へ飛び立つ。
まだ、油井さんが宇宙飛行士候補だった2009年に少年ムッタは取材をしていた!
油井宇宙飛行士の宇宙行きを記念して、
当時のインタビュー記事を小山宙哉公式サイトで再掲載☆
■「落ちた」と、カンちがいしていましたね……
六太 油井さん、こんにちは。このたびは、おめでとうございます!
油井: やぁ、ムッタくん、会いたかったですよ。どうも、ありがとう。
六太: わぁ、机の上に『宇宙兄弟』が置いてある。読んでくれていたんですか?
油井: 奥さんがファンで、読んでいてね。ただ、内容が選抜試験のことでしょう。だから、先入観を持ったらいけないと思って、選抜試験の間はあえて読んでいなかったんだ。でも他の受験者の人はみんな読んでいたね。僕は試験終了後に一気に読んだんだけど、よくできていて面白かったよ。
六太: 奥さんは、どんなふうに読んでいたんですか?
油井: 参考書のようにして、私にいろいろ教えてくれました。閉鎖環境試験に出かけるときには、「こんなこと書いてるよ」とか「何だか指令も出るらしいよ」とか、全部、『宇宙兄弟』からの情報で(笑)。
六太: (笑)合格発表のときは、どこにいたんですか?
油井: 家には誰も居ない日だったから、他の受験仲間たちとホテルで通知の電話を受けることにしたんだ。電話がかかってきたのは朝だったね。みんなで朝ごはんを食べていたら、もうひとりの合格者である大西卓哉さん(元ANAのパイロット)の電話が鳴ったんだよ。それがJAXAからの電話で……。電話を切った大西さんから「合格らしい」と聞いて、「あ、自分は落ちたな」と思った。パイロットの合格者は一人だと考えていたから。でも自分にも通知が入る頃だろうから、忘れてきていた携帯電話を取りに部屋に戻ったんだ。それでドアを開けた瞬間、着信音が鳴って、慌てて電話に出てね(笑)。合格を告げられた時は、全然ピンと来ませんでした。
六太: ご家族には、すぐに電話しましたか?
油井: 奥さんにはメールですぐに。そのあとは、JAXAの公式発表前に職場や上司にこの事実を知らせなくてはならなかったから、あちこちに電話してたよ。
六太: 閉鎖環境で一緒だった人たちとは、仲良くなりましたか?
油井: とても仲良くなった。最終試験の時には「誰が宇宙に行ってもおかしくない」なんて、全員が互いを認めあっていてね。だから「オレでいいのかな」「なんで全員は行けないんだ」とも思ったよ。そうそう、『宇宙兄弟』を読んでいた人たちは、二次試験のときも「面接のとき、椅子のネジがゆるんでいたらどうする」なんて話題になっていたよ(笑)。
■高度5万フィート、マッハ1.8の世界を体験
「あとは、宇宙に出るしかない」
六太: 油井さんは、防衛省では航空自衛隊のパイロットをされていたんですよね
。
油井: そうなんだ。戦闘訓練を行ったり、他国の航空機が違法に日本の領空に入らないようにしたりするのが主な仕事だったね。パイロット育成の教官もやらせてもらったよ。あとテストパイロットという任務があって、飛行機の安全性や、性能の限界を試験するんだ。計器に異常がないかを調べたり、わざと操縦不能にして回復させたりして、様々な非常事態のケースを再現する。それで最適な対応策の検討、決定をしていくんだ。
六太: うわぁ、命がけの仕事なんだなぁ……。
油井: 命がけだけど、非常にやりがいがある任務だったよ。性能の限界を試験するわけだから、高度は5万フィート(約15kmほど)、速度はマッハ1.8という世界が体験できる。でも、それ以上高く上がってしまうと、与圧なしでは体温で血液が沸騰してしまうような世界になってしまうんだ。だから、さらに「もっと高く、もっと速く、もっと遠く」を求めるには、「宇宙に出てみるしかない」と思っていました。
六太: 将来、宇宙船も、操縦してみたいですか?
油井: 今のところ操縦する計画は言われてないけど、そうなればいいなとは思っている。テストパイロットを志願したのも、空の近くで仕事をしたかったからだしね。宇宙は私が飛行機で体験した限界点より、さらに10倍も上にある世界。そこに行きたい。これは、私の中の単純な本能なんだろうね。
■航空自衛隊の過酷な訓練に比べたら、
選抜試験の閉鎖環境は「快適」でしたね
六太: 閉鎖環境の試験は、やっぱりツラかったですか?
油井: いいえ、楽しかったですよ。たぶん、参加した10人とも楽しかったと言うんじゃないかな。そもそも、私は自衛隊の訓練でプライバシーのない訓練には慣れていたから、監視も気にならなかったんだ。それに試験では時間通りにベッドで眠れたからね。しかも時間通りに(笑)。任務によっては、ほとんど睡眠を取らずに歩き続けるようなものだってあったんだよ。海に入れられて、救助が来るまでずっと泳いでいなさいなんて訓練もあった。だから閉鎖環境はむしろ快適だったんです。
六太: 「閉鎖環境は快適だった」って、スゴイ! 何だか、宇宙飛行士の訓練も平気でこなしちゃいそうですね。
油井: もっと別次元で大変だと思うんだ。私の場合、39歳という年齢もあるしね。もちろん、ちょっとのことではへこたれない自信はあるよ。でも最終試験では、周りの受験者たちがみんな若いから、「勝っているのは年齢だけかも」なんて弱気になったりもした。若い人は努力すればいくらでも吸収できる可能性がある。だから39歳の私は、勉強面でも体力面でも、相当やっていかなければと思っています。
六太: 最終試験の面接で、印象に残っている質問は何ですか?
油井: リーダーシップについても色々聞かれたよ。私はこういう年齢だし、航空自衛隊のなかで、常にそういうことを考えてきましたから何とか答えられたけど、管理職を経験されていなければ、難しかっただろうね。
六太: どう答えました?
油井: 「リーダーシップは思いやりだ」と答えました。リーダーには部下の意思を掌握することが必要なんだ。立場の違う人間の気持ちを理解するには思いやりがないといけない。これはフォロワーシップにも言えることだよね。私は、結局いい人間関係をつくるには思いやりが必要だろうと思っています。
六太: そうですよね! 他には何か油井さんが困った質問はありましたか?
油井: すごくキツイ質問があったんだ。10人の受験者が仲良くなった後の面接で、「一緒に宇宙に行きたくない人は誰ですか?」って聞かれてね。考えたところで出てこないし、「いない」と答えても「絶対に答えてください」と言って納得してもらえない(笑)。みんな同じ夢を持った仲間ですしね。互いに認め合っているし、気持ちがわかってしまっているから。「誰と行きたいか?」なら気分よく悩めたんだけど……。この質問は辛かったですよ。
■奥さんの言葉が、背中を押してくれました
六太: 油井さんは、挑戦をやめない方だな、と思いました。
油井: でも、小さい頃はそうでもなかったんだ。変わったのは、自衛隊に入ってずいぶん経って、30歳を過ぎてからかな。
六太: どうして、30歳を過ぎてから、向上心がムクムク湧いてきたのですか?
油井: ムッタくんも、大人になったら、実感できるかもしれないけれど、30歳を過ぎると、1年、1年が、すごいスピードで過ぎていくように感じるんだ。それはきっと、毎日がルーティンワークになってしまっていたからなんだよね。だから1年間、どんどん新しいことにチャレンジしてみたんだ。すると振り返ったとき、その1年がすごく充実したものに感じられてね。それからだと思うんだ。次へ次へと向かう姿勢ができたのは。その後も毎年のように新しい経験をさせていただいて、とても自衛隊には感謝しているよ。
六太: 航空自衛隊の仕事も、本当に好きだったんですね。
油井: 私は自衛隊が大好きなんだ。国を守るという、重要な使命を負った自分の仕事に、とても誇りを持っているし、このまま自衛官であり続けたかったとも思うくらいだよ。
六太: 合格は、奥さんも一緒に喜んでくれましたか?
油井: うん、とても喜んでくれたよ。同時にあまりにも周囲の変化が激しくて、「本当に勧めて良かったのかしら」と悩んでもくれた。だから私は「いいんだ、やりたかったことだから。本当にありがとう」と伝えたんだ。
六太: うわぁ、仲いいんですね! アメリカの訓練へ行くときは、家族みんなで引っ越されるんですか?
油井: 初めの一年間ぐらいは、一人で現地の訓練に集中しながら、家族がアメリカでうまく生活できるか見極めていきたいね。いきなり全員で出かけてしまって、みんなにストレスが生じないか心配なんだ。私も慣れない訓練、生活環境で多忙となれば、家族のストレスにも対応できないかもしれないしね。
六太: 3人のお子さんは、合格後の「宇宙飛行士としてのお父さん」を、どう見ていらっしゃいますか?
油井: この4月に中学生になる長女、小学生の長男、次男、3人とも以前と同じように接してくれているよ。家族が変わらないでいてくれるから、慣れないメディアの取材に疲れて帰っても、ホッとできるところがあるんだ。やはり、家族が一番です。
油井 亀美也(ゆい きみや)@Astro_Kimiya
昭和45年、長野県生まれの39歳。2月25日、昨年からJAXAが行っていた宇宙飛行士候補者選抜試験に、合格。宇宙ステーション搭乗の飛行士候補として4月より宇宙飛行士候補としてJAXA勤務。前職は防衛省航空幕僚監部のパイロット。
取材・構成/木村俊介
写真/長谷川朝
※このインタビュー記事は2009年当時のものです。当時『宇宙兄弟』は5巻が発売中でした!