1980年11月、ボイジャー1号は土星とその衛星タイタンの探査を成功裏に終え、2号の土星スイングバイまではまだ九ヶ月の余裕があった。ここに至って技術者たちは、2号の軌道に忍ばせた「仕掛け」を明かした。
惑星と衛星の並びの関係で、タイタンを訪れたら天王星・海王星に行くことはできない。二者択一だ。1号はタイタン行きの軌道だった。一方、2号の軌道は、1号が土星・タイタン探査を終えた後に、タイタンに向かうか天王星・海王星へ向かうかを選べるように設計されていたのである。土星に接近する角度と距離を微調整することで、スイングバイ後の目的地を変更できた。それが「仕掛け」だった。
もし姉の1号がタイタン探査に失敗したら、妹の2号もタイタンに向かう予定だった。だが姉はタイタン探査の任務を十二分に果たし、ボイジャー計画本来の目的は全て達成されていた。
ここに至って、技術者たちは2号の目的地が天王星・海王星へ変更可能であることを明かした。1号が挙げた圧倒的な成果を見た後では、もはや誰もケチを付けなかった。ワシントンの官僚ですら天王星や海王星を見たかったに違いない。グランド・ツアーへの道は遂に開けた。いや、姉が妹のために道を拓いたのである。
「仕掛け人」の一人がミッション・デザインを担当したJPL技術者ロジャー・バークだった。彼は言った。
「これは技術者の官僚主義に対する小さな勝利だったと思うよ、全人類への恒久的な利益のためのね。」
1981年8月、土星はその巨大な重力でボイジャー2号の軌道をねじ曲げ、次の目的地へと送り出した。まだ誰も間近に見たことのない、天王星と海王星へ。