宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

これまで5回行われてきたJAXA宇宙飛行士選抜試験。一体どのような試験なのだろうか…? その第5期選抜にて、10ヶ月に及ぶ選抜プロセスの最終試験まで勝ち残った経験を持ち、現在は宇宙船「こうのとり」のフライトディレクタに従事する作者による、大きな挫折と前進の記録。

第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編⑥)

第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編⑥)

EVA試験での大失敗

EVAシミュレータを使って実際に身体を動かして行う試験だった。 安全帯をつけた身体をロープで吊られ、その状態で移動やタスクを行う。最初に、数々のEVAツールの使い方の説明があり、決められたEVAタスクを行うという試験だった。

EVAシミュレータ試験(写真は国松さん)

EVAツールの説明は異常に早口だった。いくつもあるEVAツールの説明を、畳みかけるかのように、早口にまくし立てる。そこで、必要な確認を行いきちんと把握しきる、その能力も評価ポイントだった。

ぼくは、「こうのとり」のEVA担当だったため、EVAツールについてもかなりの知識があった。早口の説明でも理解は追いつき、心には余裕があった。

そこに大きな油断があった。

吊り上げられると、思ったよりもバランスを取るのが難しい。 スタートポイントから、まずはタスクを行う場所まで移動する。最初に行うタスクのイメージはできている。時間制約があるため、作業はそれなりに急いで進めなければならない。しかし、移動しようとするが、動かない。横にいるぼくを吊っているおじさんが突っ張り続けているのだ。物理的には、おじさんが動いてくれないとぼくが動けない。力を入れてみるが、動けない。

「どうして動けないんだ?」

聞いても、この質問には答えてもらえない。

(なんでだ!?)

ここでしばらく時間をロスすることになってしまった。

さらに悪いことに、動こうとするたびに身体が大きく揺れることで、酔ってしまったのだ。思考力が低下していく。。。

はたと気がついた。一番初めにやらなければならないことを、ぼくは忘れてしまっていたのだ。

最初にまず、安全のために身体を固定しておくための安全帯を外さなければならなかったのだ。実際には安全帯が突っ張っているわけではなく、明らかにおじさんが引っ張っているから動けなかったため、なかなか原因に気づくことが出来なかった。水平に身体を保ちつつもがいたため、体力も消耗し、さらに“酔い”でかなり気持ち悪い。。。

ようやく気づいて作業を進めたときには、体調は最悪、時間もないという状態で、気持ちだけが焦るが、思うように作業が進められず、決められたタスクの半分終わったかどうかくらいでタイムアップ。非常に悔しい結果だった。おまけに、ものすごく気持ち悪い。 (が、気持ち悪いことを悟られないように振る舞う。)

一番初めの安全テザーの外し忘れ。あれがすべてだった。完全に心に油断があった。 ぼくはぼく自身が評価される試験を受けていたのだ。そのことを一瞬忘れてしまった。集中し切れていなかった。

中学でとある先生から教わった言葉を思い出した。

「慢心してはいけない」

慢心すると、心に隙が生まれる。 この失敗は防げた失敗だ。後悔先に立たず。引きずって他の試験にも影響を及ぼすのが最悪だ。それだけは避けなければ。一旦忘れる、ぼくができるのはそれくらいだった。


ASB面接とEVA試験が行われた日の夜は、ソーシャルパーティを開催してくれた。

JAXA宇宙飛行士選抜のファイナリストをもてなしてくれるパーティだ。日本人宇宙飛行士のみならず、NASAのレジェンド宇宙飛行士や現役宇宙飛行士も多数参加してくれた。また、旦那さんをチャレンジャー事故で亡くされたローナ・オニヅカさんも参加された。ローナさんは、長くJAXAヒューストン事務所で働かれていたこともあり顔なじみだ。

試験要素もあるのかもしれないと勘ぐりつつ、このように大勢の宇宙飛行士としゃべりたい放題の時間が過ごせるのは、二度と無いかもしれない大チャンスタイムだ。

ぼくには、打ち上げまで1年を切った「こうのとり」のフライトディレクタ候補であるという武器がある。つかみはバッチリのはずだ。普段話せない多くの人と話そうと意気込んで臨んだ。

ぼくがもっとも印象に残ったのは『絶対帰還』のケン・バウアーソックス飛行士(※注釈)と話したひとときだった。テストパイロット出身、5回のフライト経験を持ち、EVAやISS長期滞在も行った超ベテラン宇宙飛行士(当時、すでに引退)だ。名前は知っていたのだが、気づいて認識するまで少し時間が掛かってしまった。なにせ、見た目も雰囲気もふつうのおじさん過ぎるのだ。

『絶対帰還』という邦題で本にもなっているが、コロンビア空中分解事故が起きた2003年、そのときにISSに残された3名、そのISSコマンダーを務めたのがケン・バウアーソックスだ。次のスペースシャトルで帰還するはずが、打ち上げ凍結。滞在を延長し、ソユーズで帰還するプランBをとるのだが、その帰還時にもトラブルに見舞われ・・・

このような危機といつも隣り合わせの宇宙飛行士。その危機をくぐり抜けた猛者が、目の前で、ぼくと会話している。

実は、『絶対帰還』をあとから読んだ。2008年7月に本は出版されていたので、会う前に読んでおければ良かったなと後悔した。

※注釈
ケン・バウアーソックス飛行士:2006年にNASAを引退。2012年からSpaceX社の副社長をし、2019年から再びNASAで、有人宇宙飛行局長に就いている。

ケンが、このようなことを言っていたのが印象的だった。

「Engineeringであまりにも優秀だと、飛行士としてミッションにアサインされてないことがあるので注意した方がいい。」

宇宙飛行士は5~10年ほどで宇宙行きの切符を手にする。7.5年としてみよう。

ミッションが始まる2年前から訓練が本格化するのが一般的だ。ミッションが半年、ミッション後のリハビリ等で半年として合計3年。それ以外の4.5年は、一般的な訓練を続けながら他の仕事をすることになる。あるものは、管制官をするものもいれば、各国の新しい宇宙船の開発レビュー等を行うものもいる。その期間で、飛行士以外の能力が発揮され、認められれば、そちらに引っ張られてしまい、次のミッションのアサインが遅れることがあるということだろう。ぼくはもちろん宇宙飛行士としてミッションをこなしつつ、エンジニアとしての能力も活かして貢献を続けたいと思っていたので、考えさせられる言葉となった。

サニー・ウィリアムス飛行士(※注釈)は相変わらず、いつだって明るく陽気。日本で覚えたしゃぶしゃぶダンスをしながら笑いを取っていた。

前年に、日本で行われた「こうのとり」の運用審査会に、サニーは宇宙飛行士として参加していた。そのときに、JAXAが主催したソーシャルパーティでしゃぶしゃぶを食べたのだが、それをとても気に入ってくれた。そして、そのときに教えた、「しゃぶしゃぶ~しゃぶしゃぶ~♪」と言いながら出汁にくぐらせて食べるというお作法を覚えていたのだ。

※注釈
サニー・ウィリアムス飛行士:ISSでボストンマラソンを完走した宇宙飛行士として有名。(その後、ランニングマシンが壊れ、彼女のせいとささやかれる。)現在、ボーイング社の新有人宇宙船スターライナーの宇宙飛行士にアサインされ、初飛行に向け準備中。(歳は違うが)ぼくと同じ誕生日なので勝手に親近感を持っている。2012年、ぼくが初めてリードフライトディレクタを務めた「こうのとり」3号機では、星出飛行士とともに宇宙ステーションに長期滞在していた。

このSocialパーティでは、恐れていたような、いきなりスピーチさせられるとか、急に面接が始まるとかそういう試験的なことはなく、とても平和で楽しいひとときが過ぎていった。ファイナリストメンバー一同、ほっと胸をなで下ろしつつ、まだ満たされていないお腹を満たすため、ホテル近くの中華料理やで飲みながらワイワイ食事をとった。

ソーシャルパーティの様子
左:江澤さん、ケディ・コールマン飛行士、山崎飛行士
右:ダン・バーバンク飛行士、大作さん、ケン・バウアーソックス飛行士

その夜は、ぼくたちがホテルに戻ってから、もうひとつの事件が起きた。

まだ時差ボケが残っており、夜は非常に辛い。どうしても力尽きて、夜10時ごろには落ちてしまう日々だ。このときぼくは深い眠りについていた。

「ビーーーーーーーーーーーーーー」

鳴り止まない警告音に、強制的に起こされることになった。 さすがにこのままでは寝ていられない。 周りに火の気はまったくなかったので、おそらくボヤだろうとは思いつつも、一応外へ避難することにした。

(まさか、試験じゃないよな)

という警戒心もわずかによぎる。

外に出ると、なかなか笑える状況が繰り広げられていた。

・半そでにサンダルで、キーを部屋において出てきてしまった柳川事務局長(ヒューストンとはいえ、冬はそこそこ寒い)
・靴を履かずに、靴下になぜか社員証をもって出てきた国松さん
・なぜかデジカメ片手に用意周到な大作さん
・目覚ましを止めて、コンセントを抜き、布団にくるませてもブザー音が止まらないので、ようやく出てきたという人
・いつまでも出てこない人

危機管理とか想定外への対応という観点では、またとないシチュエーションだったため「もしや!?」と思ったが、柳川さんの状態を見るとそんなことはなかったのだなと思い直した。

キラッキラの消防車(アメリカ仕様)までくる騒ぎとなったボヤ騒ぎだった。

ボヤ騒ぎで駆けつけた消防車と、真夜中なのにきちんとした格好でカメラまで持参して出てきた元気な大作さん

その他、NBLでハッブルの修理EVA訓練を見学できたり、MCC-Hでは、アポロ・シャトル・ISSの管制室をシャトルとISSのフライトディレクタ(ダブルホルダー)に案内されたり、アーリントンでT-38の操縦席に乗せてもらったり、夢のような時間を過ごした。

T-38操縦席にて

また、本拠地がヒューストンであるJAXA宇宙飛行士との面接も行われた。現役日本人宇宙飛行士にぐるりと囲まれ、1人ずつ1問1答形式での15分間という短い面接だった。野口飛行士からの「今のわれわれ宇宙飛行士に足りないと思うことは?」という質問が最も印象深かった。

その後NASA宇宙飛行士室のオフィスに入れてもらった。そのときに聞いた、ISS長期滞在時の3人(※注釈)の仕事の仕方が、完全分業(Segmented Task)というのが「なるほど、そうか」と膝を打つ話だった。スペースシャトル時代の、ミッションを共にする7人とは2年ほどみっちりチームで訓練を受けるというイメージを持っていたが、ISSではそれぞれが別のミッションを担うため訓練も別々で、ISSに行ってからも分業体制となる。その方が効率的なのだ。そのため、ISS長期滞在ミッションはかなり孤独なのだそうだ。

※当時のISSはクルー3人でISSでの作業すべてを切り盛りしていた。現在は、6人体制。

ヒューストンでの最後の夜は、安竹さんの部屋で朝4時まで飲んで盛り上がった。

NASA見学気分モードから、NASAの実践的試験に放り込まれ、でも終わってみれば、有人宇宙開発の本場を堪能できた楽しい旅だった。何度も仕事で訪れているぼくですらそう思ったくらいなので、初めてNASAを訪れた他の9人にはもっと格別な体験だっただろう。

閉鎖環境試験で打ち解けたぼくたちは、ヒューストンでのNASA宇宙飛行士試験という強烈な体験を共有することで、固い絆で結ばれた仲間になった。そして、宇宙飛行士になりたいという気持ちは最高潮に達していた。最終選抜が始まってから2週間、これまで体験したことのないような数々の『冒険』を思い返し、ワクワクが止まらなかった。10人が10人ともテンションが高かった。2週間共に過ごした仲間との名残惜しさもあいまって、話が尽きることがなかった。寝落ちした仲間たちにいたずらする悪ふざけにも飽きた朝の4時頃、ようやく解散となった。


激しいノックの音がした。
遠くでぼくの名前を呼ぶ声がする。

「はっ!!!!!す、すぐに行きます!!!!」

なんと朝寝坊してしまったのだ!!! 荷造りもまだだ!!!昨晩というか朝方だが、部屋に戻ってベッドで一息ついたのがいけなかった。そのまま気を失ってしまったのだ。

(あー、やってしまった!試験の最中なのに、緊張感が薄れていた。この手のミスは厳禁なのに・・・反省)

スーツケースにとにかく急いでぐちゃぐちゃにして荷物を詰め込み、最低限の身だしなみをして、ロビーに駆け込んだ。みな、笑顔で待っていてくれた。ぼくよりは早く到着していたが、実はもう一人寝坊がいたとかいなかったとか。。。

こうして、最終選抜試験のメインの2週間が終わった。

ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル国際空港では、これまでの共同生活を名残惜しむかのように10人で一緒に食事をした。

そして、帰りの飛行機では泥のように眠った。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama