NASAの誕生、そして月へ/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載13 | 『宇宙兄弟』公式サイト

NASAの誕生、そして月へ/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載13

2018.04.27
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

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人々のスプートニクへの反応は、アメリカの政治家にとってもソ連の政治家にとっても驚きだった。小さな人工衛星がこれほどまでに世界の人々の注目を集め、熱狂的興奮やショックを与えるものだとは想像していなかったからだ。それ以降、味をしめたソ連も、焦ったアメリカも、莫大な国費を宇宙開発に注ぎ込むようになる。

フォン・ブラウンの成功から半年後、アメリカは新たな国家機関を発足させた。アメリカ航空宇宙局、NASAだ。そして1960年、フォン・ブラウンの陸軍弾道ミサイル局はNASAに移管され、NASAマーシャル宇宙飛行センターと改称された。(僕が勤めるJPLも同時に陸軍からNASAに移管された。)フォン・ブラウンはついにミサイル開発から解き放たれ、宇宙開発に専念する環境を手に入れたのだった。もはや金策に走る必要もなくなった。

技術とは天才の脳から勝手に湧き出るものではない。技術開発には金が要る。1960年代に宇宙開発が爆発的に進んだのも、ひとえに莫大な資金が投入されたからである。スプートニクからわずか四年後の1961年、世界初の宇宙飛行士ガガーリンがコロリョフのR7ロケットに乗って宇宙へと飛び立ち、「地球は青かった」という詩的な言葉を持ち帰った。その三週間後、アメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパードが、フォン・ブラウンのレッドストーン・ロケットで宇宙へのサブオービタル飛行を行った。

たしかに宇宙開発は冷戦のプロパガンダだった。それは事実だ。だが、よく見落とされている点がある。なぜ宇宙だったのか、という点だ。なぜ原爆実験や軍事演習や軍事パレードといった直接的な方法ではなく、宇宙開発という一見まわりくどい方法で国力を誇示する必要があったのだろうか?

あの「何か」が、フォン・ブラウンやコロリョフだけではなく、人々の心に根を張っていたからだ。それはSF小説やテレビ番組などを通して世界中の人の心に浸透した。人々は核ミサイルでお互いを殺しあう破滅的な未来ではなく、月や火星へと自由に旅する進歩的な未来を望んだ。だからこそ、高級車を作る国でも原子爆弾を作った国でもなく、宇宙飛行を最初に達成した国こそが科学技術の最先進国だと世界の人々が思ったのだ。

そして皮肉なことに、もとはミサイルとして開発されたR7とレッドストーンは、結局は兵器として使われることは一度もなかった。R7やレッドストーンは液体式ロケットである。先に解説した通り、液体式ロケットは宇宙へ行くためには最適だが、燃料を搭載した状態で保管できず即応性が低いため、兵器としては使い勝手が悪かった。結局、ミサイルとしてもっぱら用いられたのは即応性の高い固体式ロケットだった。フォン・ブラウンやコロリョフが義心からわざと無用な兵器を作ったのではなかろうが、宇宙を夢見る心から生まれた機械はやはり、宇宙を飛ぶようにできていたのである。宇宙開発が冷戦のプロパガンダに利用されたのではない。利用したのである。

フォン・ブラウンはNASAマーシャル宇宙飛行センターを率い、潤沢な資金を使って史上最大のロケットを完成させた。サターンV。重量はV2の二百倍の3000トン、高さは110メートル。現在でもこれより巨大なロケットは作られていない。

フォン・ブラウンと、⽉ロケット・サターンV。 Credit:NASA

1968年、三人の宇宙飛行士を乗せたアポロ8号が、このロケットによって地球から月軌道へと打ち上げられた。月着陸こそしなかったが、人類が地球の重力圏を脱するのも、他の星を周回するのも、史上初めてだった。アポロ8号の旅は、百年以上前に書かれたジュール・ベルヌの『地球から月へ』のストーリーをそのままなぞるかのようだった。三人の男はフロリダから飛び立ち、月軌道から月面を間近に観察し、そして太平洋に帰還した。世界中の子供たちやロケットの父が熱狂したSFは、百年の時を超えて現実のものとなったのである。

その原動力は何だったのか? ロケットの父たちが「変人」「狂人」と呼ばれた時代からたった五十年。何が人類を宇宙へ羽ばたかせる力の源となったのか? 何が人類の幼年期に終わりをもたらしたのか?

あの「何か」だ。ジュール・ベルヌや、ロケットの父や、フォン・ブラウンやコロリョフやスプートニクを見守った人々の心の中で戦慄き、蠢き、囁いた、あの「何か」だ。

それが何か、どんなものか、読者の皆さんには想像がついているだろう。なぜならそれはあなたの心の中にもあるからだ。だから本書ではこのまま「何か」と呼び続けても問題ないかもしれない。だが、あえてそれに名前を与えるならば、僕はそれを「イマジネーション」と呼ぶ。

イマジネーションとはウイルスのようなものだ。ウイルスは自分では動くことも呼吸をすることもできない。他の生物に感染し、宿主の体を利用することで自己複製して拡散する。イマジネーションも、それ自体には物理的な力も、経済的な力も、政治的な力もない。しかしそれは科学者や、技術者や、小説家や、芸術家や、商人や、独裁者や、政治家や、一般大衆の心に感染し、彼ら彼女らの夢や、好奇心や、創造性や、功名心や、欲や、野望や、打算や、願いを巧みに利用しながら、自己複製し、増殖し、人から人へと拡がり、そして実現するのである。

僕も七歳の時に感染し、利用されている。それは僕に火星ローバーのソフトウェアの開発をさせ、地球外生命との遭遇という夢を果たそうとしている。またそれは僕にこの本を書かせた。この本の行間にもその複製が潜んでいる。そして今これを読んでいるあなたの心に巣喰い、あなたを利用しようと機会をうかがっているはずだ。

ウイルスが宿主を殺しながら広がるように、ジュール・ベルヌの小説を出版した出版社は買収されてなくなり、ヒトラーの野望は潰え、フルシチョフは失脚し、冷戦は終わり、ソ連は崩壊した。だが宇宙へのイマジネーションは生き残った。そして現代では民間企業が宇宙開発の主役になろうとしている。イマジネーションは、今度は資本主義というシステムに寄生し、さらなる高みを目指しているのである。

経済的・政治的な欲や野望や功名心は、短期的に見れば大きな力を持っているが、所詮は個人に帰属するものでしかない。人はやがて死ぬ。死ねばその人の欲も野望も功名心もこの宇宙から消えてなくなる。そして人のたった八十年の一生とは、宇宙の時間からすれば流れ星のように儚い一瞬の閃きでしかない。一人の個人がその間にできることなど、せいぜい最も小さい太陽黒点よりも小さな帝国を築いて有頂天になったり、いくばくかの富を集めて刹那的な満足に浸ったりする程度である。

星から星へと旅をするような大事業は長い時間がかかる。地球から月に行くだけで百年かかったのだ。人類─あるいは人類の子孫たる種─が太陽系、他の恒星系、そして銀河系の果てまで進出するためには、何千年、何万年、もしかしたら何億年の時間が必要かもしれない。それを実現できるのはイマジネーションだけだ。人から人へ、世代から世代へと感染していく力があるからだ。国籍や、人種や、宗教や、イデオロギーにかかわらず万人に共有されうるものだからだ。幾人の億万長者が死に、いくつのグローバル企業が消え、幾人の独裁者が斃れ、いくつの超大国が崩壊し、時代が変わり、文化が変わり、思想が変わり、価値観が変わり、いくつの川が乾き、いくつの野が焼け、いくつの山が崩れ、陸が海となり、海が陸となっても、人が存在する限り、夜空を見上げて遠くを夢見る心は決してなくならないからだ。

ジュール・ベルヌはこんな言葉を残したと言われている。

「人が想像できることは、すべて実現できる。」

 

(つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』の元となった人気連載、『一千億分の八』をイッキ読みしたい方はこちらから
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?
【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
【第8回】〈一千億分の八〉ロケットはなぜまっすぐ飛ぶのか?V-2のブレイクスルー、誘導制御システムの仕組み
【第9回】〈一千億分の八〉スプートニクは歌う 〜フォン・ブラウンが戦ったもうひとつの「冷戦」
【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。