この難題に挑む道しるべとなるのが、カール・セーガンの次の一言である。
“Life is the hypothesis of last resort.” (生命とは最終手段の仮説である。)
少し難しく聞こえるかもしれない。別の言い方をすれば、科学はシンプルさを好む、ということだ。
さらに混乱してしまっただろうか。いったん生命の議論を脇に置いて、例を出そう。ある日突然、桶屋が儲かったとする。この不可解な現象を説明できる仮説が二つあるとしよう。一つは、近所に大型銭湯ができて桶を大量発注したという仮説。もう一つは、風が吹いたため土ぼこりが立ち、それが目に入って盲人が増え、盲人が三味線を買い、三味線に使う猫皮が必要になるためネコが殺され、ネコが減ったためネズミが増え、桶をかじるため桶の需要が増え桶屋が儲かった、という仮説である。どちらの仮説が正しいだろうか? おそらく、前者だろう。もちろん後者の可能性も完全には否定できないが、このように極度に複雑な仮説が実現する確率は非常に低いからだ。
科学も同じだ。もし何か不可解な現象が見つかって、それを説明する仮説が複数あった場合、単純な仮説を採用する。その方が蓋然性が高いからだ。この科学の原則は「オッカムの剃刀」と呼ばれる。
さて、生命の話に戻ろう。生命は非生命より格段に複雑だ。宇宙で何かの新現象に出会ったとしよう。そしてそれは、生命現象でも、非生命現象でも、整合性をもって説明できるとしよう。ならば採用すべきは単純な非生命的仮説だ。もし、あらゆる非生命的仮説が却下され、残されたたった一つのものが「それが生命である」という仮説だった時に初めて、それが採用される。「生命とは最終手段の仮説」とはそういう意味だ。
たとえば、火星ローバー・キュリオシティーは大気中のメタン濃度の急激な上昇に何度か遭遇した。これは予想外の現象だ。なぜなら、メタンはすぐに紫外線によって分解されてしまうからだ。だから「何か」がメタンを生産しているはずだ。
地球では、メタンは火山活動や生命活動で生成される。牛がゲップをするとメタンが出る。メタンを合成する菌もある。だから、火星の局所的なメタン濃度を説明するひとつの仮説は、生命だ。地下にメタン菌がいるのかもしれないし、ローバーの死角で牛が隠れてゲップをしていたのかもしれない。だが、これを説明する非生命的な仮説もいくつかある。たとえば、火星にも存在するカンラン石が水・二酸化炭素と反応するとメタンが出ることが知られている。この仮説を否定する根拠は今のところない。だから、火星のメタンが生命の証拠であるとは現在のところ考えられていない。
だから、地球外生命探査で大事なのは、あらゆる非生命的な仮説を棄却できるように観測や実験をデザインすることである。これがなかなか難しい。事実、NASAは過去に一度、苦い経験をした。
1967年に世界初の火星着陸を成功させたNASAの探査機バイキングは、生命を検出するための四種類の実験を行なった。 そのひとつが、火星の生物に「エサ」を与える実験だった。まず、スコップで火星の土をすくい、密閉容器に入れる。次に七種類の有機物が溶けたスープをそれに垂らす。そして出てくるガスを観察するのである。もし生物がそのスープを飲み代謝したら、二酸化炭素が出てくるはずだ。
結果は驚くものだった。スープを垂らした途端に二酸化炭素が出てきたのだ! 喉がカラカラの火星の微生物が、地球製のスープをゴクリと飲み干して、「ごちそうさま」と言わんばかりに二酸化炭素をゲプッと吐き出していたかのように思えた。
だが、他の三つの実験の結果はどれも生命の存在に否定的だった。とりわけ、土壌中から有機物がほとんど検出されなかったという事実は科学者を悩ませた。有機物を食べる微生物の体は当然、有機物からできているはずだ。
スープを飲んで二酸化炭素を吐き出したものの正体が生命であるという仮説は完全には否定できない。だが、大多数の科学者がこれを生命の証拠と考えていないのは、実験結果を非生命的プロセスで説明する仮説が、ひとつ残ってしまったからである。
その仮説とはこうだ。火星にはオゾン層がないため地表には強い紫外線が降り注いでいる。土の中に含まれる塩素に紫外線が照射されると酸化剤になる。漂白剤のようなものと思えばいい(火星に行く機会があっても、土を素手で触らないことをお勧めする)。有機物がこの「漂白剤」に触れると分解され、二酸化炭素になる。火星の土が酸化剤になっているという仮説は、その後の火星ローバーミッションでも裏付けられている。
では一体、あらゆる非生命的な仮説で説明不可能な現象とは何なのだろうか? そしてそれをどう検出すればいいのだろうか?
そのヒントは、「レゴ」にある。そう、子供の頃に遊んだ、レゴである。